先人を超えるような160kmの目標
その指針のもとで、「誰もがやっていないことをやる」「非常識な発想を持つ」、そして「自分で道を切り開いていく」という思いを大谷は強くしていった。
新たな発想力を身につけるためには、先人を超えようとする意識や姿勢も大事になる。憧れの選手のようになりたい。「誰かみたいになりたい」と考えるのではなく、その領域を「超えたい」と思わなければいけない。そのためにも、具体的な数値目標を持つ重要性を、佐々木監督は多感な時期の大谷に伝えた。
「具体的な数値を与え、本人が目標を持つことで、人は目指すべきものが明確になります。目標には、そもそも数字がないといけない。また、計画がセットされていないと目標とは言えないと思います。ですから、選手たちには数値やライバルといった具体的な目標を持たせて、それを達成するための計画を立てるように言い続けています。大谷にとっては、160kmという数値が大きな目標になったと思いますし、その目標自体が彼を引っ張ってくれたと思います」
多くのメディアで紹介され、今ではすっかりと有名になったが、花巻東高校には具体的な目標と、そのための取り組みを書き記す目標達成表がある。「目標達成シート」とも呼ばれるその用紙は、選手全員が入学後すぐに書くものだ。いわゆる、人生の大きなライフプランを記したようなもの。将来的にはどうなりたいのか。何をやりたいのか。そのためには何をしなければいけないのか。高校3年間で、マス目の言葉を修正したりもする。用紙の中央部分に書いた言葉が、その選手の大きな柱となる大目標になるのだが、大谷は高校1年時に「ドラ1 8球団」と書いた。その時点では、日本プロ野球のドラフト会議で8球団から1位指名されるような選手になることを目指した。
目標を達成するために、自身に必要な要素として、ピッチャーとしての「キレ」や「コントロール」、さらに「体づくり」や「メンタル」という言葉を書き込んでいる。また、「人間性」や「運」という言葉も。そこには、彼のこんな思いが含まれている。
「ちゃんとした人間に、ちゃんとした成果が出てほしい。どの分野においても、僕はそう思っています。真面目にやってきた人間が『てっぺん』に行くべきだと思っていますし、それなりの成果を出すべきだと思っています。本当の意味でのトップの人間とは、そうあるべきだと僕は信じてやっていきたい。今でもそういう気持ちがあります」
小学校に入学したばかりの頃に大谷家へやってきた愛犬「エース」とともに。
取材・文
ささき・とおる/1974年岩手県生まれ。スポーツライター。主に野球をフィールドに活動する中で、大谷翔平の取材を花巻東高校時代の15歳から続ける。近著『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』(扶桑社)がヒットとなっている。