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なぜ、私たちはこんなに生きづらいのか?話題の書籍「急に具合が悪くなる」著者が指摘する社会崩壊のサイン

2026.10.14

映画化されて話題の『急に具合が悪くなる』の共著者で、人類学を研究する磯野真穂さんの新刊『社会が壊れるその前に メアリ・ダグラスの人類学』(新潮社)は、象徴人類学の泰斗の一人メアリ・ダグラスの著書『ナチュラル・シンボル─宇宙観(コスモロジー)の探索』を読み解く一冊だ。

昔に比べたら、好きなことを自由に選択して生きられる幅は増えたはずなのに、なぜか生きづらさや息苦しさを感じる──そんな21世紀の世界が抱えるだろう問題を半世紀以上も前に指摘していたという、ダグラスの人類学とは?著者の磯野さんに話を聞いた。

[プロフィール]
磯野真穂(いその・まほ)……人類学者。東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授。専門は文化人類学、医療人類学。著書に『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界─「いのちの守り人」の人類学』『ダイエット幻想─やせること、愛されること』(筑摩書房)、『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』(集英社)、『コロナ禍と出会い直す─不要不急の人類学ノート』(柏書房)、『急に具合が悪くなる』(宮野真生子との共著/晶文社)がある。

競争が激化する「能力資本主義」

磯野さん私物のメアリ・ダグラスの著書

磯野さんが本書を書くきっかけとなったのは、がんを患った哲学者・宮野真生子と、病と生き方を軸に関係性や可能性、選ぶことなどについて交わされた往復書簡『急に具合が悪くなる』と、人間が避けられない病気と死、そして他者との関わりについて考察した『他者と生きる』の刊行後に寄せられた意見などに疑問を持ったことだという。

「不確実性は素晴らしい、境界を無くすことがいいんだ、といったことをおっしゃってくる方が増えたり、そうした内容の献本をいただくことがあったりしたんです。本の内容でそう読まれる部分があったのかもしれないですね。『急に具合が悪くなる』の共著者の宮野さんは偶然性を研究している哲学者でしたけれども、じゃあ偶然って何から生まれるかと言ったら、それは必然があるからです。境界がちゃんと作られている世界や社会があって、次はこういう事が起こるんだという予測がつくから、言い換えると必然が何かがわかっているから、そこからはみ出た時に『これは偶然だ』と思えるんです。だから偶然性が生まれる土台を壊してしまったら、偶然の凄さ、ありがたさ、恐ろしさを味わうこともできない。そうした土台を見ないまま、フレーズだけを切り取っていく状況は本質を見誤ってるなと感じたので、その前の土台、すなわち社会の“構造”の話をしようと思ったことがひとつきっかけとしてあります。そして『他者と生きる』で書いたように、1990年代に突然『自分らしさ爆上げの時代』がやって来て、とにかく自分らしさがありとあらゆるところに使われるようなったこともあります。私が摂食障害の調査をやっていた時、医療者が『太ってる、痩せてるなんて関係なくて、あなたらしくあればいい』という励ましの言葉をかけていました。それは一見とても素晴らしい言葉ではあるんですが、結果的に何が起こるかというと、『私らしいって何?』になる。みんなわからなくて、漂流しちゃうんですね。今はMBTI診断みたいな形で、自分らしくあるために、まずは自分のタイプを知りたいみたいな本末転倒が起こってきているんです」

1990年代、終身雇用制が崩れ、社会の大きな物語が通用しなくなったこと、さらに男は外で猛烈に働き、女は家を守るといった役割を押し付けていた枠組みへの反駁(はんばく)もあり、人々の外側にあった日本社会の枠が壊れていったと磯野さんは指摘する。

「社会の変化には良い側面が多かったと思います。ただ社会の形が壊れていくと自分の外側に手がかりを探せない、言い換えると社会の中に自分を位置付けることが難しくなるので、自分を見出す時に結果として自分の内側に降りていくしかない。自分の強みはなんだろう、個性ってなんだろう、好きなことってなんだろうと自分の内側に降りていって、旗を立て、そこを中心に社会とのネットワークを作っていこうという形に変わっていく。これが競争が激化する『能力資本主義』の形です。そこで自分の旗を立てて、輝くインフルエンサーみたいになれる人、勝てる人はいいんです。でもそれはほんの一部で、そうじゃない、輝けない人が出てくる。そうすると失望したり、疎外感を抱えるようになったりします。すると、こうなる原因は大きな権力や制度であって、それを叩き潰してしまえばユートピアのような世界が現れるという『ミレニアリズム』の運動が起こりやすくなる。その逆側の動きが、本来だったら自分たちは豊かで強かった、けれども外から来ている他者のせいで今の自分たちはすごく辛い思いをしている、だからあいつらを追い出しさえすれば、元の自分たちが取り戻せるという『カーゴカルト』です」

分類・序列化に原因があると考え、構造や形式を壊そうとするミレニアリズム。そして力のあるリーダーが奪われた富を取り返してくれると考える、極端な形式擁護のカーゴカルト。この両者を生み出す土壌となっている、現代の強烈な「能力資本主義」を考える一助となるのが、メアリ・ダグラスが生み出した「グリッド&グループ分析」から導き出される「社会の三つの類型」である。

