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実はこんなに深いった知ってた?約400年前から続く日本のビールの歴史

2021.03.30

日本に初めてビールが伝来したのはいつか、ご存じの人は少ないのではないでしょうか。

世界のビールの歴史は古く、約6000年前の紀元前4000年までさかのぼり、古代メソポタミアで、麦の粥が自然発酵したものといわれています。そこから約5600年後。つまり1600年代になり、ようやく日本にビールが伝来します。

今回はそんな日本のビールの歴史と、アサヒ、キリン、サッポロ、サントリーら日本のビールメーカー4社の歴史を辿っていきましょう。

【関連記事】紀元前から飲まれていた!?知れば知るほどおいしくなるビール誕生の深イイ歴史

日本のビールの歴史

日本にビールが初めて伝来したのは、江戸時代の1613年といわれています。イギリス船クローブ号が平戸に入港し、その積み荷の中に入っていたビールが、日本に入ってきた記録ではないかといわれています。

その後1724年、今村市兵衛と名村五兵衛が編集した「和蘭問答」の中にビールに関する記述があり、日本人が書いたビールの味に関する最初の記録となっています。

1812年には、長崎の出島にて日本国内で初めてビールの醸造が行われたそうです。ただし、この時醸造を行ったのはオランダ商館長のドゥーフといわれています。

日本人が初めてビールの醸造を試みたといわれているのは1853年頃。蘭学者の川本幸民により、行われました。なお、その翌年の1854年。「日米和親条約」の締結を祝って、かの有名なペリーが船上パーティを開催し、日本側官吏にビールと思われるアルコール飲料をふるまったのではないかといわれています。

※写真はイメージです。

その後、徐々にビールは日本に普及していき、1866年には横浜の英学修業をしている青年たちの間でビールが流行したという記録もあります。

明治時代に入った1869年には、横浜山手46番地に「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」が開設されます。これが日本で初めて開設されたビール醸造所と伝わっています。

その後、1870年には横浜山手123番地に「スプリングバレー・ブルワリー」が開設されました。しかし、「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」、「スプリングバレー・ブルワリー」ともに経営者は在留外国人でした。

日本人により、初めてビールの醸造・販売が手掛けられたのは1872年。大阪の「渋谷(しぶたに)ビール」といわれています。

1885年にキリンビールの前身となる、「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」が設立され、1800年代後半に入ると、日本麦酒醸造会社や札幌麦酒会社など、ビール醸造会社が次々と設立されました。この頃の国産ビール会社の数は100を超える規模にまでふくれ、日本のビール産業は成長の一途をたどり始めます。

【参照】キリンビール 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

アサヒビールの歴史

アサヒビールの前身である「大阪麦酒会社」が設立されたのは、今から100年以上前の1889年です。1891年には吹田村醸造所を竣工。その翌年には「アサヒビール」を発売しました。

その後、「アサヒビール」は1893年にコロンブス世界博で最優等賞を受賞。1900年にはパリ万博でも最優等賞を受賞しました。

1923年には関東大震災で吾妻橋工場などが被災しますが、震災を乗り越え1927年には「アサヒ生特大瓶2リットル」を、1933年には「ビタミンビール」を、1935年には「アサヒスタウト」を続々と発売していきます。

アサヒスタウトの発売ポスター

時代は進み、1971年には日本初のアルミ缶入りのビールを発売します。

そして1987年。アサヒビールの人気銘柄「アサヒ スーパードライ」が登場しました。

【参照】アサヒビール 歴史・沿革

キリンビールの歴史

キリンビールの前史は、前述の「日本のビールの歴史」にも登場した「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」。1888年には『聖獣 麒麟』のデザインをラベルにほどこした「キリンビール」が発売されます。

1907年には、「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」の操業状態を引き継ぎ、「麒麟麦酒株式会社」が創設されます。

1923年には横浜山手工場が関東大震災で被災しますが、1926年には横浜新工場(現・キリンビール横浜工場)を完成させ、その後も日本の各地に製造工場を設立していきました。

※1888年発売時「キリンビール」のラベル

1954年になると「キリンビール」が年間倉出量でトップシェアを獲得。高度経済成長期にはビールの人気がさらに高まっていき、ビール需要は1956年から1964年にかけて年平均成長率20.6%という驚異的な伸びを示しました。1972年には12工場体制となり、シェア60%に達しました。また、洋酒事業にも参入しました。

時代は進み、1986年には日本人の新しい生活意識・価値観を持つ人に向けた「ハートランドビール」を発売。

平成に突入した1990年には一番搾り麦汁のみをぜいたくに使った「キリン一番搾り<生>ビール」が登場。大ヒット商品となりました。

2015年には、キリンビールの社内ベンチャーとして生まれ変わった「スプリングバレー・ブルワリー」が、日本のビール文化発祥の地でもある横浜のキリンビール工場内と、東京代官山の東急東横線の線路跡地という新しい場所に、それぞれ「歴史」と「未来」をテーマにしたお店をオープンし、さまざまな〝ビール体験〟がここから生み出されています。

2020年10月には、国内で初めて、ビールカテゴリーで糖質ゼロ※を実現した商品として「キリン一番搾り 糖質ゼロ」が発売されました。

※100ml当たり糖質0.5g未満のものに表示可能(食品表示基準による)

サッポロビールの歴史

サッポロビールの歴史が始まったのは、1876年と今から約150年前までさかのぼります。北海道開拓のため明治新政府が設置した「開拓使」の事業にはビール醸造も含まれており、「開拓使麦酒醸造所」がサッポロビールのルーツとなりました。1877年には同醸造所でつくられた「札幌ビール」が東京で発売されました。

1881年には開拓使麦酒醸造所で使うホップが全て道内産となります。その翌年、開拓使は廃止されますが、農商務省工務局の所管となり「開拓使麦酒醸造所」は「札幌麦酒醸造所」となりました。

さらに1886年になると官営ビール事業は民営化され、「大倉組札幌麦酒醸造場」として再スタートをきります。その後、渋沢栄一や浅野総一郎らに事業が譲渡され、1887年には新会社「札幌麦酒会社」が設立されました。

※札幌麦酒東京工場

その後、様々な変遷を経て1977年には「サッポロびん生」を発売。この瓶ビールのラベルは特徴的な黒色で、当時は「黒ラベル」の愛称で親しまれていました。

その後「サッポロびん生」は、この愛称を採用し、正式なブランド名となりました。

サントリーの歴史

サントリーがビール事業へ参入したのは、4社のなかでも新しい1963年のことです。それまでサントリー(開業当時は「鳥井商店」)は、赤玉ポートワインの販売、ジャパニーズウイスキーの製造発売などを手掛けていました。

1963年には、当時の社名であった「寿屋」から「サントリー株式会社」に社名変更。同年、ビール事業への参入を決定します。

その後、時代は進み2005年には「ザ・プレミアム・モルツ」が日本で初めて「モンドセレクション」ビール部門で最高金賞を受賞。2006、2007年にも3年連続で最高金賞を受賞します。

【参照】サントリー サントリーの歴史

※データは2021年3月上旬時点での編集部調べ。
※情報は万全を期していますが、その内容の完全・正確性を保証するものではありません。
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※本記事にはお酒の情報が含まれています。20歳未満の方は飲酒できません。
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文/髙見沢 洸

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