アニメーションの世界では、よりリアルなキャラクターの動きを表現するため、実在する人の動きをトレースする「モーションキャプチャー」が活用されている。同技術を駆使しつつピアノ演奏のシーン制作に注力したのが、10月9日(金)から公開されたばかりの映画『どこよりも遠い場所にいる君へ』だ。監督・和田純一さんと、ピアノモーションアクターとして携わったピアニスト・小瀧俊治さんに、該当シーンが出来上がるまでの舞台裏などについて聞いた。
以下、ネタバレを含みます。
モーションキャプチャーを駆使して
演奏シーンをつくろうと思ったきっかけ
映画『どこよりも遠い場所にいる君へ』の主人公・月ヶ瀬和希は、とある事情で采岐島(さきしま)の采岐島高校で寮生活を送る高校一年生。和希の繊細な感情を描写しながら物語は進んでいく。そのような内容をふまえて〝ちゃんと和希に迫った作品にしよう〟と、和田監督は原作の小説を読んで感じたそうだ。
「和希を表わす大切なピースのひとつが『ピアノがものすごく上手な少年』なので、きっちりとした演奏シーンを制作しようと。そのためにピアノが弾ける方に協力いただこうと思いました」(和田監督)
白羽の矢が立ったのは、ピアニストの小瀧俊治さん。依頼内容は、劇中で使う和希の演奏音源として『翼をください』と『ラ・カンパネラ』を演奏することと、その様子をもとにアニメーションを作るためのモーションキャプチャーへの協力だった。
「すごくハードルが高いと感じました。特に『ラ・カンパネラ』は、クラシックの中でも〝ザ・王道〟という名曲で、僕にとっては憧れの曲です。その一方、人前で100%思いどおりに弾くことが難しいほどトップレベルに〝リスクが高い〟曲で、演奏するのを何年も避けていました。でも、この仕事を機に僕自身のトラウマを克服できるかもしれないと。覚悟を決めて、お引き受けさせていただきました」(小瀧さん)
映画の中で演奏する和希は、ピアノが天才的に上手とはいえ高校生の青年。そのことを意識しながら小瀧さんは鍵盤に向き合ったという。
「劇中では過去に対するいろんな憤りや思いをぶつけるように、和希は『ラ・カンパネラ』を演奏します。なので、今までの自分とは全く違う弾き方をしていて、最後のほうは一心不乱に駆け抜けていくように演奏しました。変に落ち着きすぎると冷めた感じになってしまうので、演奏に没入している感じも意識したポイントです。高校生の和希のことを思いながらレコーディングしていた際は、自分が若返ったような感覚でした。だから、物語の和希と僕が、ある種、シンクロしているところはあるかもしれないですね」(小瀧さん)
和希の天才的な演奏シーンを表現するため
音源用録音とモーションキャプチャー用撮影を別々の日に実施
ピアノ演奏の「モーションキャプチャー」を取るためには、センサーが付いたタイツのような服や手袋をまとわないといけない。当然ながら、劇場で流すほど高い精度では演奏ができなくなるため、音源のための音の収録とは別々の日に行なわれたという。
「モーションキャプチャーって、こんなに大変なことをしているのだと思い知りました。センサーの位置をミリ単位で調整して、少しでもズレたらすぐに直すという感じでしたから。なんかもう筋トレをしている気分になりましたね。これはもうエクササイズだなと(笑)」(小瀧さん)
「キャリブレーション的なことを何度もやりました。音楽の演奏に関してのモーションキャプチャーを取るのは、僕の監督作品では初めてのことで。専門スタッフを中心に進む現場を見ながら『こんなに細かいことをやるんだな』と思い知らされました」(和田監督)
一方、小瀧さんが音源用の演奏をする際は、作画の参考のため、スタッフが持ち寄ったビデオカメラやスマホを撮影機材とし、右、左、正面、真上、斜めなどにセットして撮影したそうだ。
「『翼をください』についても『ラ・カンパネラ』と同じくらいの覚悟が必要でした。原曲からは想像がつかないくらい超絶技が必要なアレンジになっていて。テンポ設定も結構難しく、自分が好きなテンポで弾くのとは全然違いました」(小瀧さん)
アレンジを担当したのは、小瀧さんと映画製作陣の橋渡し役となった、音楽家の酒井麻由佳さん。劇中における『翼をください』は、1974年から来た秋鹿七緒が口ずさむ曲であり、その姿を見た和希が七緒のために演奏し、ピアノと再び向き合うきっかけになる曲でもある。物語の中ですごく大事な曲だからこそ『ラ・カンパネラ』と同じくらい難しいアレンジになったという。
