そして至る所に地雷が隠されているのも意識高い系中年の特徴でして。よく、地雷踏んだっぽい、あの冗談ダメだったの!? なんて会話が裏で交わされます。お酒の席だったりするとその頻度は増大しまして。この人はジョークが好きだから大丈夫だろう、ツッコミ入れても良いだろう、と気を緩ませて発言した途端、真顔で返されたり感情的に持論をまくし立てたりされるのですから、戦々恐々となるわけです。そしてそんな地雷がたんまり埋もれていらっしゃるから、お酒も美味しくないのですね。
ベースは高級志向ですから、身なりや持ち物には金と拘りが掛かっているわけです。王道ブランドだろうが敢えて外した物だろうが、必ず付いてくるのは評論でして。シンプルに好きだから気に入ったからで良いのに、熱烈に言葉をくっ付けてニンマリするのですね。言ったった、と。極め付けは要らぬオススメ。君もこういう物一つは持った方が良いよ、なんて具合に。大きなお世話だと内心毒づいた、という同世代は結構居ました。
「系」と言われてしまうのは、そんな見えるものばかりに金を使っているからで、例えば体型やエチケット、マナーには気が向いてないなんて人が多いのです。ここの店の◯◯が絶品なんだよ、なんて評論しつつ箸の持ち方が最悪、食べる姿勢も最悪な中年を見た時は、何だかやる瀬なさを感じました。
デリカシーがないのはお約束と言って良いほど、意識高い系中年の特徴でしょう。女性に話を聞くと、過度な下ネタを振ってきたり、完全にセクハラな質問をされたりと、中々困っている声がよくありました。シラフの時はデリカシー無し、酔うとセクハラ、なんてエピソードも。嫌われても仕方なし、であります。
固定観念が強い故、若者を斜めにみているという節もありまして。「ゆとりだから、さとりだから」から始まり、「あれは男じゃない」「女は通常云々」「同性同士なんて」といった事まで。そしてやはり頑なにそれを翻さないのですね。
さて、長々と綴ってきましたが、いかがでしたでしょうか。全ての年配がそうだとは言っていません。中には本当に寛大で、尊敬できる人格の持ち主も確実に居ます。
「意識高い系中年」とは。自分が作った常識や見解のテンプレートから外れる者に容赦ない人、という事かもしれませんね。
これ以上煽りましても、何だかんだ煩く叩かれそうな気が致しますので、この辺りで。
文/松永舞香
■連載/ゆとりのトリセツ