昨今の選手寿命の伸びとともに、30歳を超えてもプロサッカー選手を続けることは可能となったが、35歳というと話は別。ケガやコンディション不良に加え、年俸など条件面がネックになる例が増えている。ましてや今はコロナ禍。浦和レッズや鹿島アントラーズといったビッグクラブが2020年シーズンに10億円近い赤字を計上しているため、高年俸のベテラン選手に逆風が吹いているのは確かだ。
指導者よりもビジネスをやりたい
厳しい現実を象徴する通り、2020年は30代以上のプレーヤーの引退が目立った。中村憲剛(川崎FRO)や佐藤寿人(元千葉)は自ら引退決断を下したが、いったんは現役続行を希望しながら断念してユーチューバーデビューした増嶋竜也(元千葉)、プロ選手としては引退しながら、関東1部・クリアソン新宿でプレーしながら他の道を探ることにした小林祐三(元鳥栖)のようなケースもある。
ユニフォームを脱いだ途端、誰もが直面するのがセカンドキャリアをどう踏み出すかだ。DAZNで冠番組を持つ内田篤人(JFAロールモデルコーチ)、川崎に所属しながら指導者を目指す中村憲剛らは恵まれた環境が用意されたが、それはほんの一握り。大半が別の生き方を模索しなければならなくなる。サッカーボールを必死に追いかけてきた人間が30代半ばになって転身するのは至難の業と言っていい。
平山相太(仙台大コーチ)、兵藤慎剛(元仙台)とともに「国見三羽ガラス」を結成し、2004年正月の高校サッカー選手権で全国制覇を果たした中村北斗(元福岡)もその1人。高校3年間に出場した3度の選手権で全試合フル出場を果たすという唯一無二の記録を作った彼は2004年にアビスパ福岡入りし、右サイドバックとして名を馳せた。
2009年にはFC東京へ移籍。2009年ヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)、2011年天皇杯制覇を経験するなど、充実した時間を過ごした。そして、2014年には2005年のU-20ワールドカップとFC東京時代の恩師・大熊清監督(現清水GM)の誘いで大宮アルディージャに移籍した。そして翌2015年に古巣・福岡に復帰すると、同年末のJ1昇格プレーオフ・セレッソ大阪戦で値千金の同点弾をゲット。5年ぶりのJ1復帰に原動力となった。この時に敵将が恩師・大熊監督だったのは何かの因縁かもしれない。「大熊さんも北斗に決められたのなら仕方ないと思ってくれたんじゃないかな」と本人も笑みをのぞかせた。
福岡では2017年までプレーし、2018年には同じ九州のVファーレン長崎へ。生まれ故郷であり、高校時代に栄光をつかんだ地で完全燃焼。2019年末に34歳で16年間の現役生活に区切りをつけた。そして2020年からは福岡のU-18コーチとして新たな人生をスタートさせていた。
「サッカーに対しては本気で挑んだし、プロとして自分なりにゴールまで行ったという実感を持てました。『出し尽くした』というスッキリした気持ちで引退できたし、気持ちよく指導者の誘いを受けられたんです。
でも育成年代の指導者というのは、非常に先の長い仕事。選手の成否は10年後に分かりますよね。そこまで辛抱強く見続けられる小嶺(忠敏=現長崎総合科学大学付属総監督)先生はホントすごいなと痛感しましたね。だけど自分はそういうタイプじゃないと感じた。『指導者よりもビジネスをやりたい』という思いがふつふつと湧いてきて、1年でアビスパを辞めることになりました」
きっかけは子供の乳アレルギー
中村が目を付けたのは、長崎を拠点に大豆製品の移動販売を手掛ける「GOCHISOY(ゴチソイ)」の仕事。彼は4人の子持ちだが、3番目の息子が強度の乳アレルギー。ミルクはもちろん、母親の母乳さえも飲めない状態だった。となると、母親自身も乳製品を摂取できなくなってしまう。子供は子供で幼稚園や学校の給食を食べられず、弁当持参を強いられる。家族全体が「日々の食事をどうしたらいいのか」と頭を痛めていた中、出会ったのが同社の製品だったのだ。
