宅配業者よりも早く、できる限り速やかに届けないと「工場のラインがストップする!」といったクリティカルな部品を海外に届ける職業がある。
その名は、「ハンドキャリー」、あるいはわかりやすく「運び屋」とも呼ぶ。
「ついでに現地で観光もできて楽しそう」という門外漢のイメージとは裏腹に、時には危ない目に遭うこともあるという。
こんな知られざる運び屋の世界を、この道13年のベテランで、先日『食べた! 見た! 死にかけた!「運び屋女子」一人旅』(講談社)を上梓した片岡恭子さんにうかがった。
― 「ハンドキャリー、求人」とググっても、ほとんど求人情報がヒットしないところを見ると、公募でなくいわゆる「リファラル採用」で人材を確保しているのかなと思いました。片岡さんは、どのようなきっかけがあって、この道に入ったのでしょうか?
片岡さん「友人でハンドキャリーをやっている人が二人いまして、その人の紹介で入りました。登録先で一度公募したら希望者が殺到して対応が大変だったそうです」
― 今も年間約35回海外に出ているそうですが、ハンドキャリーの仕事の流れを教えてくださいますか? トラブルもなく最初から最後まで首尾よくいった場合です。
片岡さん「まず空港で荷物を受け取って、税関で託送品として申告します。その後は普通の旅行と同じでチェックインします。可能であれば機内持ち込み、不可なら壊れ物として預けます。
現地到着したら滞在目的はビジネスで入国し、荷物を引き取り、輸入品として申告します。空港で荷受人に引き渡し、もしくは指定された場所までタクシーなどに乗って配達します。受取証にサインと受け取り日時をもらって任務完了です。ごくまれにですが海外から日本に荷物を持ち帰る場合もあります」
豪華な空港のラウンジも見慣れた光景になる(イスタンブール空港)
― 著書を読むと、海外滞在中にいろいろ壮絶なトラブルに巻き込まれていますが、ハンドキャリーがらみで大変だった体験があれば教えてください」
片岡さん「ハンドキャリーでは、せいぜいインドでタクシーに連れ去られそうになったくらいですかね。あとは道路封鎖でタクシーが1台もなくて、夜中のメキシコでスーツケースを引きずって小1時間歩いたこともありました。
スタッフの中には、テロが起こっている空港内に居合わせた人や、革命が起こっている最中にタイミング悪く現地に着いてしまい、空港からとんぼ帰りした人もいます。賭博詐欺や強盗に遭った人もいましたね」
― 逆に「ハンドキャリーをやってよかった」という体験はありますか?
片岡さん「自分のチョイスではまず行かないようなところに行けるところがハンドキャリーの醍醐味です。タイミングよく配達が重なって、アメリカで99年ぶりの大陸横断皆既日食を体験しました。飛行機の窓から双子座流星群が見えたこともあります。中国の旧正月は爆竹でお祝いしていて町中がにぎやかで楽しかったです。頻繁に飛行機に乗るのでとにかくマイレージがたまります。航空会社のラウンジで待ち時間も快適にすごせます」
片岡さんが数度訪れたアルゼンチン(パタゴニア地方)
― 片岡さんの話を読んで、「自分もハンドキャリーに転職したい」と思ったら、最初に何から始めるのが近道でしょうか? そのほか、何かアドバイス)があったら教えてください。
片岡さん「少なくとも最低限の英語は話せるほうがよいと思います。入国審査と税関、そして万が一ロストバゲージした場合は現地語か英語で対応しなければなりませんから。海外に不慣れな人は向いていません。それから、これが肝心なのですがハンドキャリーだけではまず食えないので、並行してできる他の仕事などの収入源も確保してください」
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いかがだったろうか。片岡さんの話を聞くと、物見遊山気分でできる仕事ではないことは、確かだ。一刻も早く届けたい重要な物品を運んでいるという、プロとしての矜持があってこそ、務まるハンドキャリーという職業。海外に飛ぶことが好きで、多少のリスクは物怖じしない、という方はチャレンジする価値はあるだろう。
片岡恭子さん プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年にわたって放浪。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。その後、偶然手にした職、ハンドキャリーが話題となり、さまざまなメディアに取り上げられる。旅にまつわる講演会も多数開催。訪問国は51か国。ハンドキャリー歴13年。他の著書に『棄国子女 転がる石という生き方』(春秋社)。ブログ
文/鈴木拓也(フリーライター兼ボードゲーム制作者)