酒税法の変更により10月から税金が少し下がったビール。その主原料といえば、麦芽とホップと酵母と水。日本の酒税法上ではビールには麦芽を使うことが定められている。その麦芽の代わりに「麦麹」を使ったビールづくりに挑んでいるのが、クラフトビールメーカーのコエドブルワリーだ。種麹メーカーのビオックとの共同開発で生まれた「麦麹ビール」はビールの原料や製法だけでなく、国産大麦や麹産業の未来まで変える可能性を秘めている。
「麦芽」を使わないビールをつくる!
ビールは「麦芽」が糖化した麦汁に、酵母を加えて発酵させることでできる。麦芽とは大麦が発芽したもの。紀元前3000~4000年のメソポタミア文明の頃に始まったとされるビール醸造の基礎は、現代に至るまでほぼ変わらない。ビールの主原料は麦芽であった。
コエドブルワリーがその麦芽を使わずにビールをつくろうとしている。どういうことか?
コエドブルワリー(埼玉県川越市)は1996年から当時「地ビール」と呼ばれたビール産業に参入。今では日本を代表するクラフトビールブルワリーのひとつだ。その母体「協同商事」は、有機栽培や無農薬・減農薬栽培を中心に食の事業を包括的に展開するアグリベンチャーである。1996年に地ビールを始めたのも、元はといえば、川越市とその周辺の畑で大量に廃棄される規格外のサツマイモを有効活用したいと考えたからだ。だからコエドビールのデビューは、廃棄されたサツマイモを副原料に活かしたビール「紅赤」だ。世界初のサツマイモを使ったビールだった。
また、川越はじめ埼玉北部エリアでは、サツマイモ畑の土作りの一環として大麦も栽培されていた。このあたりは昔から大麦栽培の適地だ。ただ近年では、栽培した大麦は収穫されず、緑肥として畑に鋤き込まれていたそうだ。
ただ、コエドビールが埼玉の大麦を使うことはなかった。安定的に調達する難しさもあったが、最大の理由は大麦を「麦芽」にできないことだった。
ビールの原料になるのは「麦芽」(モルト)であり、大麦そのものではない。大麦を水につけて発芽させ、乾燥したものが麦芽だ。この製麦の過程で酵素(アミラーゼ)が生成され、麦汁中のデンプンを糖に分解することができる。大麦のままでは酵素が生成されず、デンプンを糖に分解できない。その大事な麦芽をつくる製麦工場が、日本には数えるほどしかないのだ。
「ビールは大麦を生産する農業、麦芽をつくる製麦業、ビール製造業の3段階で構成されます。日本には製麦業がほとんどないので、大麦をつくっても、そこでサプライチェーンが切れてしまう。だから麦芽はほとんど海外から仕入れているのです」と、コエドブルワリーの朝霧重治代表は説明する。
それでも、コエドブルワリーは6年ほど前から醸造所周辺の畑で大麦を栽培している。畑仕事に精を出しているのは、朝霧代表自身である。
「もともと私は農村の出身ですし、今も農業は大好きです」と笑う。
地産の原料でビールをつくりたいという考えは、朝霧代表にとってごく自然な発想だ。川越でも大麦は収穫できる。しかし麦芽にできないのでビールに使えない。製麦の壁に歯がゆい思いがあった。
一般の飲み手からすれば、なぜ自前の製麦工場を造らないのかと不思議に思うかもしれない。しかし、製麦工場を建設するには莫大な費用がかかるだけでなく、高度な技術が必要になる。日本のビールメーカーが麦芽を海外に頼る理由は、その品質が高いからでもある。
アグリベンチャー出身の朝霧代表は、何とか大麦を使えないか考えつづけてきた。そして日本の「麹」にたどり着く。大麦を「麦麹」に加工すれば、麦芽を使わなくてもいいのではないかと考えた。朝霧代表が愛知県の老舗の種麹メーカー、ビオックの村井三左衛門代表に「ビール用の麦麹をつくりたい」と相談したのは、2025年秋のことである。
もっと和食に合うビールが生まれる可能性
麹とは米、麦、大豆などに麹菌を繁殖させたもの。麹菌はデンプンを分解する酵素(アミラーゼ)を分泌する菌の総称である。醤油、味噌、清酒など、日本食の基盤となる食材に欠かせないものであり、日本の「国菌」に認定されている。
麦芽は、大麦の発芽によって生成された酵素でデンプンを糖に変える。一方、麦麹は、麹菌がつくり出す酵素を利用してデンプンを糖に変える。発芽させて酵素を働かせるか、麹菌の酵素を利用するかの違いである。
