「我々の目標はあくまでJ3優勝」。1年でのJ2復帰を目指す山口・渡部社長
「ここから、世界だ」をコンセプトに今夏からシーズン移行に踏み切ったJリーグ。注目を集めた26-27シーズンも8月7日の開幕から約1カ月が経過し、戦いが本格化しつつある。
2016~2025年の10年間、守り続けたJ2の座から惜しくも陥落し、J3の舞台で再出発したばかりのレノファ山口FCも、「1年でのJ2復帰」を目指して士気を高めているところだ。
今季の山口は、2024年J2昇格プレーオフでカターレ富山をJ2に引き上げた経験のある小田切道治監督を2026年頭から招聘。J2・J3百年構想リーグは14位とまずまずの結果でフィニッシュ。新シーズンに突入したが、序盤戦は黒星先行。今のところはやや厳しいスタートを強いられている。
それでも、2023年から社長を務めている渡部博文社長は「我々の目標はあくまでJ3優勝。高い目標だからこそ、1試合1試合、今いるメンバー全員が一体感を持って戦っていくことが重要なんです。経営者である自分は、現場がプレーに専念できる環境を作ることが大きな役割。そう考えて、日々尽力しています」と強調。チーム浮上のために、できることは全てやっていく構えだ。
現役時代は5クラブで大型DFとして活躍。元Jリーガー社長に就任
その渡部社長は2010~22年の13年間、大型DFとしてJ1やJ2で活躍した元Jリーガー。87年に山形県長井市で生まれた彼は、専修大学から2010年に柏レイソル入り。栃木SC、ベガルタ仙台、ヴィッセル神戸を経て、2021年に山口へ移籍し、2022年シーズンはキャプテンの重責を担った。
だが、視力の低下でプレーに支障をきたすようになり、同年末に引退を決断。そのタイミングで当時の小山文彦社長から「レノファの社長に就任しないか」と予期せぬ打診を受けたのが、経営者転身のきっかけだったという。
今でこそ、ザスパ群馬の細貝萌社長、サガン鳥栖の豊田陽平社長のように現役引退から間を置かずにJクラブトップに就任する人材が何人か出てきているが、渡部社長はその先駆者。現役時代から山口県防府市で児童福祉施設の運営を手がけていて、事業の経験は多少なりともあったが、Jクラブのマネージメントは全くの未知数。35歳という若さも含め、不透明な部分が多かったのだ。
「就任した頃は本当に知らないことばかり(苦笑)。『社長としての理想像』は全く持っていなくて、とにかく最初の1年間はクラブ、地域、パートナー企業などを走り回り、自分なりに見て、学んでいた印象です。もちろん経営者なので、明確なビジョンを持たなければいけないし、それを地域や関係先の人々に共有して、共感を得ながら進んでいく必要がある。そういう自覚は日に日に強くなりました」と彼は3年前の自身を振り返る。
社長就任3年目にJ2最下位の苦境に直面。痛感した「事前準備の重要性」
渡部社長の真摯な姿勢とスタッフの営業努力もあって、2023年度が10億9800万円、2024年度が12億5100万円、2025年度が13億8500万円と山口の売上高は右肩上がりで推移した。それに比例して現場の成績も急浮上できればよかったが、逆に苦境が続いてしまう。2023年はJ2・22チーム中20位とギリギリで残留。2024年は20チーム11位と少し順位を上げたが、2025年は最終的に下から2番目の20チーム中19位。最終節に降格が決定。渡部社長も本当に辛い思いをしたという。
「結果が出ない時に結果論ばかりを言ってしまうと、現場もしんどいですし、それが正解かどうかも分からない。彼らが『これを信じてやろう』という方向性が、我々経営サイドの考えと一致しない状況も垣間見えたので、昨季も何度か修正をしましたが、本当に難しかったし、うまくいかなかったですね。
そこで自分が痛感したのは、事前準備の重要性。サッカーの場合、主力がケガで長期離脱したり、特定のポジションが不足気味になったりしますから、そこですぐ対応できるように予算を確保したり、補強候補を事前にリストアップしておくなど、最初から万全の設計しておくことが重要なんです。
どの会社も事業計画を作りますよね。Jリーグは1シーズン38試合あるので、1つ1つの勝負にこだわるのは当然ですけど、自分たちが目指す数字に達しないという見極めがついた時には、そこから逆算して現場の編成などを対処していかないと行き当たりばったりになってしまう。そこは深く反省したところです」と彼は現場を熟知する社長らしい発言をする。
なぜ、ここまで強くなったのか?DIME最新号は日本サッカー躍進の軌跡を総力特集!
