静岡県伊東市の珍スポット「怪しい少年少女博物館」が、2026年9月27日(日)をもって閉館する。
昭和レトロな玩具や雑誌、和風のおばけ屋敷など、独自の世界観を持つ展示で知られてきた同館。伊豆を訪れる観光客だけでなく、昭和カルチャーやサブカルチャーを愛する人々からも長年親しまれてきた。
なぜ、この博物館は誕生したのか。館長のセーラちゃんは、どのような思いでコレクションを集め、展示してきたのだろうか。
閉館を前に、これまでの歩みや展示物へのこだわり、閉館を決めた背景、そしてコレクションの今後について話を聞いた。
倉庫にしまうはずだったコレクションが、博物館になった。『怪しい少年少女博物館』ができるまで
伊豆高原駅からバスで約10分。国道135号沿いを進んだ先に、突如として姿を現す「怪しい少年少女博物館」。巨大なペンギン親子のオブジェを目印に、2003年のオープン以来、独特の存在感を放ってきた。そもそも、なぜこの場所に、これほど異彩を放つ博物館が作られたのだろうか。

「もともとここは、不動産会社の営業所だったんです。かなりデザイン性のある建物だったんですが、それを買い取って、最初は『ペンギン博物館』を作りました。
ただ、ペンギン博物館は4年ほどでやめることになりまして。その間に熱海で、『ふしぎな町一丁目』という、3000坪ほどの大規模なテーマパークも作っていたんです。こちらは3年契約だったので、撤去することになったんですが、その時ちょうどここが空いていた。それで、『コレクションを倉庫に入れるくらいだったら、ここに入れてしまおう』となったんです。
ですから、『怪しい少年少女博物館』を最初から計画していたわけではありません。もともと倉庫に入れる予定だったものを、空いていたこの建物に入れたのが始まりなんです」
館内に足を踏み入れると、まず圧倒されるのが、そのコレクションの数だ。館内に並ぶ品々は、セーラちゃんが長年にわたって集めてきたもの。さらに特徴的なのが、これらのコレクションが整然と分類されているわけではないことだ。さまざまな品々がところ狭しと並ぶ、ルール無用ともいえる展示こそ、「怪しい少年少女博物館」の大きな魅力となっている。
「熱海で『ふしぎな町一丁目』を急にやることになったときに、必要なものをどんどん集めたんです。
以前は500坪ほどの建物に入れていたものを、ここにぎゅっと詰め込んでいるので、館内はかなりぎゅうぎゅうになっています。でも、それも楽しいんですよ。
ここも特にデザインや図面があったわけではなくて、10日くらいかけて一気に並べました。
プロの人が作った図面やデザインって、どうしても作り手の自己満足になってしまうことがあるじゃないですか。きれいに、きちんと作る。でも、それが見る人にとって面白いかというと、必ずしもそうではない。
それだったら、いろいろなものがたくさん詰まっているほうが、見ていて楽しいんじゃないかと思ったんです」

〝お宝〟ではなく〝誰かの思い出〟。物に価値を決めない理由

「怪しい少年少女博物館」は、姉妹館の『まぼろし博覧会』とともに、サブカルチャーの聖地とも称され、昭和レトロを愛する人からYouTuberまで、さまざまな人が訪れる。
しかし、この2館を「サブカル」という言葉だけで見てしまうのは、少しもったいない。そこには、館長・セーラちゃんが、長年にわたってさまざまなものと向き合い、集めてきたからこそ生まれた、独自の価値観が反映されている。
「僕は、『怪しい少年少女博物館』や『まぼろし博覧会』をサブカルだとは思っていないんですよ。世の中にあるものは、全部〝文化〟だと思っているので。『サブカル』というのは、既存の分類に入らないものをそう呼んでいるだけじゃないですか。
だから、『まぼろし博覧会』では『日本庶民文化センター』ということで、日本の文化を全部集めようとしています。違法なものや危険なもの、弱者差別につながるようなものは別として、それ以外はできるだけ区別せずに集めています。
例えば、お子さんが描いた絵とプロが描いた絵のどちらが優れているかを比べても、あまり意味がないと思うんです。どちらも、その人が描いたものですから。それはそれ、これはこれですよね。
人間だって同じで、能力があるかどうかで比べる必要はないと思うんです。人と人を比べるのではなくて、それぞれに文化がある。人の数だけ〝文化〟があると思っています」


「怪しい少年少女博物館」には、マニアにとっては「お宝」といえるものがある一方、当時はどこにでもあったような、ごく普通のものも並んでいる。価値のあるものだけを選んで残したのではなく、さまざまなものが混在したまま残されているのが特徴的だ。
「コレクションについては、『寄贈したい』という方もいて、寄贈は20%くらいですね。あとは、Twitterでフォロワーやファンの方が『ここにこういうものがあるよ』と教えてくれたり、ただでもらえたりするものもあります。
ここはコレクター的な部分が強いんですけど、『お宝がある』とは思っていないんです。そもそも、物を『宝』として見ること自体、あまり意味がないと思っています。
研究者やお金持ちにとっては大事なものでも、普通の人の人生には関係がないものもあります。それよりも、どの時代にも普通に転がっていたようなもののほうが大事だと思うんです。
誰かの評価を基準にして、『この人がすごいと言っているから見る』というのは、僕は全然面白くないと思うんです。ここにあるものは、全部平等の文化です。
だから、ここにあるものを『これはお宝だから』と見るのではなく、そのものを自分の目で見てほしいんです。そうすると、また違った見え方をすると思います。
僕は、〝物〟そのものよりも、その物にまつわる〝思い出〟が大事だと思っていて。
新品のものには、作った人の思いしかありません。でも、それがいろいろな人の手に渡っていくうちに、そこにたくさんの人の思いが加わっていく。そうやって、物にいろいろな〝思い〟が積み重なっていくように思うんです」