「どんどん高揚していくような和希の気持ちを表現するためには、アレンジしていただいたテンポで弾かないといけない。その意図に応えようと、レコーディング中には酒井さんにもアドバイスをいただきながら、何とか食らいつきました」(小瀧さん)
納品日前日の深夜まで調整したこともあり
和田監督も小瀧さんも満足のいく演奏シーンに
別々の日に撮影した音源用とモーションキャプチャー用の撮影データを組み合わせ、アニメーションの映像として落とし込もうとした時、和田監督は大きな壁にぶち当たることに。
「モーションキャプチャーをもとに出来上がった3Dの指が、音源用の音と全然合わなくて(苦笑)。演奏曲に合わせて動きを付けた鍵盤は押された状態になっているのに、3Dの指が鍵盤を押している動きになっていないとか、いろんなことが発覚しました。なので、演奏シーンの一部は3Dの絵を捨てて、音源用の録音時にいろんな方向から撮影した小瀧さんの演奏映像に合わせて、指の動きを新たに作画してもらったんです」(和田監督)
特に『ラ・カンパネラ』の演奏シーンは、3Dの映像と音源の音を合わせるのは至難の業で、演奏だけでなく絵をつくるのも非常に難易度が高い曲だと、和田監督は痛感したそうだ。
「作画してもらったものを音源に合わせて何度も手直ししていくことで、ちょっとずつかたちにしていきました。担当演出さん、アニメーターさんには、最後の最後まで調整作業を手伝ってもらって本当に感謝しています。最終納品日前日の深夜までプロデューサーとLINEで連絡を取り合って『もう少しここを直してください』『こうしてみましょう』みたいなやりとりをずっとやっていました。だから演奏シーンは、ものすごく思い入れが強いですね」(和田監督)
和希のことを表現するためにハードルの高い曲に挑戦し、音と映像の調整に最後までこだわっただけに、出来上がった演奏シーンを見た時の感動はひとしおだったと、和田監督と小瀧さんは振り返る。
「『ラ・カンパネラ』の最後に畳みかけるところは、私が想像していた以上に映像演出としてマッチしていると思いました。『翼をください』はリズム感を含めて聞き入っちゃいましたね。ピアニストの方がキャラクターの指先だけを見ると『出ている音と鍵盤を押さえている指の動きがちょっと違うかも』と思われるかもしれません。けれどそこは『目を細めて見てください』と(苦笑)。指先だけではなく表情やポーズを含めた「演技」で、和希というキャラクターの感情を表現したものだと捉えていただければ、そこまで違和感なく見られるレベルの映像にはなったと思っています」(和田監督)
「出来上がった『翼をください』のシーンは、演奏に惹かれて部屋から出てくる七緒と、久々にピアノを弾く和希の喜びにあふれた空気感がとても印象的でした。和希が一心不乱にピアノを弾く動きも含めて、映像としてすごくきれいに表現してくださったと感じます。『ラ・カンパネラ』のほうは、ただ指先だけを映すのではなく、いろんな映像が〝ないまぜ〟になっていて『あぁ、だから演奏の際にこういう動きが必要だったんだな』と、和田監督に演技指導していただいたことに『なるほど』と思うシーンがたくさんありました。モーションキャプチャーという枠を超えた〝和希の心情を考えさせられるシーン〟になっていて、音楽と映像が一体となって和希の気持ちが何倍にも伝わってくる感動がありました」(小瀧さん)
実際の島で録ったSEやキャラクターの心理描写など
演奏シーン以外にも様々な見どころがある。
『どこよりも遠い場所にいる君へ』の舞台となる采岐島は、島根県の隠岐諸島がモデルになっている。和田監督は音響監督たちとともに隠岐諸島へ足を運び、劇中で使うSE(サウンドエフェクト)の録音を行なったそうだ。
「気づいたらいろんなものにマイクを向けていましたね。隠岐諸島には人工的な環境音のない場所が多くて『これが本当の離島なんだな』と感じさせられます。波の音も、ものすごく〝純粋な水の音〟なんですよ。そんな島内に吹く風も含めて〝包み込む環境音〟を、きれいな情景描写とともに楽しめるようにしました」(和田監督)
そのような意図は、出来上がった作品からしっかりと感じ取れたという。
「自分がシナリオや絵コンテを書いている時に想像していたとおりの空間になっていて、すごく感慨深いですね。キャラクターの声が聞こえるくらいのギリギリのレベルまであげてもらった環境音も、ちゃんと〝主役〟になってくれているのが嬉しかったです」(和田監督)
和希や七緒だけでなく、そのほかのキャラクターたちを丁寧に描くことにも、和田監督は注力したという。特に、和希とともに采岐島へやってきた尾崎幹也と、采岐島で生まれ育った三島たまきの心情描写にはこだわったそうだ。