「麦麹ができれば、大麦農業とビール製造業がダイレクトにつながります。また、麦麹は麦芽と比べて使う時間、電力、水量のいずれも少なくて済みます。何より、麦麹は麦芽よりもデンプンの糖化能力が高い。つまり性能がいいのです」と、朝霧代表は麦麹を使うメリットを語る。
「麦焼酎も麦芽ではなく麦麹から造られています。日本で製麦が発達しなかった理由は、麹があったからではないかと思うのです。しかしビールは明治時代に欧米から伝わり、とにかく欧米から教えられた通りに造った。そのまま今日までずっと、ビールには麦芽と、思考停止してきたんじゃないでしょうか」
麦麹は省エネ、省コストとメーカーにとって都合がいいだけではない。「ビールに麹由来のおいしさが加わり、新しい味わいが生まれます」と、味にも自信を持っている。
種麹メーカー、ビオックの開発担当の村田梨恵さんは、「弊社は数千の菌株を保有しています。コエドさんのリクエストとすりあわせながら、最終的には清酒用の菌株の中から選びました」と話す。
「麹の用途は、味噌、醤油、酢、みりん、清酒、焼酎の6分野です。ビールが麹で造られるようになるとすれば、焼酎以来の新用途の誕生となり、画期的なことだと思います」(村田さん)
麦焼酎が生まれたのは16世紀頃とされるので、およそ5世紀部ぶりの新用途の登場になる。
研究室長の白石洋平さんは、麦麹で造るビールに次のような期待を寄せる。「麹由来の風味があるので、和食とより相性のいいビールが生まれる可能性を感じています。また、麦麹はデンプンを麦芽より小さな糖に分解できます。そのため、醸造工程で使う酵母の種類はビール酵母だけでなく、清酒の酵母やワインの酵母も使えます。酵母の選択肢が広がるのではないでしょうか」
耕作放棄地を黄金色の大麦畑に
麦麹を使ったビールづくりによって、どんな可能性が広がるのだろうか。朝霧代表のビジョンはこうだ。
「私たちが取り組みたいのは農業です。日本の食糧自給率の低さは以前から指摘されていますが、カロリー換算で37%(2025年度)とあまりに低い。とにかく私たちにできることをやろうと思い、まずは大麦畑を1000ヘクタール規模、東京ドーム200個分くらいを計画しています。現在、全国には東京都とほぼ同面積の耕作放棄地があります。大麦は日本の気候で十分、栽培できます。大麦栽培は耕作放棄地の解決策のひとつになり得ると考えています」
もうひとつは、今回、麦麹を共同開発した種麹メーカーの振興だ。
「麹菌は日本の食になくてはならない重要なものですが、産業としては縮小傾向にあります。このまま麹菌のメーカーを衰退させるわけにはいきません。世界では日本食が大人気ですが、麹も世界でその良さを発見され、グローバル化するチャンスがあります。省エネや省資源などの観点からも、世界のビールメーカーが麦麹に注目する可能性もあります。世界のビール市場は莫大です。麹菌メーカーが存続できるサステナブルなビジネスモデルを構築していきたいと、現在ビオックさんとも相談中です。広い意味では、日本の発酵産業を救う道になると思います」
麦麹ビールの可能性は想像以上に広く、遠くまで伸びている。
さて、肝心な「麦麹ビール」の味はいかがだろうか。今もコエドブルワリーで、ラガー酵母を使ったビールと、清酒酵母を使ったビールの試作が続けられている。その試作段階のビールを味見させてもらった。
「麦麹によって、初めて日本発のビアスタイルができるかもしれません」と、朝霧代表は新ビアスタイルの誕生も視野に入れている。現在、世界的に認められたビールのスタイルは150以上。いずれも海外で生まれたものだ。
これまでも日本のブルワリーは、地産のフルーツや野菜、ホップを原料に入れることで日本らしさやその土地らしさを表現してきた。清酒酵母を使うクラフトビールも増えている。しかし麦麹ビールはそれらとは次元が異なり、世界初の製法を採用したビールなのだ。
「世界のビール界が麦麹を採用する可能性は十分あります。その第一歩の目撃者になっていただきたいと思い、クラウドファンディングに応募しました」(コエドブルワリー広報の田邊真さん)と、現在、Makuake(マクアケ)でクラウドファンディングを実施中。2027年2月にリターンとして麦麹ビールが届けられる予定だ。
麦芽を使わない麦麹ビールは、ビール6000年来の歴史にどんな足跡を残すのか。
取材・文/佐藤恵菜




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