北欧の異国で10年間、確固たるキャリアを構築したオンリーワンプレーヤー
2026年夏から欧州主要リーグと同じ8月開幕・6月閉幕のシーズンに移行し、熱戦が繰り広げられているJリーグ。「ここから、世界だ」を合言葉に、世界最高峰基準に近づいていこうとしている真っ只中だが、欧州の中には4月開幕・10月閉幕のリーグも存在する。
その1つがフィンランドだ。同国はまだワールドカップ(W杯)出場経験はないものの、2021年の欧州選手権には初参戦。着実にレベルを引き上げつつある。
昨今は日本人選手が数多く欧州5大リーグに参戦しているため、地味な印象はあるだろうが、同国のクラブでもUEFAヨーロッパリーグ(EL)やカンファレンスリーグ(ECL)に参戦できる。十分にやりがいのあるリーグと言えるのだ。
この地で足掛け10年間、確固たるキャリアを築き上げてきたのが、かつてアルビレックス新潟やセレッソ大阪でプレーしていた39歳・田中亜土夢だ。彼は内田篤人(なでしこジャパンコーチ)、槙野智章(藤枝監督)らとともに2007年U-20W杯(カナダ)にも参戦したことのあるベテランアタッカー。2015年2月にフィンランド初挑戦に踏み切っている。
当時加入したのは、同国最大の名門・HJKヘルシンキ。2015~2017年の3シーズンは同クラブで活躍し、いったんJリーグに復帰。セレッソで2019年末までプレーした。
しかし、彼はコロナ禍真っ只中の2020年3月、再びHJKに移籍することを決断。同クラブで2024年末まで5年シーズンプレーした後、2025年1月にはFCコーテーペー(KTP)に新天地を求め、現在に至っているのだ。
サッカーの町・コトカで、自ら日本企業相手に個人スポンサー営業も!
「2024年末の時点でHJKからはセカンドチームのオファーがありましたが。が、僕としては1部でやりたい気持ちが強く、その申し出を断って、2025年からKTPに移籍しました。本拠地はヘルシンキから130キロほど東に行ったコトカ。人口が5万人程度の田舎町ですけど、『サッカーの町』と言われるほどの熱気があるんです。
というのも、1960~80年代に活躍したアルト・トルサという偉大な選手が活躍し、スタジアム名にもなっているから。有数の英雄を輩出した場所としてフィンランド国内では大いにリスペクトされています。
スタジアムの収容規模は5000人弱ですけど、お客さんも沢山来てくれますし、僕がプロ入りして最初にプレーした新潟に雰囲気が似ているなと。本当にいい環境でやれているなと実感しています」と田中は微笑む。
同クラブは2025年に1部(ヴェイッカウスリーガ)最下位になり、2部(イッコスリーガ)に降格。2026年はフィンランドに来てから初めての2部を戦うことになった。こうした中、今季はボランチやトップ下で16試合に出場。2ゴールをマークした。今季は独自で個人でスポンサーを探すなど過去にない経験を積み重ねながら、チームの勝利、1年での1部復帰に貢献したという。
「近年のKTPはエレベータークラブで、1部と2部を行き来している状況でした。ただ、2027年はクラブ創立100周年の記念すべき年。どうしても1部にいる必要があったので、僕としても上がれてホッとしています。
もともとクラブの資金規模が小さく、今季は2部に落ちたことで年間予算が1億円にも満たない感じだったので、僕も個人スポンサー営業に力を入れました。HJK時代も個人スポンサーを探しに着手し、セレッソ時代のつながりから大阪の雑貨・菓子の融合企画会社『ヘソプロダクション』の協賛を2年間得ていたんですが、KTPに来てからは『(花王の)キュレル』、サウナ事業を手掛ける群馬の『群栄美装』という会社が運営する『温窟サウナかま蔵』の2つのロゴをユニフォームスポンサーとして入れてもらっています。
日本企業との関係が生まれるのはクラブにとってもメリットが大きいこと。僕の存在もあって、KTPに投資したいと考えてくれる日本企業が現れるかもしれませんし、そういう方向に導いていきたいという思いもあります」
自ら英語資料作成・プレゼンを経て、10月には「ジャパンデー」開催。3000人が来場!
