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意外と知られていない忠犬ハチ公の最期

2020.08.15

意外と知らない忠犬ハチ公の最期

知らない人はいないであろう忠犬ハチ公。

渋谷の待ち合わせ場所としても昔から親しまれている。また、「僕のワンダフル・ライフ」の監督をしたラッセ・ハルストレム氏による映画「HACHI 約束の犬」でも話題になり、世界中の人々にも知られることとなったハチ公。多くの人は、「飼い主であるご主人を待ち続けた犬」ということは知っているだろうが、その背景はどのようなものだったのだろうか。詳細は諸説あるようだが、今回は後世に渡って人々の心の中に生き続けることとなったハチ公について触れてみたい。

―ハチと上野博士との出会い―

1923年(大正12年)11月10日、ハチは秋田県大館市で生まれた。生まれてから50日が過ぎた頃、ハチは列車で米俵の中に入れられ、荷物と一緒に運ばれた。東京帝国大学農学部の博士であった上野英三郎博士のもとへ行くためだった。1924(大正13年)年1月14日のことであった。上野博士と共に生活することとなったハチは、博士が大学へ出勤する際、毎日のように博士宅(現在の渋谷 東急百貨店付近)から一緒に渋谷駅の改札まで見送りに行っていた。

博士は列車に乗り、ハチも尻尾を振ってお見送りをしていたのだ。もちろんお迎えも欠かさなかった。博士が帰ってくる時間には同じ場所へ行き降りてくる多くの乗客の中に博士を見つけると大喜びで駆け寄り、家まで一緒に歩いて帰っていた。それが毎日の日課だったのだ。


画像 当時の渋谷駅 (Wikipedia)


ハチと上野博士 画像 ( Nerd Nomads ) 

―上野博士との別れ―

しかし、この日課は1年4か月後に突然変わってしまう。1925年(大正14年)5月21日、上野博士とハチは東京帝国大学農学部の校門まで一緒に行った。そしてハチは、夕方には農学部校門まで迎えに行ったのだ。しかし博士の姿は見えない。いくら待っても博士は出てこない。その後、ハチは博士がいつものように駅から出てくると思ったのだろう。

渋谷駅へ行き、そこで待っていた。しかし、渋谷駅で下車する乗客たちの一人一人を見ても博士の姿はない。その日、博士は職場である東京帝国大学で脳溢血のためこの世を去ってしまっていたのだ。享年53歳であった。

そうとは知らないハチ。何時間も待ち続けているハチを見て、駅員は家へ帰るように言うのだが、言葉を話せないハチに説明できるはずもない。ましてや、「お前の飼い主はもう二度とここへは来ないんだよ。もう会えないんだよ。」とは。

ハチは博士の通夜、葬儀の間、一切の食べ物を口にしなかった。それはしばらく続いた。博士が最後に着ていた着衣を置いた物置にこもり、ハチは3日間何も口にしなかったのだ。それからも毎日、博士を待ち続けるハチ。博士の逝去後、ハチは博士の内縁の妻であった八重子と世田谷で暮らすようになったという説と、日本橋伝馬町へ引き取られたという説がある。

しかしいずれにしても渋谷からは離れてしまった。しかし、転居先からもハチは愛する上野博士を待つためにまた渋谷駅へ戻った。雨の日も雪の日も、ハチは博士を待ち続けた。列車を見ながら、最愛の飼い主である博士が降りてくるのを“今か今か”と待ちながら。

―上野博士逝去後のハチ―

その後、浅草の親戚に引き取られたハチ。しかしそこからも一人渋谷へ遠くから毎日通うハチの姿を不憫に思ったのか、その後ハチは、上野博士の自宅からほど近い富ヶ谷の小林菊次郎宅へと移された。上野博士宅の庭の手入れをしていた植木職人である。1927年(昭和2年)秋のことであった。