「怪しい少年少女博物館」は、さまざまな時代のものが所狭しと並ぶ、いわば「物の博物館」だ。一方、「まぼろし博覧会」では、より広い空間を生かし、物だけではなく、そこにまつわる人々の〝記憶や文化〟そのものを集めようとしているという。
「ここは狭いので、どうしても〝物の博物館〟になっているんです。博物館とコレクションの中間くらいですね。でもこれ以上コレクションを増やしても、もう入らない。だから、ここでのコレクションは途中でストップしました。
僕は、その時代の空気感まで含めて見せたいと思っているので、本当はここにエアコンを入れたくないんですよ。たとえば、エアコンがまだ一般家庭に普及していなかった時代を再現するなら、そこにエアコンがあるのはおかしいでしょう。暑い、寒いということも含めて、その時代の環境だと思うんです。快適に見られるようにすることが、必ずしもいいとは思っていないんです。
例えば、ポスターをきれいな額に入れて、ケースの中で照明を当てて、説明をつけたら、それはもうポスターじゃないと思うんですよ。ポスターは壁に貼ってあって、雨風にさらされて、破れたり汚れたりしている。それがポスターなんです。
『まぼろし博覧会』では、雨漏りもそのままにして、自然に腐っていくものは腐らせています。『まぼろし博覧会』は、もう15年くらい作り続けていますね。建物も少しずつ増えて、面積もどんどん広がっています」
「なくなること」を悪いことにしない。23年の博物館が残したもの

モノのコレクションには、まず「集める」という側面がある。一方で、「時代のコレクション」と考えると、そこには、その時代に存在したものを記録し、後世に残すアーカイブとしての役割も生まれる。
では、「怪しい少年少女博物館」に並ぶコレクションは、どのようなものなのか。
セーラちゃんは、必ずしも「残すために集めている」と考えているわけではない。むしろ、誰かが〝価値〟を決めて選別するのではなく、さまざまなものが入ってくること自体に〝意味〟があるという。
「ここにあるものが、この先『まぼろし博覧会』に行くのか、倉庫に入れるのか、売ってしまうのかは、まだ分かりません。
僕は、物を持っていることよりも、物を作っていることのほうが楽しいんですよ。できあがってしまうと、あまり興味がなくなるんです。
物は、そのうち壊れてなくなっていくものだし、人もそうですよね。それでいいんです。なくなることを悪いことだと思って、何でも保存しようとする必要はないと思っています。
僕が博物館で大事にしているのは、できるだけいろいろなものを入れることです。誰かが『これは残すべきもの』『これはいらないもの』と選んでしまうと、それだけで世界が偏ってしまうから。
人間だって、みんな同じものを持っているわけじゃないですよね。考え方も、好きなものも、趣味も、それぞれ違う。
ところが、ネット社会では、自分と同じ考えの人たちばかりが集まりやすい。そうすると、『みんな同じ考えなんだ』と思ってしまうんです。
でも、本当はそうじゃない。自分が嫌なものや興味のないものって、わざわざ見ないじゃないですか。でも、そういうものを見ることも大事なんですよ。
僕は、多様性って、そういうことだと思うんです。自分とはまったく違う考えの人や、興味のないもの、場合によっては嫌なものにも触れてみる。そうすることで、自分の世界が広がっていくんじゃないでしょうか。
『まぼろし博覧会』や『怪しい少年少女博物館』でも、そういうことを感じ取ってもらえたらと思っています」
閉館の知らせを受け、全国各地から連日、多くの人が「怪しい少年少女博物館」を訪れている。取材中も、セーラちゃんに声をかけたり、写真を撮ったりする来場者の姿が見られた。23年にわたり、多くの人に親しまれてきた同館。その閉館を惜しむ声も少なくない。
最後に、長年通ってきたファンや、これから訪れる人に向けて、セーラちゃんから温かいメッセージをもらった。
「残念ながら、力足らずで閉館することになりました。もっとやりたいという思いはありますが、やっぱり力尽きたというか、ここまで23年ですから。
子どもの頃から来てくれている方もいるので、そういう方たちの思い出が消えないように、最後に何か残せたらうれしいですね。
最終日はずっとここにいます。来てくださった方と一緒に、同じ空気の中で時間を共有したいんです。お話ししたり、写真を撮ったり、いろいろなことをして、それぞれの思い出にしてもらえたらと思っています。
その間に、少しでも皆さんが元気になれるようなお手伝いができたら、それが本当にうれしいことです」
きれいに整理されていなくてもいい。そこにあるものを、自分なりに眺めてみる。その自由さこそ、この場所の面白さだったのかもしれない。
閉館まで、あとわずか。この空間を体感できる最後の機会に、ぜひ足を運んでみてほしい。
取材・文/Tajimax




DIME MAGAZINE














