ウルトラマン。今や誰しもが知っている特撮ヒーロー番組の金字塔である。
M78星雲にある光の国から来た宇宙人が、科学特捜隊の隊員ハヤタと一心同体になり、怪獣と戦う。ウルトラマンの身長は40m、マッハ5で飛行することができ、ハヤタはベータカプセルを使うことでウルトラマンに変身することができる。スペシウム光線、八つ裂き光輪といった必殺技を使いこなし、恐るべき巨大怪獣を倒していく。
が、その一方でウルトラマンは無敵ではなく、地球での戦闘可能時間は極めて短い。これは広く知られた「3分間のリミット」。回によって実際の尺は異なるものの、どのみちウルトラマンは数分間しか地球にいられない。戦闘可能時間が限界に近づくと、胸のカラータイマーが鳴る。
そんなフォーマットを確立させたウルトラマンは、実は放送開始直前まで一般視聴者からあまり期待されていなかったという。

特撮の第一人者・円谷英二
1966年1月2日、TBS系列で円谷プロの『ウルトラQ』という番組の放映が開始された。
円谷プロの初代社長・円谷英二は戦前から「特撮の第一人者」として知られていた。アメリカの怪獣映画『キングコング』に魅了された円谷は、その後の人生を特撮に捧げると同時に、日本映画界を永久に変えてしまう。1937年公開の日独合作映画『新しき土』で、円谷は大地震で倒壊する家屋を再現し、さらに日本で初めてスクリーンプロセス装置を導入する。これらの技術は、ドイツ側の制作者を驚愕させた。
円谷は戦時中、『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年公開)の特撮を手掛け、戦後は誰しもが知っている『ゴジラ』(1954年公開)の制作に携わる。どちらにも共通するのは、「絶対に起こり得ない本物」をスクリーンの向こうに登場させてしまったことだ。『ハワイ・マレー沖海戦』は疑いようのないプロパガンダ映画だが、軍用機の搭乗員が撮影した実際の真珠湾攻撃の動画は映画では使用できなかった。手ブレが酷く、臨場感がまるでなかったからだ。
したがって、戦闘シーンは「手ブレのない空撮」を実現させる必要があった。それを可能にするのは特撮しかない。
『ウルトラQ』の放映は、円谷から見れば最晩年に差しかかった時代である。怪獣や宇宙人が関わる超常現象を主人公が追跡するというフォーマットだが、これが恐るべき高視聴率を叩き出した。
この番組の放送枠は日曜19時。『ウルトラQ』は、初回から安定して30%を超える視聴率を叩き出す。当時のプロ野球が月曜と金曜を休みとした週6試合(日曜日にダブルヘッダー)だったことも考慮すると、『ウルトラQ』は日本テレビの巨人戦中継(テレビ・ラジオを含む)と真っ向から戦い、引けを取らなかった事実が見えてくる。文字通りの「怪物番組」だったのだ。裏番組だった手塚治虫アニメ『W3』が、『ウルトラQ』のせいで視聴率を大きく奪われてしまった話は有名だ。
前夜祭は盛り上がらなかった?