そこからもハチは博士に会うために朝9時頃に渋谷駅へ行き、そして夕方4時頃また渋谷駅へ行く日々を繰り返す。毎日毎日、ハチは博士を待ち続けていた。ある日、いつものように博士を待っていると、突然野犬がやって来て襲われてしまう。その際、耳に大怪我をし、その傷がもとで左耳が垂れ下がるようになった。


画像 Nerd Nomads

それからおよそ10年もの間、ハチは変わらず渋谷駅へ姿を現した。時には野犬と間違われ連れていかれそうになることもあった。それでもハチは、毎日同じ時間、同じ場所で待ち続けた。

その場所は、いつも帰ってきた博士を待っていた場所、「おかえり!」とお迎えしていた場所であった。ハチにとってこの場所は博士と会える最も幸せで特別な場所だったのだ。たとえ今は博士の姿が見えなくても。

ハチと博士が一緒に暮らしたのは1年4か月という短い時間だった。しかし二人の絆は強く結ばれていたのだ。

その頃にはすでに、近所の人や通勤で渋谷駅を通る人々にとって、ハチがいる光景は馴染みのものとなっていた。彼らはハチに食べ物やお水をあげた。中にはハチをいじめたり、追い払ったりした人もいたそうだが、それでも多くの人から可愛がられていた。

しかし、ハチの視線は常に列車へと向いていた。そう、いつ上野博士が降りてきてもわかるように。また、当時の渋谷駅職員が記していた「忠犬ハチ公記録」によると、渋谷駅駅員の中に、ハチのお世話をする「世話役」という係がいたそうだ。ハチが駅構内に寝泊まりできるよう、ハチの世話をしていたのだ。


画像 Japan Daily Press  

―ハチの転機―

1932年(昭和7年)、東京朝日新聞に「いとしや老犬物語」にてハチのことが掲載された。それからまもなく、日本中の人々がハチ公を見るために渋谷駅へと足を運ぶようになった。さらに1934年(昭和9年)、当時の尋常小学校の教科書である尋常小学修身書巻2にも「恩ヲ忘レルナ」と題して掲載されるなど、ハチは一躍有名犬となった。このころから人々は、健気に飼い主を待つハチに対して敬意を表し、ハチのことを「ハチ公」と呼ぶようになった。ハチの行動が日本中の人々の心を掴んだのだ。

1934年(昭和9年)、有志によって「忠犬ハチ公銅像建設趣意書」が作成され、彫刻家 安藤照氏の手によってハチ公の銅像が作られた。その銅像は、ハチ公の最愛の友であり家族である上野博士を待っていたその場所付近に設置された。除幕式は4月21日に盛大に執り行われ、その場にはハチの姿もあったという。

残念ながらその銅像は、第二次世界大戦の際に金属資源供出のため鉄道省浜松工機部で鋳潰されてしまった。終戦前日のことであった。その後、安藤照氏のご子息であり、彫刻家である安藤士氏によって、1947(昭和22年)年8月、再び二代目のハチ公像が作られた。それが現在のハチ公像である。(※現在のハチ公像は、1985年(昭和60年)に駅前広場拡張時に現在の場所へと移動した。)


画像 Nerd Nomads  

―ハチの最期―

1935年(昭和10年)3月8日午前6時頃、約10年にもおよぶ駅で待つ日々は終わりを告げた。ハチ公は、渋谷川にかかる稲荷橋(現在の渋谷警察署向かい側付近)の近くで冷たくなっている所を発見された。この付近にはハチは通常行かなかったという。享年11歳(数えで13歳)、11年3ヶ月26日でその生涯を閉じた。なぜ普段は足を運ばなかった場所にハチがいたのか、それは生前お世話になった人々に最後の挨拶をして回っていたからだという説がある。

ハチ公を知る地元の人々はハチの逝去を悼み、そしてハチ公の博士を思う純粋な忠誠心に対して敬意を表し、ハチ公の亡骸に手を合わせた。告別式は渋谷駅にて、人間と同じように執り行われたという。午後1時には僧侶が訪れ、ハチ公像は花で埋め尽くされた。ハチ公は本当に人々に愛されていたのだ。