「原作小説を読んだ時『これって和希と七緒の話である以上に、和希と幹也の話だな』って感じたんです。だから、幹也に関してはすごく大切にしなきゃいけないと思いました。幹也は少し謎めいた存在のまま物語が進み、後半になってすべてが明かされます。普段はヘラヘラとしていて和希との距離感が近いというのは、こんなつらい過去の裏返しなんだなと……。そういう幹也のことを、彼の視線や仕草などから、感じ取れるといいなと思って描きました」(和田監督)
たまきについては唯一といっていいほど、原作者の阿部暁子先生からシナリオに対する修正の指摘があったとか。
「端的にいえば、たまきをただの悪役にしないでほしいと。悪役に近い感じで配置されているけれど、ただただ不快に思われるのではなく、見ている人が納得できるようにしてくださいと、何度も調整の依頼を承りました。特に、物語後半で見せる姿を表現する際の〝さじ加減〟は非常に難しかったです。言い回しも含めて確認してもらって、先日、出来上がった映像をご覧になった阿部先生から『これなら大丈夫』だと。和希に惹かれている理由を含めて、たまきのことを納得してもらえるような物語に帰結できていればいいなと思っています」(和田監督)
「本作では、キャラクターそれぞれの心境の変化を感じ取ることができました。『こういうことってあるよね』と、自分に重なる部分がいっぱいあることにも気づくと思うんです。高校生の頃のことなどを思い出しながら見ていただくのもいいのかなと思います。もちろん『翼をください』と『ラ・カンパネラ』の演奏シーンは、やっぱり思い入れがあるので、ぜひ注目して見てほしいです」(小瀧さん)
「和希の心情が音楽とシンクロするところは、より気にしながら見ていただけると、作り手の意図を感じて楽しめるのではないかなと思います。小瀧さんにかかわっていただいたピアノの演奏シーンをはじめ、全部に思い入れがある作品になりました」(和田監督)
モーションキャプチャーをもとに音楽と映像の高度なシンクロに挑戦したピアノの演奏シーンはもとより、離島で実際に録音された自然豊かな環境音や、丁寧に描かれた多感な高校生たちの心情描写など、映画『どこよりも遠い場所にいる君へ』にはこだわりのポイントがたくさん詰まっている。筆者は2度目に鑑賞した際、キャラクターの気持ちがより伝わってくるような気がした。できるだけ鑑賞の回数を重ね、作品の魅力をより深く実感してほしい。
映画『どこよりも遠い場所にいる君へ』
現在公開中 配給/松竹
https://sh-anime.shochiku.co.jp/dokokimi-movie
2025年に小説「カフネ」で第22回本屋大賞を受賞した作家・阿部暁子氏による人気青春小説「どこよりも遠い場所にいる君へ」(集英社オレンジ文庫刊)を映画化。豊かな自然にあふれた離島・采岐島――。その島には〝神隠しの入り江〟と呼ばれる場所があった。とある事情で都会を離れ、采岐島の高校に進学した少年・月ヶ瀬和希は、ある初夏の日、〝神隠しの入り江〟で一人の少女が倒れているのを発見する。少女の名前は秋鹿七緒。1974年からきたという七緒は、和希とその場に居合わせた高津という男性に保護されることになる。七緒のことが気になり、それからたびたび放課後に彼女のもとを訪れるようになった和希。やがて和希は、七緒から驚きの言葉を聞かされるのだった――。過去と現在が交わる時、秘密を抱えた二人の未来が動き出す。
キャスト:石橋陽彩、永瀬アンナ、土屋神葉、上坂すみれ、羽多野渉、岡本信彦、松岡禎丞/藤木直人(友情出演)/玉木宏
原作:阿部暁子「どこよりも遠い場所にいる君へ」(集英社オレンジ文庫)
監督:和田純一
脚本:桑村さや香
キャラクターデザイン・総作画監督:へちま
美術監督:大西穣
美術設定:坂本竜
撮影監督:木村俊也
色彩設計:歌川律子
編集:坂本久美子
音響監督:はたしょう二
音響効果:出雲範子
音響制作:HALF H・P STUDIO
音楽:中村弘二
主題歌:とた「オリーブ」(RECA Records)
劇中歌:とた「鳳仙花」(RECA Records)
アニメーション制作:トムス・エンタテインメント/第6スタジオ
製作幹事:松竹・ポニーキャニオン
製作:『どこよりも遠い場所にいる君へ』製作委員会
(C)阿部暁子/集英社・『どこよりも遠い場所にいる君へ』製作委員会
取材・文・撮影/田尻 健二郎




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