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伝説の高校サッカー選手権決勝を戦った東福岡の最強CBコンビは今…金古聖司&千代反田充のセカンドキャリア

2020.04.16

 新型コロナウイルスの感染拡大で世界中のサッカー界が甚大な影響を受けている。日本では2月にJリーグが開幕したものの、21~23日の開幕節を消化したところで中断が決定。その後、4度も再開が延期され、今は全てのスケジュールが白紙になっている。

 2020年を迎えた直後はこんなことになるとは誰も思わなかっただろう。実際、新年早々はサッカーで大いに盛り上がっていた。最たるものが13日に埼玉スタジアムで5万6025人の大観衆を集めて行われた第98回高校サッカー選手権決勝。技巧派集団・静岡学園が青森山田を3-2と、逆転で下した一戦は見る者を大いに魅了すると同時に、選手権人気を再認識させる絶好の機会となった。

ボールもまともに見えないほどの大雪の中で行われた、伝説の名勝負

 過去のファイナルには数々の名勝負があったが、21年前の98年1月8日に雪の降りしきる東京・国立競技場で行われた第76回選手権の帝京対東福岡戦は特別な一戦と言っていい。ペナルティエリアも雪でかき消されたピッチ上はまともにボールも見えない。そこで史上初のカラーボールが使われたが、蹴ったボールが止まってしまい、まともなサッカーになるはずがない。

 そんな過酷な環境下、勝負を2-1で制したのは東福岡。本山雅志(元鹿島)を筆頭にスター選手が並んだ集団に相応しい優勝だった。東福岡と言えば、長友佑都(ガラタサライ)のイメージが強いかもしれないが、長友の代は選手権2回戦止まり。本山世代は選手権優勝のみならず、高校総体、高円宮杯全日本ユース(現高円宮杯プレミアリーグの前身)の3冠を達成するなど、圧倒的な強さを誇ったのだ。

 その東福岡で、「最強センターバック(CB)」と言われたのが、金古聖司と千代反田充の2年生コンビだった。2人は翌年の選手権でも優勝。連覇の原動力として日本中のサッカーファンから大きな注目を集めた。

大きな期待を背負ってアントラーズ入りもケガに泣かされる

 とりわけ、金古の方はこの時点でフィリップ・トルシエ監督(現U-19ベトナム代表監督)率いるU-20日本代表の主力で、小野伸二(琉球)や稲本潤一(相模原)、高原直泰(沖縄SV)らとともにアジア最終予選にも出場していた。「将来は日本代表のDFになる逸材」と評され、卒業後、1つ先輩の本山の後を追って鹿島アントラーズ入りした。が、予期せぬケガの連続で思うような活躍ができずに苦しみ、ヴィッセル神戸、アビスパ福岡、名古屋グランパスへのレンタルを経て、2009年に退団。その後はシンガポールやインドネシア、タイ、ミャンマーなど東南アジアを渡り歩き、2015年まで現役を続けた。

「2度目の選手権優勝の時は2回戦から肉離れを押して強行出場したんです。そのツケがあったのか、99年2月にトルシエのユース代表で行ったブルキナファソ遠征で左ひざの大ケガをしてしまった。日本が準優勝した4月のワールドユース(現U-20ワールドカップ)も出られませんでした。その後はケガ続きで苦しい時間が長かった。2009年に鹿島を退団した時にはアカデミーコーチの話ももらいましたけど、『このまま引退したんじゃいつまで経っても選手権連覇を超えられない』と感じて、選手仲間に紹介される形でシンガポール移籍にチャレンジしたんです。

 2009~2011年にプレーしたタンピネス時代は『1シーズンしっかりやり切る』と意識して取り組みました。言葉が伝わらず、最初の3カ月は英会話に通ってレッスンを続けましたけど、『東福岡の金古』とか『鹿島にいた金古』じゃなくて『1人の日本人』と見てもらえた。ようやく原点回帰できた気がしましたね。年間通して試合に出て、3年目はシンガポールリーグ(Sリーグ)優勝もした。心身ともに充実した時間を味わいました。

 翌年在籍したミトラ・クカールはインドネシアのボルネオ島にあるクラブ。待遇も悪くなかったけど、突然契約延長の話がなくなったのには困った。2012年年末~13年にかけてジャカルタの安ホテルを転々としながらクラブ探しをしたけど、キツかった(苦笑)。その様子を知ったタンピネスが『戻ってこい』と言ってくれて、2013年はシンガポールに復帰。Sリーグでぶっち切りで優勝しました。最後の2年はタイのアーントンとミャンマーのヤンゴン・ユナイテッドに行きました。最後のヤンゴンは自分から売り込みして契約を勝ち取った。僕もタフになりましたね(笑)。その後も現役を続けたかったし、家族も応援してくれたんですけど、キプロスや中東、マレーシアなどいろいろ探って見つからなかった。それでようやく踏ん切りがつきました」

第二のキャリアは高校の事務員兼サッカー部監督

 波乱万丈の16年間のキャリアを終えた金古さんは今、埼玉県の本庄第一高校で事務職員として働きながら、サッカー部監督として指導に携わっている。母校の恩師・志波芳則に挨拶に行った時に紹介され、最初は1年生5人しかいない状況だったが、4年がかりで100人を超える部員数まで引き上げた。

