時代に合わせて変化する電報
「電報」は幕末から明治維新にかけて、緊急時の通信手段として生まれてから150年の間、時代の大きな変革とともに、電報もその利用シーンを変えながら、今なおその歴史を積み重ね続けてきた。そして、2020年1月26日に誕生して150年を迎えた。
電報は誕生した当時から、日本全国どこへでも届けることができていたわけではなく、その利用区間は東京・横浜間に限定されていた。当初は、文字が刻印された円盤状の取っ手を回して文字を送信するブレゲ式指字電信機が使われていたが、後に、より通信速度の早い、モールス符号を紙に印字させるタイプのモールス式電信機が採用され、より進化を遂げることに。
とはいえ、創業当時の電報は、受け付けた通信文を局員が毛筆書きして封筒に入れて封をし、配達をするという非常に手が込んだもの。しかし、それだけの手間をかけても、従来の郵便と比較して余りあるスピードを持つ通信手段となったのだ。当時の産業や国防を支える基幹産業だった炭鉱や鉱山、官公庁が電報を早くから導入していたといわれている。
そして、1875年ごろには北海道から鹿児島まで電信線が引かれ、電報の利用区間はほぼ全国に広がることに。明治・大正時代を扱ったテレビドラマ等で「チチキトク」などの電報を受け取るシーンが見られますが、この時代から一般の利用サービスが形成されていく。
時代の流れとともに「電報」の利用は減少してきたが、現在ではビジネスシーンやライフイベントにおいて、大切な気持ちを形として届けるためのツールとして活用されている。
数字で見る電報
今回は電報の利用者のエピソードも紹介しよう。
手紙にしようかと迷ったが、電報でプロの方にメッセージを任せた方がきれいにできると思い申し込んだ。
申し込みながら、いろいろな思い出がよみがえり、最後の内容確認のため文章を読んでもらった時にはさらに感動した。
送った方からは『メッセージを読んで感動し、涙が出た。素敵なプリザーブドのお花もありがとう』と連絡があり、とても嬉しかった。
親身になって受付をしてもらい、感謝の気持ちを伝えたくて電話しました。
NTTの電報にしてよかった。ありがとう。
構成/ino