2026年8月21日に大阪中之島美術館で開幕する「フェルメール《真珠の耳飾りの少女》展」。
14年ぶり4回目となる来日を前に始まった先行販売には、販売開始直後からアクセスが集中し、長時間待っても購入できない人が相次いだ。

これを受け、大阪中之島美術館は販売方法を先着制から抽選制へ変更するとともに、当日券の販売中止を発表した。
なぜ、この展覧会はここまで人を惹きつけるのだろうか。
フェルメールが生きた「オランダ黄金時代」
オランダと聞くと、チューリップや風車、サッカーを思い浮かべる人も多いだろう。また、日本史では、江戸時代にヨーロッパで唯一、日本との交易が認められていた国として習った記憶がある人もいるかもしれない。
フェルメールが活躍した17世紀は、そんなオランダが「オランダ黄金時代」と呼ばれる繁栄を迎えていた時代だ。海上貿易によって世界有数の豊かな国となり、商人を中心に市民が豊かになった。
その豊かさは、芸術にも大きな影響を与えた。
絵画は教会や貴族だけが楽しむものではなく、市民が自宅に飾る身近な存在となり、風景画や静物画、日常の暮らしを描いた作品など、多彩なジャンルが花開いた。

こうした豊かな時代の中で活躍した画家の一人が、《真珠の耳飾りの少女》を描いたヨハネス・フェルメールだ。
しかし、彼は当時から世界的な名声を誇る画家だったわけではない。
フェルメールはどんな画家だったのか
フェルメールは1632年、オランダ南西部の都市デルフトで生まれ、生涯のほとんどをこの街で過ごした。
当時のデルフトは、陶器や織物などの産業で栄えた商業都市であり、多くの画家が活動する芸術の街でもあった。フェルメールも、そうした画家の一人だった。
父は宿屋や酒場を営む一方で美術商でもあり、フェルメールもその仕事を受け継いだとされる。結婚後は裕福な義母の家で暮らし、高価な宝石ラピスラズリを砕いて作る青色顔料「天然ウルトラマリン」も惜しみなく使った。
一方で、1672年にオランダが戦争や経済危機に見舞われると、美術市場も大きな打撃を受ける。フェルメールも借金を抱え、1675年、43歳で亡くなった。
現在確認されている作品は35〜37点ほどと少ない。
《真珠の耳飾りの少女》は「最初から名画」ではなかった
フェルメールは亡くなったあと長い間忘れられ、《真珠の耳飾りの少女》も現在のような名画として知られていたわけではなかった。
19世紀にフェルメールが再評価されると、この作品も世界中で注目を集めるようになる。
ただ、フェルメール自身はこの作品にタイトルを付けていなかったと考えられており、1984年に初めて来日した際の展覧会では、『青いターバンの少女』というタイトルで紹介されていた。ちなみに、当時は、まだ現在ほどの熱狂的な人気ではなかったという。
その後、フェルメール研究が進む中で、ターバンよりも真珠の耳飾りに注目が集まるようになり、2000年前後を境に作品名も『真珠の耳飾りの少女』へと切り替わっていく。
2000年の来日時には『《青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)》』と2つの名称が併記され、2012年には『真珠の耳飾りの少女』と表記されるようになった。
1999年には小説『真珠の耳飾りの少女(Girl with a Pearl Earring)』が発表され、2003年に公開された映画がヒットしたことで、この作品の人気がさらに高まったようだ。
名画を見るだけでは終わらない
《真珠の耳飾りの少女》が高く評価されている理由としては、光の表現や色彩、構図など、フェルメールならではの卓越した技法が挙げられる。そうした美術的な魅力については、多くの研究や解説があるため、ここでは詳しく触れない。
私が心を動かされたのは、それとは別のことだった。

1999年に発表された小説『真珠の耳飾りの少女』、そして2003年に公開された映画は、フィクションである。しかし、映画の物語を知ったあとに、あらためて《真珠の耳飾りの少女》を見ると、少女の表情に、映画を観た人それぞれが抱いた思いや感情を重ねて見てしまう。
一枚の絵は何も変わっていない。それなのに、見る側の中で、その絵の物語は少しずつ動き始める。
映画を観た帰りに、近くにいた人が「あの少女は、だからあんなに切ない顔をしているんだね」と話しているのを耳にした。そのことばに、映画の物語がすでに絵の中へ入り込んでいるような、不思議なおもしろさを感じた。
見る人の経験や、その作品とともに積み重ねた物語によって、一枚の絵は少しだけ違う表情を見せてくれる。《真珠の耳飾りの少女》も、そんな作品なのかもしれない。
名画と『葬送のフリーレン』が響き合う理由

今回、『葬送のフリーレン』と、このフェルメール展のコラボレーションも実現している。それを知ったとき、最初、意外な組み合わせだと感じた。
しかし考えてみると、このコラボレーションには納得できる理由があるように思えた。
葬送のフリーレンは、かつては何でもないことのように受け止めていた出来事やことばに、その後の経験を重ねるなかで、違う意味を見いだしていく物語だ。過去そのものは変わらない。それでも、自分が変わることで、その意味は深まっていく。
時を超えて、人は少女に会いに行く
マウリッツハイス美術館の館長は、「当館にとって、この『少女』の旅は、日本の皆さまに彼女を送り届けられる、おそらくは最後となるであろう特別な機会です」とコメントしている。
だからこそ、大阪で出会う少女も、きっと一人ひとり違って見えるはずだ。
今度の大阪では、あなたはどんな少女に出会うのだろうか。
取材・文/内山郁恵
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