中心がなくなっていく社会

イギリスやアメリカで活躍した人類学者メアリ・ダグラス(1921~2007)は、社会を分析するための手法「グリッド&グループ分析」を編み出した。グリッド(格子)が強いと個人の立ち位置と果たすべき役割が明確で、それに縛られる。逆に弱いと人間関係は柔軟になるが、場に応じた臨機応変な対応が必要になる。そしてグループとは集団としてのまとまりの強弱を表している。この2つをかけ合わせたものが「社会の三つの類型」である。

「強グループ・強グリッド」→高分類社会
「強グループ・弱グリッド」→小グループ
「弱グループ・強グリッド」→強グリッド社会

ここから抽出されるのが、ある共同体を底辺で支える世界観や社会を支える大前提となる価値観や物語であり、その集団の象徴(シンボル)となるものがいくつか組み合わされて生まれる宇宙観(コスモロジー)だ。集団としてのまとまりが弱い「強グリッド社会」である現代において、個人を縛るグリッドとは資本力や名声、人的ネットワークを築く力であって、努力や才覚があればなんでもできる自由があり、能力さえあれば思うままに操作することができる宇宙観が現れやすくなる世界なのだ。

「SNSで誰だって思ったことを世界に発信して、それがとんでもない大バズをすることってあるわけじゃないですか。でもそうやってみんながいろんなこと言えるようになると、“中心”がなくなるんです。中心がなくなっていく社会というのは壊れて、結果的に戦国時代みたいになってくるわけですよ。不確実性が高くなる。ルールがない中で勝っていく人が勝ち組になって、成功の階段を上っていくんです」

「グリッド&グループ分析」「社会の三つの類型」「象徴(シンボル)」「宇宙観(コスモロジー)」「ミレニアリズム」「カーゴカルト」等についての詳しい解説は『社会が壊れるその前に』をご一読いただきたい。ちなみに本書の前半、ダグラスの人類学を知る上での前提が続くが、ここを理解すると、後半で展開する現代社会の問題点とダグラスの慧眼がスッと頭に入ってくるので、ぜひとも乗り切ってほしい。

知性の力を感じてもらえれば

本書の「はじめに──あなたは象徴の力を知っているか?」で、磯野さんはこう書いている。

象徴の力が働く時、人は論理ではなく情動により動く。善き社会を作ろうとするあゆみが社会の息吹を消していく。そんなことは誰も望まないだろう。善き社会を作りたいのなら、自らがどのような象徴に巻き込まれているかを内省しよう。社会が壊れるその前に。

世界中で対立が深まり、ますます混迷を極める現代、より良い社会を作ろうとするための行動が、実は社会の枠組みを壊すことへとつながっているかもしれない、というのだ。では私たちはどうすればいいのだろう?

「自分の手元でなんとかできる範囲の世界ってあると思うんですよ。例えばそれはみなさんがいらっしゃる職場とか、私だったら大学の授業とか、そういう『それぞれが考えていくしかないよね』という有り体な結論に落とし込まないで済む世界って、みんな持ってるはずなんですよね。それは家庭もそうだし、あるいはパートナーとの関係とかでもいいですけど、自分の手元で具体的に何かができる世界に、ちゃんと知性を下ろしていくことが重要なんです。それをしないと、『すぐに答えを出さないことも大事ですよね』とか『それぞれが考えていかなきゃいけませんね』とか『難しいですね』とか、なんかそういうふわっとした答えで終わってしまう。でもダグラスの理論には、それぞれの社会においてどんな象徴が立ち上がって、人々はどんな倫理観を持ってどんな言動をするかを予測できるタイプ別の分類がされているので、この視点を持っているだけでも自分の社会に応用できるはずなんです。そうすると『自分のいる社会ではこういう強みがあるけど、こういう問題が起こりやすい』というのが見えてくるので、具体的なことができるはずなんですよ。だから、この本はそういう風に使ってほしいですね」

私たちが暮らす社会から立ち上がっている象徴、そして宇宙観は何なのか、それを理解した上で、内容がなく、勇ましいだけの言説に惑わされず、何を大事にしていくべきなのか、そしてこの先どんな社会が作られ(もしくは壊され)ようとしているのかをしっかり見極めていくことが大事になる。

「30代、40代、50代のビジネスパーソンの人たちが、ふわっとした象徴に流されないようにしたり、自分たちを酩酊させていくようなフレーズに救済を求めないようになったりするだけで、社会はいい方向に向かうと思います。グリッド&グループ分析の社会の三つの類型は確実に皆さんがいる社会や組織の分析に使えるので、ぜひ使ってほしい。また、ダグラスは象徴を通じて社会を分析することにとても長けた人類学者なので、ご自身がいる組織を見るときに、象徴という観点を入れ込んでみてほしいです。それから自分と考えが違ってイラッとする相手の中に、本当に必要なものがあるかもしれないという考えを持つこと。対立することは悪いことではないけれど、リベラルが悪い、保守が悪いと戦い合うと、結果的に能力資本主義は肥大するだけです。『社会を良くしようとしているのに、その良くしようとしているやり方が社会を壊している可能性はないですか?』ということを、ダグラスは問いかけているんです。今回の『社会が壊れるその前に メアリ・ダグラスの人類学』は私の言葉というよりも、1912年に書かれたエミール・デュルケムの『宗教生活の原初形態』、そして半世紀前に書かれたメアリ・ダグラスの『汚穢と禁忌』と『ナチュラル・シンボル』という古典を基にして、100年前から今に至るまで受け継がれてきた学問の力をなんとかして現代社会に開こうという試みです。〝知性の力〟を感じてもらえれば嬉しいですね」

メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』

取材・文/成田全(ナリタタモツ)

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