シーヴィーは、フランク・サイドボトムになる前、イギリスでそこそこ成功したミュージシャンだった。70年代終わりから80年代初めにかけてザ・フレッシーズというバンドのフロントマンを務めた。ファスベンダーほどではないにしろイケメンの部類で、ロマンチックソングを歌うのも様になっている。
ザ・フレッシーズとしては『I’m in Love with the Girl on the Manchester Virgin Megastore Checkout Desk』という曲が多少の注目を集めるヒットになったが、ブレークとまではいかず、地元マンチェスターのテレビ、ラジオでの活躍が主だった。
作詞、作曲ができて、歌えて、楽器も弾けるシーヴィーは、イラストを描いたり、それを形にするのも得意、加えて独特なお笑いのセンスもあった。自分で考えたフランク・サイドボトムというキャラクターの張りぼてを自作し、自分がそれを被った。
そして、コメディーソングを歌い、ギャグをかますフランク・サイドボトムが誕生した。
『Being Frank: Chirs Sievey Story』の中では、「才能がある。けれど、それは成功しないこともある」という子供の頃の先生による評が紹介される。いろいろなことをしては、褒められたり、叱られたりしていたのであろう少年クリスが目に浮かぶようだ。
その少年が大きくなって、いろいろなことをしては、成功したり、挫折したりして、最後は文無しというわけだ。成功したのはフランク・サイドボトムとしてだったが、ほんとうにやりたかったのは音楽だった。
文無しからも推測されるように、計画性がなく、先のことを考えない、今が良ければの人と近親者に評されるシーヴィーだったが、晩年近くには人気も下火になっていたフランクでもう一度返り咲いて注目を集め、それから被り物を脱いで中身はクリス・シーヴィーと明かし音楽活動につなげる計画を立てていたという。亡くなったのは、フランクとしての活動を再開した頃だった。
昨年、10月のロンドン映画祭での上映後に登壇したサリヴァン監督は、「これは意図的に長いこと自分のアイデンティティーをあるペルソナの陰に隠してきた人の映画です。それがどんな人であったかについて正直です。アルコールやコカインの問題を抱えてもいた彼だけど、どういう人であったのか語る時だと思いました」とコメントした。
文無しだったのには、やはり、そういう問題も絡んでいたのか。それにしても、こうして周りにいた人々によって葬儀ばかりか2本の映画までできたとは、ある意味、お金以上のものを残した人生だったと言えそうだ。
文/山口ゆかり
ロンドン在住フリーランスライター。日本語が読める英在住者のための映画情報サイトを運営。http://eigauk.com