『踊る大捜査線』は、日本ドラマ史上極めて画期的な内容の作品だった。仮に数百年後、文化史が編纂されるとするなら『踊る大捜査線』は20世紀末~21世紀初頭を象徴するフィクション作品として紹介されるだろう。
なぜなら——このあたりは詳しく後述するが——それまでの刑事ドラマとは一線を画す内容だからだ。
この斬新とも風変わりとも言えるドラマは、本物の公務員ですらも共感させていた。ガチガチの縦割り構造から身動きができず、それでも自分の今いる足場から何とか問題に立ち向かおうとする青島の姿。それが日本の公務員たちの胸を打ったのだ。
警察は「役所」
『踊る大捜査線』の主人公、青島俊作は元サラリーマンである。
かつてはコンピューターメーカーの営業社員として働いていたが、ふと刑事に憧れて脱サラし、警察官に転職する。3年間の交番勤務ののち、念願の刑事として警視庁湾岸署に配属される。が、大きな事件が起きても湾岸署の刑事は「所轄の人間」に過ぎず、現場にすら入れてもらえない。
では、湾岸署の管内で重大事件が起こったらどうなるのか。その場合は湾岸署に捜査本部が設置されるものの、実際に捜査をするのは国家公務員である管理官とその部下たち。つまり、湾岸署はキャリア組のためのテナントか宿舎に過ぎず、所轄刑事は雑用係である。青島も室井管理官の運転手をさせられる羽目になる。次第に職務内容や人間関係が、サラリーマン時代と大差ないことに青島は気づいていく——というのが大まかなストーリーだ。
パトカー1台出すにもわざわざ申請書類を書かなければならず、警察とは「役所」であることが容赦なく描写される。
それまで、刑事ドラマといえば以下の2パターンだった。「推理もの」か「アクションもの」である。
前者は署内での地位は高くないものの、誰よりも聡明な頭脳を持つ刑事が難事件を解いていく。後者は一癖も二癖もある刑事が豪快なアクションで悪の組織を倒していく——という流れである。が、『踊る大捜査線』はそのどちらでもない。青島を待っているのは、縦割り構造の官僚組織特有の壁であり、そこに君臨するエリート。事件捜査のイニシアティブは彼らにあり、青島には出る幕がない。その中でも青島は事件解決のためにできるだけの奮闘をする、というドラマなのだ。
当時の風潮に水を差したドラマ
筆者の父親は、元刑務官である。
『踊る大捜査線』が最初に放映されたのは1997年だが、父親はこのドラマを食い入るように見つめ、放送終了後もレンタルビデオで何度も視聴していたことをよく覚えている。「ノンキャリの公務員として、青島の気持ちがよく分かる」と言っていた。
筆者の父親のような感想を持っている人は、少なくないはずだ。
この1997年という時代を振り返ってみると、明るい話題が極端に少なかったことに気づくだろう。バブル崩壊後の不景気がいよいよ実生活に及び、しかも苦境を打開するための解決策も見出せない状態に当時の大人は陥っていた。それより2年前に発生した阪神淡路大震災、そしてオウム真理教による一連のテロリズムも、日本人の心に大きな抉り傷を与えた。
その中で「公務員は安定職種」と呼ばれ、よほどの不祥事がなければ馘首されることはない公務員を目指す人が増えた。「脱サラして公務員」という選択が、ちょっとしたブームになっていた時代である。
ところが、『踊る大捜査線』はある意味でその風潮に水を差した。「水を差した」というのはあまり良くない表現ではあるが、実際にそうなのだから仕方ない。公務員の実態はほぼほぼ民間の会社員と同じで、刑事に至ってはドラマのような活躍を期待するほうがナンセンスだ。地域住民のサービスに直接寄与しながら給料をもらえる素晴らしい仕事、という巷の人々のおぼろげな空想をドラマは容赦なく打ち破った。
90年代後半という時代の雰囲気
90年代後半の日本人が、縦割り構造の組織に飽き飽きしていたという点も考慮しなければならない。
高度成長期、そしてバブル期には風向きと潮の流れに沿って怒涛の好景気を実現させた日本企業は、その流れが止まると極度の縦割り構造のために方向転換すらできず、停滞の泥沼に引きずり込まれることになる。銀行や証券会社の経営破綻という形でそれが可視化され、民間企業に勤める者はリストラの可能性に怯える生活を送った。そのような時、人間はまだ見ぬフロンティアを夢想するようになる。
公務員という立場、そして職種が「まだ見ぬフロンティア」として人々に解釈されていた時代は、確かに存在した。が、それは上述の通りただの空想に過ぎず、結局は開拓の余地のないがんじがらめの組織内で自分なりに奮闘するしかない。その中に滲み出る人間ドラマを、『踊る大捜査線』は見事に描き切ったのだ。
組織はまるで機械のようだが、そこにいる人々は決して機械ではない。あの鉄面皮の室井管理官ですらも、実は心を持った人間なのだ。
『踊る大捜査線』は変革を迫られていた頃の日本の雰囲気を土台にし、なおかつ様々な足枷をつけられた登場人物が、それでも壁の向こうを目指して駆け上ろうとする物語である。
文/澤田真一
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