南インド料理
どちらも味の決め手がイノシン酸の大阪だし文化とスリランカカレーが出会って生まれた、「大阪スパイスカレー」のブームを雑誌DIMEの連載で採り上げたのは、今から2年前。それから2年で、ブームも一段落し、代わって最近表に出てきたのが、南インドカレーです。専門店も別表の通り急増していますが、それ以上に増えているのが、次ページのマンガに示したような、SNSで20〜30人がキッチンスタジオに集まり、膝が抜けるくらいユルい音楽を聴きながら、お得意の南インドカレーを作って振る舞い合う、クローズドな南カレーのイベントです。
これまで、日本のインド料理店は、実際に店で働いているのは、インドよりも貧しく男がみんな海外に出て稼ぐネパール人がほとんどで、出している料理は8割が北インドの料理でした。北インドは、17世紀まで隣国ペルシャのムガル帝国の支配下にあったため、アラブの宮廷料理の影響を強く受け、羊や鶏の肉をふんだんに使った、クリーミーで複雑でリッチな味が特徴でした。それに対し南インドは、厳格な菜食主義のヒンズー教徒が多いため、食材は野菜が中心。熱帯エリアなので、カレーの味はかなり辛めで、汗で流れ出る水分を補うため、全体に水っぽいのが特徴。北インドのカレーが複雑なプロの料理だとすれば、南インドのカレーは素材の味を生かした素朴な家庭料理で、身体にやさしく、作るのも簡単——日本の意識高い系の人たちが自分で作ろうとするのも、当然、南インドカレーということになります。
南インド料理の味の基本は、スパイシーな香りを放つカレーリーフと呼ばれるハーブ。刻んでスパイスに入れたり、テンパリング(油で熱して、香りを油に移す技法)して仕上げに加えたり、使い方は様々。このハーブを自宅の鉢で育てるのが、マニアの証だと言います。それともうひとつ必ず使われるのが、タマリンドという、カイコのような形をした甘酸っぱい味の豆。こちらは、ペーストにして瓶詰めしたものや、樹脂状にしたものが使われます。南インド料理マニアは、新大久保の『グリーン ナスコ』か御徒町の『大津屋』という専門食料品店でこうした材料を揃えるそうです。
料理として最も一般的なのは、唐辛子と胡椒の辛さで胃を目覚めさせるスタートアップスープのラッサムでしょう。南インド料理は、このラッサムと、日本の味噌汁に当たる豆と野菜のあっさりカレーのサンバル、豆の粉で作った甘くないドーナツのワダ、さらに主菜のカレー数種類を、それぞれカトリと呼ばれる金属製の小さな器に入れ、バナナの葉の上に盛ったインディカ米(ナンは北のもので、南の主食は米です!)の脇にズラリと並べて出す、ミールスと呼ばれる定食スタイルが基本。
日本ではバナナの葉の代わりにターリーと呼ばれる金属の大きな盆が用いられ、南インド感を醸し出すため、バナナの葉の切れ端を添えて出すのが一般的です。
外国料理はどこの国の料理もそうですが、インド料理も、昔は地域の区別なく「インド料理」とひと括りにされていました。が、今考えてみれば、1940年代から50年代にかけてオープンした銀座の『ナイルレストラン』『デリー』、麹町の『アジャンタ』といった老舗は、はじめからバキバキの南インド料理を出していました。
日本人に南インドの料理を最初に意識させた功労者は、1980年代はじめ、商社マンとしてインド最南部のケーララ州に滞在して、同地の料理を学び、帰国後、ケーララ料理の教室兼食事会を日本全国で開催して回った沼尻匡彦(2008年、大田区に『ケララの風』を出店)。それともうひとり、旅行会社の添乗員として料理に魅せられ、自身で『グルガオン』という北インド料理店を出店した宮崎陽。この人が2003年に京橋に開いた南インド料理専門店『ダバ インディア』は、オシャレな内装と本格的な南インド料理で人気を呼び、ここで修業した料理人たちが各地に自分の店を出し、「ダバ系」の店を広げていきました。
『ダバ インディア』は銀座の人気店『グルガオン』を経営する元ツアーコンダクターの宮崎陽氏が、2003年、八重洲の裏通りに出店したオシャレな南インド料理店。食べログでも3.8点台と超高評価。銀座から八重洲にかけて形成された東京一の南インド料理エリアの走りの店。バナナの葉にのせた本格的なミールスを出しています。◆住所:中央区八重洲2-7-9 ◆電話:03・3272・7160