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先輩に「くん」付けするようになったのはいつから?サッカー日本代表とジャニーズの意外な共通点

2019.07.16

写真:Toru Hanai /Getty Images 

 ジャニー喜多川さんが今月9日に亡くなり、その足跡が改めて注目されている。生まれ故郷・ロサンゼルスで現地のショービジネスに憧れ、歌って踊れる男性アイドルという新ジャンルを確立。たのきんトリオや光GENJI、少年隊、SMAP、嵐などの国民的グループを育成し、売り出した手腕は卓越したものがあった。

 そのジャニーさんが定着させたのが「くん」づけだ。同氏の後継者候補の1人と目される滝沢秀明氏が以前、テレビ番組で「大先輩には『さんづけ』をする」と語った通り、近藤真彦や東山紀之には後輩たちも「さんづけ」で呼んでいる。しかし、それ以降の世代は後輩が先輩を親しみを込めて「くん」づけで呼ぶのが一般的のようだ。SMAP時代の中居正広も木村拓哉も後輩たちから「中居くん」「木村くん」と呼ばれていた。その境界線は80年代後半からと言われるが、今では「くん」づけが普通という常識になっている。

サッカー界でも「くん」づけが主流になったのはなぜ?

 実は、それと似た現象がサッカー界にもある。筆者は25年間、日本代表を取材しているが、平成生まれの選手が増えてきた2010年頃から先輩を「くん」づけする選手が増えてきたのである。最初が誰だったかと言われると定かではない部分があるが、平成生まれ初のA代表選手だった香川真司(ドルトムント)はその筆頭かもしれない。2008年北京五輪代表で一緒だったせいか、2学年上の本田圭佑(メルボルン)のことを「圭佑くん」と呼んでいた。長友佑都(ガラタサライ)とは仲がいいせいか「佑都と呼び捨てにし、岡崎慎司(レスター)にも「オカちゃん」とニックネームで呼んでいるが、こういった現象は彼らより上の世代ではほぼ見られなかった。

 例えば、2000年シドニー五輪代表だった面々を見ても、中村俊輔(横浜FC)は2つ上の中田英寿を「ヒデさん」、宮本恒靖(G大阪監督)を「ツネさん」、1つ年上の柳沢敦(鹿島ユースコーチ)を「ヤナギさん」と呼んでいた。中村の1つ下の稲本潤一(相模原)や本山雅志(北九州)が中村俊輔のことを「シュン」と親愛の情を込めて呼んでいたのを聞いたことがあるが、それもある程度、年月が経ってから。異例のケースだったと言っていい。昭和生まれには「先輩をくんづけで呼ぶ」というのは、やはり違和感のあるものだったのではないか。

 こうした価値観が香川以降の面々は薄かったようで、2012年ロンドン五輪世代の清武弘嗣(C大阪)、山口蛍(神戸)、酒井宏樹(マルセイユ)、酒井高徳(HSV)、宇佐美貴史(G大阪)らは揃って先輩を「くんづけ」で呼んでいた。アルベルト・ザッケローニ監督が率いた日本代表の時代にその傾向が一気に進み、2018年ブラジルワールドカップの時点では大半の選手が本田を「圭佑くん」、長友を「佑都くん」と言うようになっていた。最後まで「さんづけ扱い」だったのは、川島永嗣(ストラスブール)と長谷部誠(フランクフルト)の80年代前半生まれの2人くらい。この2人はジャニーズでいうところの近藤真彦や東山紀之だったのかもしれないが、それ以降の80年代後半生まれ世代は「先輩後輩の壁を取っ払って自由にやるのがいい」といった空気が流れていたように感じられる。

Jユース出身者と高校サッカー出身者の違い

 そうなった一因として考えられるのが、Jリーグクラブ出身者の増加だろう。Jクラブは学校の部活動のように先輩後輩意識が薄く、実力があれば飛び級するのが当たり前になっている。宇佐美などは中3からユースに昇格し、高校2年でトップに昇格していて、つねに年上の選手と一緒にプレーしてきた。だから年齢や上下関係の感覚が希薄になり、「サッカー選手に年齢は関係ない」という考え方を持つようになった。こうした現象が「さんづけ」から「くんづけ」へのシフトを加速させたと見る向きもある。

 確かに高校サッカー出身の柴崎岳(ヘタフェ、青森山田高校出身)は宇佐美と同い年だが、依然として本田を「圭佑さん」、岡崎を「オカさん」と呼んでいる。彼らより2つ下の植田直通(セルクル・ブルージュ、熊本大津高校出身)も同様だ。現在20歳前後の2020年東京五輪世代にしても、前田大然(松本山雅、山梨学院大付属高校出身)や杉岡大暉(湘南、市立船橋高校出身)は6月のコパアメリカ(ブラジル)の際、「岳さん」「岡崎さん」と言っていた。Jクラブ部活出身者の違いは少なからずあるようだ。

 また、「ジャニーズの影響」を指摘する声も一部にはあるように思う。平成生まれの選手たちにとってジャニーズは日常的に見る等身大の若者で、彼らが先輩後輩に関係なく、相手を「くん」づけで呼んでフレンドリーな関係を構築するのをポジティブに捉えていたはずだ。呼ばれる年長者の方も何となく若返ったような気がして気分がよかったのかもしれない。昔のように「自分は先輩なんだから『さん』づけで呼ばれるのが当然だ」といった固い考え方を持つ選手も減り、年長者が年下をイキイキとプレーさせたいと考える風潮も強まった。

 実際、長友などは、今年1~2月の2019年アジアカップ(UAE)で10歳年下のFW北川航也(清水)が持てる力を発揮しきれず苦しんでいた時、「自分たちベテランが若手の持ってる力を引き出せるように環境を作っていかなければいけない」と繰り返し言っていた。これには大迫勇也(ブレーメン)が「長友さんとかからは若手が力を出せないのはベテランのせいだって言ったりしてますけど、それは僕の考えは違って、若手は自分をもっと出してほしいなと思う。こんなチャンス滅多にないんだから」と反論したが、かつての代表は大迫のように上の世代に勝負を挑んでいく血気盛んな選手が多かった。そういう意味で、最近のフレンドリーな和気あいあいとした雰囲気は物足りなく映る。「さん」づけから「くん」づけへのシフトがそういったムードの直接的要因とも言い切れないが、代表が仲良しグループになってしまうのは絶対にいいことではない。

 今後は2000年以降に生まれた世代もどんどんA代表に入ってくるだろう。彼らの多くもJクラブ出身とあって「くん」づけがメインだと見られるが、久保建英(レアル・マドリード)はインタビューでは必ず他の選手を「〇〇選手」と言う。それは中村敬斗(G大阪)や菅原由勢(AZ)も同様だ。対外的にはキッチリと「選手」づけで仲間のことを話し、内輪の時はフレンドリーに「くん」づけというのがこれからのスタイルなのかもしれない。いずれにしても、仲間への呼び名に関係なく、つねにバチバチとバトルが繰り広げられるようなピリピリとした緊張感のある日本代表になるように、選手たちには強い意識を持ってほしいものだ。

取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。

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