単にピッチ上のパフォーマンスだけでなく、ビジネス面にも目を向けられるのが、ベテラン選手の強み。10月には『ジャパンデー』も開催。地元企業・日本企業から『ちょうちんスポンサー』を募り、協力を仰いだという。
「北欧の田舎町で日本文化を伝える機会というのはなかなかない。コトカの町やキュメンラークソ県の自治体にとっても初めての試みでしたけど、積極的に協力してもらうことができた。僕自身もスポンサーを集めるために、自分なりにパワーポイントを使って英語の資料を作成して、それを基に営業をかけました。自分はもともとあまり多く喋るタイプじゃないので、こういう形が一番合っていますね(笑)。
結局、30社くらいの企業が協賛してくれて、イベント当日には約3000人の来場者があった。5万人の町でこれだけの人が来てくれたのは画期的なこと。来年以降はもう少し大きなイベントにするべく、ここから動いていくつもりです」と田中は持ち前のバイタリティを前面に押し出し、異国で自分らしいアクションを起こしているのだ。
フィンランドのサウナ文化を伝える活動も6年目に突入。いずれはビジネス化も模索
ご存じの通り、彼は生粋のサウナ―としても知られている。2010年10月からは「MOI SAUNA」のサイトを立ち上げ、フィンランドの魅力や文化、サウナを数多く紹介。HJKでもKTPでも背番号はサウナにちなんで「37」を貫いているほどだ。
「MOI SAUNAのサイト更新は今も継続していますし、サウナ好きの人が実際に日本からやって来るケースも増えてきた。彼らをアテンドすることもあるんですけど、『MOI SAUNAのサイトを見て、ここに来ました』と言ってもらえたりするのは本当に嬉しいことですね。
フィンランドには公衆サウナが町のあちこちにあって、アパートにはお風呂のようにサウナが各部屋についていたり、アパートの住人が入れる共同サウナがだいたいは備わっています。週1回・月4回の利用でどこも10~15ユーロ(1750円~2625円=1ユーロ175円で計算)“サウナのサブスク”みたいな感じです。僕が通っているのは毎週金曜日の17~18時ですね。そういった文化を体験したくて、日本からのサウナ―が訪れるんだと思います。
一方で、日本のサウナも今、すごく盛り上がっている。それをフィンランド人に体験してもらうような試みも考えたいですね。日本に連れていくのが一番早いんでしょうけど、いずれはサウナツアーの企画やアテンドなどをビジネス化できたらいいなというボンヤリした願望も抱いています」と田中は今後のビジョンの一端を明かす。
異国でつねに直面するビザ問題。クラブとの契約延長とビザ確保に四苦八苦
彼がフィンランドで本格的にビジネスをしていこうと思うなら、永住権を取得するのがベスト。最近はオーストラリアに移籍した選手がサッカークラブのサポートを受けながら永住権を取得し、同国と日本でビジネスを展開するようなケースも増えているが、田中もフィンランドで同じようなことができるのではないか。
「アスリートビザで居住している僕の場合、チームとの契約期間以外の滞在許可は降りません。契約が切れたらその月末までに出国しなければいけなくなるんです。フィンランドのクラブの場合、契約が切れるのはシーズンが終わったその月末。つまり10月末です。まさに今が真っ只中なんです。
だからこそ、すぐに来季の契約を決め、滞在許可が切れるまでに契約書にサインし、その書面をイミグレーションに提出しないといけない。これが毎年、物凄く大変なんですよ。
契約終了後に日本に一時帰国し、チームを探したり、来季の契約交渉をすることも可能ですけど、自分がそれを選択せず、毎年シーズン終わりに奮闘しているのは、『フィンランドと日本の架け橋になる活動』をするうえで、フィンランドに居続ける必要があるから。
長期滞在ビザ取得のハードルも上がったと聞きますが、これからも『両国のつなぎ役』としての活動を進めるためにも、道を模索し続けたい。まだまだ体は動きますし、現役引退は考えていないので、サッカー選手・田中亜土夢として戦い続けていくつもりです」と彼は将来的展望をイメージしつつ、まずはKTPの創立100周年となる2027年に1部リーグで完全復活を果たす構えだ。
2025年大阪万博では「北欧パビリオンフィンランドアンバサダー」としても活動
いずれにしても、現地に長く住み、奥深さに触れ、多彩な活動をしている田中の存在価値は着実に高まっている。その象徴と言えるのが、2025年の大阪万博で『北欧パビリオンフィンランドアンバサダー』に抜擢されたこと。建築家・北村泰之とトークショーを行い、フィンランドの魅力を発信したが、大好評を博したようだ。
「話のメインはサウナではなくて、アルヴァ・アアルトという偉大な建築家のことでした。彼が建てたアパートはフィンランド国内に13あって、僕は今、彼がコトカの工場エリアの従業員用に建てたアパートに住んでいるんです。そこが今年、ユネスコの世界遺産に登録されたんですが、とにかくカッコいいんです。
もちろんアルヴァ・アアルトは教会など大きな建物も作っているんですが、そういった魅力をサッカー選手の僕が伝えるのはすごく面白かったですね」と彼は1年前の貴重な体験を振り返る。
別分野の同国エキスパートとの出会いを経て、さらに“フィンランド愛”が強まったという田中。地元観光局から依頼を受け、日本帰国時にはキュメンラークソ県のプロモーション活動も手掛けなど、このエリアにはムーミンの作者であるトーベ・ヤンソンが描いた壁画やアアルトの建築物、壮大な自然などもある。それを日本にもっともっと伝えていくことで、両国のつなぎ役の仕事が成立していけば理想的だ。
「KTPを欧州の大会に連れていくのが今の目標」。オンリーワンの生き方を実践
「僕はいろんなことに興味関心があって、日本ではできないような活動にも参加させてもらっていますけど、やっぱりサッカー選手でいることが一番大事。現役を長く続けて、KTPという歴史ある小さなクラブをELとかECLといった欧州の大会に連れていきたいというのが、今の最大の目標です。
フィンランドでは、日本人で一番知られているスポーツ選手はスキージャンプの葛西紀明さん。フィンランド人からも応援されるほどの絶対的レジェンドです。僕はその次くらいの位置づけかな(笑)。そこまでの基盤を作れたのは本当に嬉しいことです。あと23試合で1部・200試合達成できるので、そこは絶対にクリアしたい。来年も再来年もこの国で戦い続けられるように頑張ります」
こう語り、目を輝かせた田中。彼のような”オンリーワンの生き方”を実践するサッカー選手はなかなかいない。だからこそ、この男に改めて注目してほしいものである。(本文中敬称略)
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。




DIME MAGAZINE




