そんな『ウルトラQ』から日曜19時の枠をそのまま引き継いだ『ウルトラマン』は、当時としては新しいフォーマットだった。
怪獣が一方的に暴れるのではなく、それに対抗できる正義の宇宙人がやって来て最終的に怪獣を倒してくれる。この記事では、そうした方向性が番組放送直前の頃に大衆からどう認識されていたのかに注目したい。
以下は朝日新聞1966年7月12日付の記事である。見出しは『盛りあがらぬ前夜祭 ウルトラマン』。
TBSテレビで、こどもに人気のある「ウルトラQ」がおわって、かわりに「ウルトラマン」がはじまる。十日(夜7時)はその前夜祭とかで、東京・杉並公会堂にこどもを集めて怪獣たちを登場させた。ウルトラQでおなじみのガラモンや、ウルトラマンに登場するバルタン星人などが奇声をあげて出てくるのだから、会場はワアワアわくかと思われたのに、案外冷静。なにしろ特殊撮影で巨大になる怪獣たちが、人間大の原型でヨタヨタあらわれるのだから、茶の間の息子なども気勢をそがれた様子。マイクが会場の坊やに「ウルトラQいつもみてる?」「ウン」「こわい?」「こわかないや」「夢にみる?」「みないよ」と、盛りあがらない。
ウルトラQは、マンネリ化した科学アクションまんがの乱立のあいだを縫って登場し、こどもたちの想像を前世紀や宇宙や四次元の世界へと解放した。なかなか新鮮であった。
(中略)
ウルトラマンでは、怪獣にたちむかう科学特捜隊と、そのピンチをたすけるナゾのスーパー・ロボットが登場して、頭突き、空手チョップと力道山ばりに対決するそうだ。どうやらこの図式は、さきにマンネリ化したアクションまんがに似てくる。マーチふうの主題歌もただカッコいい活劇ふうになり、ウルトラQのミステリーは失われた。視聴をお相伴するおとなとしてもいささか残念である。
(朝日新聞1966年7月12日 東京朝刊『盛りあがらぬ前夜祭 ウルトラマン』)
このイベントは厳密に説明すれば、7月9日に杉並公会堂で開催された『ウルトラマン子ども大会』を翌10日にTBSが『ウルトラマン前夜祭』として収録放送したものだ。
『ウルトラマン子ども大会』では様々なトラブルがあったことは、現代にも伝わっている。が、上の記事を書いた朝日新聞の記者は酷評が中心の記事を書く前に、あと1週間ほど執筆を待てなかったのだろうか?
1966年7月17日放映の『ウルトラマン』第1回『ウルトラ作戦第一号』で繰り広げられたのは、子供たちが胸の奥底で温めていた「もしも怪獣を倒すヒーローが現れたら?」という願望そのものだった。
圧倒的な力を振り回す怪獣ベムラーを目の前に、ハヤタ隊員がベータカプセルを使ってウルトラマンに変身する。強大な力に対する強大な力がブラウン管の向こうに創生され、子供たちは偉大なヒーローの雄姿に全身を震わせた。
これだ、これこそ僕らが待ち望んでいた光景なんだ!
自尊心の象徴
『ウルトラマン』は、日本の持つ特撮技術の集大成的作品だったと見ることもできるのではないか。
それと同時に、『ウルトラマン』は時代のマイルストーンでもあった。1966年といえば、高度経済成長期の真っ只中である。毎年10%の成長を遂げ、耐久消費財が飛ぶように売れた時代だ。あれだけ欧米に対して劣等感を抱いていた日本人が、ついに欧米に対抗し得る高付加価値の製品を自分たちで生産できるようになったのだ。世界中の都市に日系資本のメーカーの広告看板が設置され、史上類を見ない大躍進期が列島を覆った。日本人が自信に満ち満ちていた頃と言い換えてもいいかもしれない。
胸を張って腰に手を当てる巨大ヒーローが、外からやって来た怪獣を倒す。その光景は、日本人はもはや弱者ではないことを示していた。『ウルトラマン』とは、かつての日本人にとっての「自尊心の象徴」だったのだ。
参考
朝日新聞1966年7月12日 東京朝刊『盛りあがらぬ前夜祭 ウルトラマン』
文/澤田真一
DIME最新号は「ウルトラマンシリーズ」の大特集、超ワイドなクリアファイルの付録つき!!
ファン必見の撮りおろし表紙、付録違いの増刊も同時発売! ぜひ、お早めにご購入ください。
DIME 12月号
Amazonで購入 楽天ブックスで購入 7netで購入DIME12月号増刊
Amazonで購入 楽天ブックスで購入 7netで購入【特別付録】
ウルトラマン超ワイドクリアファイル
2ポケット仕様のB5サイズで開くと54cmの大迫力! 通常版と増刊版で図柄違いとなりますのでご注意ください。
※表紙と付録以外は同じ内容ですのでご注意ください。
ウルトラ兄弟や怪獣軍団がファッションアイテムに!ウルトラマンシリーズ60周年を記念したDIME限定コレクション発売中





DIME MAGAZINE

