「最初は事務作業と指導の両方を覚えないといけなかったのでホントに大変でした。部活までは慣れないパソコンでの事務作業しつつ、中学やジュニアユースのクラブを足しげく回って選手を出してもらうようにお願いする日々は大変だけど、やり甲斐がありますね。卒業した選手が会いに来てくれるのも嬉しいこと。まだ全国に行けてないですけど、早く結果を出せるようにしたいです。

 今の高校生を見ていると秘めたポテンシャルを持った子が多いなと感じます。ただ、ホントに突き抜けるのは本田圭佑(ボタフォゴ)のように人と違う視点と強い意思を持った選手。僕が鹿島から名古屋に移籍した2007年、まだ面識のなかった本田からいきなり食事に誘われ『なんで鹿島は強いんですか?』と真正面から聞かれました。『俺、海外行きます』とも言ってましたけど、あの強心臓ぶりはすごかった。自分も海外に出て初めて1人立ちできた実感が湧きましたけど、若い選手には『早く海外に出ろ』と言いたい。今はコロナで難しいですけど、僕も手助けができたらいいと思ってます。と金古さんは力強く前を向いていた。

『東福岡の千代反田』から『新潟の千代反田』へ

 一方の千代反田は高校卒業後、筑波大学に進学。2003年に地元の福岡入りし、プロキャリアをスタートさせた。2007年に移籍したアルビレックス新潟では守備のリーダーに君臨。彼の働きもあって2009年はJ1で2番目に少ない失点数を記録した。

 そして翌10年に名古屋に引き抜かれる形で移籍。高いレベルでプレーできる喜びを感じたが、田中マルクス闘莉王と増川隆洋の両CBの牙城を崩しきれなかった。名古屋が同年のJ1初制覇を決めた11月の湘南ベルマーレ戦は闘莉王のケガで出場したものの、10年J1出場は16試合のみ。翌11年も17試合と状況は大きく変わらず、千代反田自身も悔しい思いをした。

 その後、ジュビロ磐田、徳島ヴォルティスを渡り歩き、海外での現役続行も模索したが、結局、盟友・金古より1年早い2014年末に現役引退を決断するに至った。

「12年間のJリーガー生活を振り返ると一番充実していたのは新潟時代ですね。『東福岡の千代反田』というより『新潟の千代反田』のイメージの方が強いんじゃないかな。他のクラブでもお世話になりましたし、必ずしも順風満帆じゃなかったけど、全てがいい経験になったと今はしみじみ感じます」

 そう話す千代反田さんは引退後、名古屋のスクールコーチに転身。「教えることも1回やってみて残ろうと思えたら続ければいい」という妻のアドバイスを聞いて飛び込んだという。しかし指導に携われば携わるほど「自分は他の元選手と競うよりも別のことをやった方がいいんじゃないか」と思うようになり1年で辞職。親戚や先輩・後輩など知り合いのツテを辿って手あたり次第、就職活動を始めた。同時にリクリートエージェントやマイナビに登録。転職アドバイスにしたがって不動産屋の採用試験も受けた。

 そんなある日、Jリーグのキャリアサポートの関係者から「アサヒビールが若い第2新卒を探しているらしい」という情報を聞きつけ、自らアプローチしてみたという。

「『年齢的にムリだけど、面接の練習をアサヒビールにお願いしてみよう』ということになり、実際にやってくれることになったんです。それが本物の面接になり、2度の面接と一般教養テストを経て入社が決まった。会社側から見ると、かなり異例の出来事だったんじゃないかと思いますね」

35歳にして初めて社会の厳しさを味わう

 2016年4月に入社して、他の中途採用と全く同じ扱いで研修を受けたが、千代反田さんだけは一般社会人経験がない。実際に業務を始めてからお客さんとの電話対応にも多少のストレスを感じたし、相手に怒鳴られることもあった。サッカー選手やコーチはクラブが決めた予定に沿って動くため、自分からスケジュールを組むことすらなかった。35歳にして初めて社会の厳しさを味わってから4年。今は東京総括支社首都圏第二支店で担当課長を務めるまでになった。

「お客さんは酒屋さんや飲食店さんがメインですが、『元Jリーガー』や『東福岡OB』だと知っている営業先はほとんどないです。『名前が変わってるね』と言われることはあっても、東京だとサッカーのことを言われるケースは少ないですね。別の担当から『サッカー好きのウチのお客さんが会いたがってます』と言われたことが一度だけありますけど、それで仕事が取れるわけじゃない。今はコロナのこともあって本当に大変だと実感しますね。

 こういう厳しい時代だからこそ、僕自身がもっともっと実力をつけないといけないと痛感させられます。会社員であっても安泰はないし、自分が飲食コンサルタントとしてお客さんの相談に乗れるくらいにならないと生き抜いていけない。今はまだ『十分やれてる』という実感は持てていません。『これをやった』と納得できる仕事ができる力を身に着けたいと今は強く思っています」

 片や学校、片や大企業で切磋琢磨している金古さんと千代反田さん。今、彼らの戦っている舞台は高校選手権よりもJリーグよりもはるかに難易度が高いのかもしれない。40代になろうという今、2人は過去の栄光と挫折を糧に、いかにしてセカンドキャリアで輝いていくのか。かつてのCBコンビの行く末が非常に楽しみだ。

取材・文/元川悦子

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