―ハチの死因―

ハチの死から13時間後、遺体は東京帝国大学にて病理解剖された。その際、心臓や肝臓には大量のフィラリアが寄生しており、腹水が溜まっていたことが判明した。さらに胃の中からは焼き鳥の串と思われるものが3~4本残っており、それが消化器官を傷つけたのではないかとも考えられていた。そのため、死因はフィラリアまたは消化器官損傷によるものと考えられてきた。

ハチの内臓はホルマリンに漬けられ大学で保存された。2011年(平成23年)、東京大学によりMRIや高度顕微鏡などで再度検査したところ、ハチの心臓と肺に大きな癌があることが発見された。フィラリアは中程度であったため、現在では、直接の死因はおそらく癌によるものではないかと考えられている。

―人々の想い―

どうしてもハチ公を上野博士と一緒にさせてあげたい、そう思った人々は、ハチの骨肉を上野博士が眠る同じ青山霊園に埋葬した。

さらに、上野博士の墓のとなりにハチ公の碑も建てた。これからは愛する博士とずっと一緒にいられるように願いを込めたのだ。ハチ公の亡骸は剥製として保存されることとなった。現在、ハチ公の剥製は上野の国立科学博物館に保存されている。

―上野博士との再会―

ハチ公の死から約90年の時を経て、ハチを想う人々の心がまた別の形となってあらわれた。どうにかハチと博士を再会させてあげたい、何年も待ち続けたハチの想いを叶えてあげたい。そんな想いから、ハチの80回目の命日に上野博士が勤務していた東京帝国大学(現・東京大学)の構内に二人が戻ってきたのだ。ハチがずっとずっと待ち望んでいたいつものその光景を。ハチにとって、つい昨日までいつもの幸せな日常だったこの光景、どんなに待ちわびたことだろう。

犬の寿命は人間よりもずっと短い。時間に換算すると、人間の6倍のスピードで生きているということになる。ハチが博士を待った10年、犬からみると実に60年も待っていたこととなる。そこまで強い愛情で待ち続けたハチ。この新しい銅像のように、きっと今頃は上野博士と再会し、幸せに暮らしていることだろう。

渋谷駅のハチ公像が「待ち合わせの場所」として今も昔も変わらず愛されているのは、もしかすると「ここに来ると大好きな人ときっと出会える。」そういうメッセージが込められているからなのかもしれない。ハチが上野博士を想ったように、犬は飼い主にはかりしれない純粋な愛を注いでくれる。それに応えられるよう、我が愛犬を愛し、幸せな犬生になるよう精いっぱい愛していきたい。

本当の意味で愛犬を護ることができるのは、私たち飼い主しかいないのだから。


画像 Japanistas

1934年(昭和9年)ハチの死より1年前に撮影された写真。


画像 Hachiko: The Akita Who Became a Symbol of Loyalty 

※様々な資料や文献を調べておりますが、本文の詳細については諸説あるものもあります。

文/織田 浩次(PETomorrow編集部)

参考資料/

LittleThings / Old Dog Dies In 1935, Then Thousands Show Up To Mourn His Death

Hachiko: The World’s Most Loyal Dog

The Amazing and True Story of Hachiko 

Janette Dillerstone / Hachiko, one of the most famous loyal dogs, had heart and lung cancer

Petfull /  Japanese Akita Inu: The Story of Hachiko, the Loyal Dog 

The Waggington Post / Old Dog Dies In 1935, Then Thousands Show Up To Mourn His Death

東大ハチ公物語~ハチ公と上野英三郎博士の像を東大に作る会~

歴史秘話ヒストリア ~渋谷とハチ公 真実の物語~

Hachiko: The Akita Who Became a Symbol of Loyalty 

構成/inox.

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https://petomorrow.jp

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