テーマ3「悩めるゆとり世代はどうすればいい?!オジ様方からアドバイス!」
Mさん:でもさっきも言ったように、ゆとり世代の中でも、けじめをつけられる子もちゃんといるって、みていて思うよ。巡り合うことは難しいけれどね。
1号:けじめというと、具合的にはどういう感じですか?
Mさん:そうだなぁ…。「ここまではやっていい/ここからはやっちゃいけない」というのをわきまえていて、自分で線引きをしてくれるという感じかな。それが自分の中に出来上がっていない子たちが、ただ自分の中の理想だけで突き進んじゃうんだと思う。
Mさん:確かに。でも反対に、けじめをつけられるような子たちの三割ぐらいは、殻が破られなくて、それ以上育つのが難しいという印象があるな…。
2号:具体的にはどういったところでそれを感じますか?
Mさん:そういう子たちは、自分の頭で考えて行動ができない。つまり応用力が乏しいね。
1号:…やはりそうですか。私は生活していて、そのさじ加減がすごく難しいと感じています。自分の頭で考えて行動する際に、今まで抑え込まれてこなかった分、やりすぎているのではないかとか、自分を信じていいのか、心配になります。
Tさん:そうか。僕たちは学生の頃からずっと、例えば先生に、どこまでやったら叱られるだろうかというのを念頭に置いて、自分の予想のギリギリまでやってみて、もし叱られたら「あ、ここまでか」って、当たって砕けて学んできた気がする。でも、ゆとり世代の子たちは例え当たっても、砕けずにそのままいくか、今まで当たることさえせずにきてしまった子もいるのかもね。
Hさん:なるほど。それだと自分の基準が出来上がらないのも理解できるね。
1号:「自分がない」というのはそこからきているのかもしれないですね…。では例えば、自ら行動したゆとり世代の子に「それはやりすぎなのでは?」と指摘した時の反応は?
Tさん:開き直っちゃう子が多いかな。会社の中の話をすると、上司から言われることは、命令と指示があってね。命令は、例えば上司が明らかに白いものを「黒」って言ったら、部下は白だと思っていても、「黒ですね」って言わなきゃいけない。でも指示は、「え、白じゃないですか?」って言っちゃってもいいんだ。だけど開き直っちゃうような子は、全部指示として受け取ってしまって、もうとにかく自分の思った通りに行おうとする…。仕事をする上では、それが大変かな。
ゆとり世代2名:勉強になります…。
テーマ4「ゆとり世代のいい面を活かした生き方もある。」
Tさん:でもゆとり世代の子たちをみていると正直羨ましいなと思うこともあるんだ。
1号:それはどういったところで感じるのですか?
Tさん:僕らの世代は一般的に「結婚をして、家庭を作る」というのが大前提で、「父親は大黒柱で家族を養っていくもの」という型があった。でも今の若い子たちって、型を気にせずに、結婚したくなければしないし、自分の好きなことをやるじゃない?仮にそれで失敗したとしても自分が選んだことで、全部自分の責任だからっていう風な考えで。
Mさん:僕は全く羨ましいと思わないけどね。
2号:それぞれ意見はあると思うのですが、当時は何故そういった生き方ができなかったのですか?
Tさん:まず、その型が当たり前だと思っていた。それと僕は、年長者からの圧力を感じていたな…。型がない分、ゆとり世代の子たちって自分で自分の道を選ぶ時間が増えているんだと思うんだ。
1号:時代も後押ししている感じもありますよね。
Tさん:でもそういった風潮が柔軟な選択を生む一方で、さっき言ったような「理想だけで突っ走るようなタイプ」を生んでしまっている気もする。
Mさん:そうそう。自分が納得できなければやらない、とかね。
2号:柔軟な選択をしながらも規律は守るというのが大切なのかもしれないですね。
Hさん:でも僕は、今の若い子たちって大変なんじゃないかなとも思う。我々の時に嫌でもあった「型」っていうものがないじゃない。だから全部自分で選ばなきゃいけない、というのは、きつい子にはきついよね。
1号:そうですね。先ほども話題に出たように、自分を持っていないときつい時代ですね。でも自分で選択して動き出す、面白い人たちが増えているとも思います。
Hさん:そうだね。それはゆとりの成果だよね。テレビとかを観ていて、自分の得意な面を活かして活躍している人をみると、すごくいいと思う。
Mさん:だからさ、自分のやりたい事や目標のために、「その道筋で、今ここで働いる」っていう考え方ならいいんだよ。それを勘違いして、自分の意見が通らなかったからやってられない、という辞め方や考え方は違うと思うな。
1号:でも目標があって、その道筋というのは、認めて下さるんですね。
Mさん:僕はいいと思う。あえていばらの道を選ぶというのなら、むしろ応援したいって思うよ。
元々、「詰め込み教育」が問題だとされて、それを改善するために始まった「ゆとり教育」。よく「ゆとり世代は〇〇だ。」と揶揄されることが多いが、その自由度の高さによって新たな価値観が生まれ、人生に対して柔軟な選択が可能になったという利点もある。話の中にも出たように、自由度が高いということは自分で選択しなければならないという難しさも同時にあるわけだが、その利点を活かし、確かな意思を持った選択をすること、それを、規律を守って行うことができたのなら、「ゆとり教育」は最大限に生かされるのではないだろうか。各々育ってきた背景や時代感から生まれる特徴があるのは仕方がないことで、違いを埋めるのは容易ではない。しかし、世代が違っても分かり合える、普遍的なものも確かにあることが分かった。できるだけお互いが尊重し合い、お互いの考え方を認め合えるように作用しあえたなら、より働きやすい環境に、そして社会になっていくのかもしれない。
取材・文/那須凪瑳