「子供は豆腐は好きじゃないですけど、ゴチソイの製品はデザート感覚で食べられますし、豆乳プリンやチョコレート、ケーキもあって、息子も喜んで食べてくれました。『こういうヘルシーな食べ物を幼稚園や学校が購入してくれたら、アレルギーで苦しむ子供の助けになるな』と実感したんです。
ただ、長崎拠点の店なので、移動販売車は長崎メインで、福岡にはたまに来るだけ。今、自分が住んでいる福岡で勝負したいと考えて、こちらの仕事にチャレンジすることにしました」
ゴチソイの移動販売車は太郎・次郎・志郎の3台があるが、中村はその1台を引き継いで「北斗号」として走らせるべく、1月から本格的に準備に取りかかった。福岡でともにプレーしたGK神山竜一と組み、博多駅周辺や大丸など人が集まりやすい場所を走って売上予測を立てたり、チラシを作ってポスティングをスタートさせるなど、自分たちにできることを少しずつ始めたのだ。それと同時に㈱ビッグディッパーを設立。社長という立場でビジネスに本腰を入れる体制も固めた。
「僕はアビスパのアンバサダーも継続してやらせてもらっているので、そのネットワークを通じてPRの道を探ったり、商品を置かせてもらえる場所を探したりしながら、少しずつ前進しています。2月19日に本格営業を開始したところで、今後は『毎週何曜日は〇〇スーパーの駐車場で1時間販売します』といったように予定をハッキリ決めて、提示していくことで、固定客を獲得したいと考えています」
とはいえ、大豆製品は1つ1つが数百円と単価が非常に安い。数多く売らなければ、ビジネスとして成り立たない。15年間Jリーガーとしてボールを蹴り、数千万単位の金額を稼いできた中村には未知なる世界に他ならない。ビジネスモデルを確立するまでには時間がかかることを覚悟して取り組むつもりだという。
「ゴチソイの製品は長崎で作られているので、それを送ってもらう送料だったり、車のコストだったり、場所を借りる料金だったり、目に見えないコストがかなりかかる商売です。最初は『複数の店舗に100~200個卸して売り切れば利益は出る』と簡単に考えていたけど、置いてくれる店を開拓したり、自分たちの移動販売車で実際に売るのはホントに簡単ではないとしみじみ感じます。
でも何事もチャレンジしなければ分からない。失敗も苦しみも経験しないと分からない。それはサッカー選手と同じです。大豆製品の移動販売という未知なる仕事を始めるんですから、最初からうまくいくはずないと僕自身も分かっています。そうやって試行錯誤しながら新たなビジネスを確立させられれば、Jリーガーの後輩たちにも1つの道を示せるんじゃないかな。僕はそう思っています」と中村はキッパリと言う。
サッカーを教えながら食と子供たちをつなげたい
元Jリーガーが食べ物に関わる仕事を手掛けることで「食と健康の重要性」を広く伝えていきたいという思いも彼の中にはある。自分の息子がアレルギーで悩む姿を目の当たりにして、人間が健康に過ごすためには食べ物の選び方が欠かせないということを、自身の家族の経験から実感した中村だからこそ、この仕事を手掛ける意味があるのだ。
「いずれビジネスが軌道に乗ったら、サッカーを教えながら食と子供たちをつなげる活動、シルバー世代の人たちの健康作りをアドバイスする活動にも展開していければ理想的かなと考えます。そこまで行くのは本当に容易じゃないですけど、トライ&エラーの精神でぶつかっていくしかない。失敗を恐れずに進んでいきます」
始動当初は自身のインスタグラムで移動販売をライブ配信するほか、SNSでの販売日時・場所の告知をしながら、福岡市内での巡回セールスを行う予定。ダイレクトメッセージでの問い合わせも受け付けるという。サッカーとは全く異なるビジネスをどのように軌道に乗せ、収益化していくのか。経営者としての中村北斗が数年後、どのような変貌を遂げているのか。今から非常に興味深い。
取材・文/元川悦子