ドーハの悲劇から33年、日本サッカーの躍進は世界を驚かせています。いよいよ北中米ワールドカップが開幕を迎え、盛り上がりは最高潮へ…。 今月のDIMEでは、日本サ…
今季は開幕からホームゲーム1万人を突破。地域の社会課題解決にも注力
大きな挫折を糧に、山口は目下、再起を賭けている。カテゴリーを落とすと観客数が減り、売上高も下がるというのがJリーグでよく見られるケースだ。彼らはそのシナリオを回避すべく、26-27シーズン開幕前から選手たちが参加してチラシ配りをしたり、地域のお祭りに参加して機運盛り上げを実施。その成果が8月15日のホーム開幕戦・FC琉球戦での1万94人、8月30日のFC大阪戦での1万976人という、クラブとしては初の2試合連続で1万人を達成するという入場者数に表れた。
山口の過去3年間の平均観客数は4000~6000人台。1万人という数字がどれだけ破格かがよく分かるだろう。その重要な一戦を1-0で勝利し、渡部社長も前向きなマインドで今季を走り切ろうとしている。
「降格という現実があるので、売上高へのマイナス影響があるのは事実だと思います。そういう中でも、我々は『15億円超え』という1つの大きな目標を立てています。
そのためには、もちろんパートナー収入を増やさないといけないんですが、課題解決型の関係構築を念頭に置いてアプローチしています。レノファが持つ人を集める力、発信力、つなぐ力という3つを生かしながらプラットフォームを提供していこうとしています。
一例を挙げると竹林放置の問題があります。レノファがハブとなってパートナー企業の㈱トクヤマさん、周南市さんとともに竹を活用した応援グッズを作ったんですけど、社会課題解決と竹の有効活用、人々の喜びを作るという意味でプラス効果があったと考えています。
このようにサッカーの枠組みを越えた活動を増やしていくことで、クラブの存在価値をより強く認識してもらえる。もちろん現場の勝ち負けも重要ですが、僕は自分がお世話になった山口という地域に貢献したい気持ちが強いですね」と彼は神妙な面持ちで言う。
「2030年にはJ1定着」の中期ビジョンを元Jリーガー社長はどう実現させる?
現場、そしてクラブの地道な取り組みを結実させ、「2030年にはJ1定着」というのが、渡部社長が描く中長期的なビジョンだ。2026年時点でJ3にいるクラブにとっては高い目標設定に他ならない。
それでも、同じ中国地方にあるファジアーノ岡山が2025年のJ1初昇格から一気にクラブ規模を引き上げ、2025年にJ2初参戦したFC今治が9000人弱収容のアシックス里山スタジアムを作ったのを見れば、「自分たちにもできないことはない」という勇気が湧いてくることだろう。
「僕が社長になって最初に衝撃を受けたスタジアムが、岡山のJFE晴れの国スタジアムでした。オーナーの木村正明さん、当時の社長だった北川真也さん(現会長)といった方々の経営手腕はすごく学びましたし、スタジアムをエンターテイメントの場所にするという取り組みも本当に素晴らしかった。勝敗に関わらず楽しめる空間を作っていて、市民が行きたい場所になっているなと感じました。
今治の方は、まず岡田武史さん(現代表取締役会長)の存在感が大きくて、資金調達やクラブ作りのパワーにつながったと思います。そのうえで、矢野将文社長が大きな夢を掲げてビジョンを地域と共有。周囲に里山ファームや福祉施設、学校といった複合施設を作り、365日稼げることを目指せる施設にしたというのは人の心に火をつける成功ストーリーですね。
山口の場合、維新みらいふスタジアムという1万5000人収容の陸上競技場があり、J1ライセンスもクリアしているんですけど、将来的にはつねに人で賑わうサッカー専用スタジアムがほしいんです。僕はその大目標に向かってクラブの解像度を引き上げたいですし、そのためにトップチームを強くしたい。今季はまさに勝負のシーズンになると思います」と渡部社長は今一度、気合を入れていた。
渡部氏の強みは知名度の高さと発信力、そして現場に寄り添える統率力!
彼のような元Jリーガー社長の最大の強みは知名度の高さと発信力だろう。群馬の細貝社長がメディア露出を積極的に行っているのも「少しでも多くの人にザスパ群馬のことを知って、協力してほしい」という思いがあるからだが、渡部社長も山口県内ではあらゆる場に出向いてアピールを続けているはずだ。
もう1つの強みは現場の選手・監督・コーチングスタッフの思いを理解できること。今でも選手からアドバイスを求められることもあるというが、「俺のアドバイスは話半分に聞けよ」と一言挟んでから、率直な考えを提示しているという。
「ただ、自分があまりにも現場に近づきすぎてしまうと、監督・コーチや強化担当の顔をつぶすことになりかねません。そこはしっかり配慮して、バランスを取っていく必要があると思っています。
自分は引退した時点で社会人一年生。その時点から経営やマネージメント、ホームタウンのことを死ぬ気で勉強するしかないと考えていました。現場最優先というわけにはいかないので、やはり現場とは最適な距離感を保つことが重要になってきます。3年半が経過して、ようやくその感覚が分かってきたのかなという気もします。
いずれにしても、今季は何としてもJ2昇格を果たし、中長期ビジョンに近づいていきたい。いずれは山口県からワールドカップ(W杯)選手を出せるようにクラブとしても貢献したいです。2026年北中米W杯を見て、なおさらそういう気持ちが強まりましたが、山口県民がサッカーで誇りを持てるような状況を作っていけるように頑張ります」
まだ30代の元Jリーガー社長がどのような新風を巻き起こすのか。今後のアクションを注視していきたいところだ。
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。
「出会った初日からポイチさんに名監督の資質を感じた」名将、名古屋・ペトロヴィッチ監督が考える日本の進化と課題
2026年の来日以来、さまざまな指導者と仕事をしてきた名古屋グランパスのミハイロ・ペトロヴィッチ(愛称=ミシャ)監督。その最たる存在がサンフレッチェ広島時代に…




DIME MAGAZINE




















