今度は、永代通りを渡って、南の大横川のほうに行ってみよう。
深川は「東洋のベニス」とでも言うべき水の都。幕府は深川に、現代の道路や鉄道に当たる運河を網の目のように張り巡らせ、都市に必要な物資を隅田川から深川に運び込み、運河沿いの倉庫に貯蔵した。たとえば、富岡八幡宮の東500mの木場公園には、材木を貯蔵する「木場」があったし、北東200mの平久川沿いには干したイワシを貯蔵する「干鰮場」が、大横川の南の細い古石場川が流れる古石場町には「石置場」(MAP 5)があった。
木場は1982年に新木場に移転したが、昔は、門前仲町周辺に羽振りのいい材木問屋の旦那や番頭が大勢住んでいて、江戸後期、門前仲町はそうした旦那衆・番頭衆を相手にした岡場所(幕府公認の吉原のような遊郭ではなく、私娼屋が集まった歓楽街)として賑わい、1842年に岡場所が廃止された後も、芸者と遊ぶ花街として発展した。
深川は江戸城から見て辰巳(東南)の方角にあったため、門前仲町の芸者衆は辰巳芸者と呼ばれた。辰巳芸者はきっぷのいいことで知られ、「深川祭」が「水かけ祭」と呼ばれるのは、そんな辰巳芸者が沿道からみこしの担ぎ手に水をぶっかけたのがキッカケだと言う。
大横川と永代通りの間を走る2本の路地には、そんな往時の花街の雰囲気が色濃く残っている。中でも大横川に架かる石島橋のたもとの『金柳』(MAP 6)は、最も花街らしい風格ある一軒家の料亭だ。
この2本の路地にはふぐ料理屋も多く、そんな中の一軒、1948年創業の老舗『幸月』(MAP 7)に入ってみると、ふぐのコースは7350円からあり、二人で食べてひれ酒を飲んで、勘定は2万円ちょいだった。六本木や銀座でふぐを食べるくらいなら、タクシーでここまで足を伸ばして食べたほうが安いし、店にも風情がある。
『幸月』の近くには、ネギトロの発明者として知られる伝説の鮨職人・佐々木啓全が、銀座の店を息子に譲り、隠居のつもりで開いた『海鮮立飲処・太陽』(MAP 8)がある。佐々木が亡くなってから鮨は出していないようだが、店はあいかわらず繁盛している。
作家・小林信彦によれば、門前仲町の鮨は築地で働く口のおごった人たちがつまみに来るので、昔から安くて美味いのだそうだ。通りには『あおき』『匠』など、よさげな鮨屋がたくさんあるので、小林説をお確かめいただきたい。
門前仲町デートは、大横川沿いのこの界隈で完結できるのだが、食事の後は、できたら、永代通りを再度渡り、間口1間(1.8m)、奥行き2間(3.6m)の飲み屋が32店軒を連ねる「辰巳新道」(MAP 9)に足を伸ばそう。今どきの女子にはきっと喜ばれるはず。
二人の仲が盛り上がったら、東陽町のオークラ系列のホテル『イースト21』まで、タクシーでワンメーターだ。
『幸月』
1948年創業のふぐ料理店。木造2階建て一軒家で、高級感はない代わりに、たたずまいはなかなかのもの。深川の花街の雰囲気を今にとどめる一軒だ。
◆電話:03・3641・3216 ◆住所:江東区富岡1-2-5 ◆17:30頃〜22:00頃 日祝休(要問合せ)
辰巳新道は、新宿ゴールデン街や吉祥寺のハモニカ横丁のように、小さなスナック、居酒屋、焼き鳥、鮨屋などが軒を連ねるy字型の路地。夜、そぞろ歩けば、まるで演歌の世界に入ったかのよう。
取材・文/ホイチョイ・プロダクションズ
※記事内のデータ等については取材時のものです。