「香りの効果」と聞くと、多くの人は単なるリラクゼーションや癒やしを思い浮かべるかもしれません。しかし最新の科学において、香りは生物が過酷な環境を「生き抜く」ための重大な武器であることがわかっています。本記事では、財満信宏氏の著書『香りをかぐという最強の健康法』から一部を抜粋・再編集。体内の行き過ぎた炎症を予防し、健やかな身体を保つための「香りの化学」の可能性について解説します。
香りは生物が「生きる」ための重要なアイテム
突然ですが、質問です。
この世の中には、何種類くらいの天然香気成分が存在すると思いますか?
正解は、現在わかっているだけで、おおよそ数千種類。膨大な種類の香気成分が様々に組み合わさり、地球に無数の香りを存在させています。
では、次の質問です。
それほどに無数の種類の香りはなぜ、この世に存在するのでしょうか?
香気成分が最も多く存在しているのは、植物です。世の中に存在する香りは、動物由来も存在するものの、そのほとんどが植物由来になります。
なぜ植物は香るのでしょう?
それは、生命維持のためです。
例えば、こんな話があります。よくある桜並木を想像してみてください。
一本の桜の木に毛虫がわいて、葉をかじったとしましょう。毛虫に葉を食べられると、光合成をする力が弱まってしまいます。光合成をする力が弱まれば、生きるために必要なエネルギーが作れなくなり、どんどんと木が元気を失ってしまいます。
そこで、その桜の木は、空気中に特定の香り物質を放出します。その香り物質で、「葉を食べる毛虫が来ているぞ!」と、周囲の桜の木に警告するわけです。それを感知した周囲の木々は、体内で毛虫が嫌う成分を作り始めます。毛虫が葉をかじりたくなくなるような成分を作って、虫食いを防ぐのです。
驚くべきことに、植物は、生命維持のために香りでコミュニケーションを取っているんですね。ほかの生物のように動くことができない植物にとって、香りは生き延びるために欠かせない生命維持装置なのです。動物でも、香りが生きるために大事な役割を担っています。
ひとつ、わかりやすい例を挙げましょう。
ネズミは猫を怖がることで知られていますが、そもそも、なぜ猫が危険であることを知っているのでしょうか。
この問題に関して、ある仮説を検証するために行われた実験があります。それは、ネズミの脳の嗅覚を司る領域を排除するというものです。嗅覚を失ったネズミは、猫を恐れることがなくなったという結果が報告されています。この実験から、ネズミは猫が危険であることを本能で理解し、その本能は香りによって発動するということがわかったのです。
人間にとっても、生きる上で、香りや嗅覚は欠かせない存在です。例えば、視力が弱い人間の赤ちゃんは、香りで母親を識別しているという研究結果があります。また、腐った食べ物やガスのにおいを嗅いだとき、私たちは直感的に「イヤなにおいだな」と感じますよね。
これは、視覚や聴覚よりもいち早く危険を察知する嗅覚が、身体を守るための警報システムとして働いているからです。
香りがあるということはつまり、そこに生命があるということ。人間を含むあらゆる生物の生命活動において、香りは深く関わっているのです。
香気成分「β-カリオフィレン」が血管をしなやかに保つ
成人の身体の中にある血管を全てつなぎ合わせると、約10万キロメートルの長さになるといわれています。参考までに、地球一周分の距離は約4万キロメートル。東京都の道路全長が、約2万4700キロメートルになるそうです。都内の道路の全長よりも、地球一周分よりもはるかに長い血管が、私たちの全身にびっしりと張り巡らされているというわけです。道路を車で走っていると、工事や事故が起きたりして、渋滞に巻き込まれることがよくあります。その4倍もの長さになる血管ではなおさらのこと、必ずどこかで問題が起きていて、血液の渋滞が発生しています。その問題の一つが、動脈硬化です。
動脈硬化というのは、その名の通り、動脈が硬くなってしまうこと。簡単にいうと、余分なコレステロールが血管の壁にひっつくことにより、かさぶたのようなコブができてしまっている状態です。コブができれば血管が狭くなり、血液がうまく流れなくなってしまう。これによって、様々な病気を引き起こしてしまうのが、動脈硬化という症状です。
年を取ると身体が硬くなっていくように、血管もまた、細胞が衰えていくことによって、しなやかさが失われていきます。これは動脈に限らず、身体を駆け巡るあらゆる血管で、加齢とともに血管の柔軟性が失われていってしまうのです。
このとき重要なポイントになるのが、血管にある弾性線維。弾性線維は、伸びたり縮んだりすることで血圧を調整し、血流を全身に行き渡らせる重要な役割を担っています。心身の状態で刻一刻と変わる血液量を、必要な分だけ各器官に届けるサポートをしているのです。
一方で、弾性線維は、加齢や偏った食生活、ホルモンバランスの変化、喫煙などによって形が変わってしまうと、血流を全身に行き渡らせる働きが低下することがわかっています。それを食い止める救世主こそ、香気成分のβ-カリオフィレンなのです。
万病の元にも?長引く「体内の闘い」と香気成分の関係
実は、β-カリオフィレンには、もう一つ重要な働きがあります。それは、慢性炎症を予防する抗炎症作用です。炎症とは本来、身体に入った有害物質を排除して、傷ついた組織を修復しようとする防御応答のことをいいます。もともと身体に備わった機能で、どんな環境でも生き抜くための防御反応の一つ。また、「異物が入ってきたよ!」と身体に伝えるアラートのようなものでもあります。
例えば、風邪をひいて熱が出るとしんどいですよね。これも炎症の一種で、体内で免疫細胞がウイルスと戦っていることの証です。免疫細胞が活性化し、体温上昇のための仕組みが活性化されることで、発熱という症状が表れるのです。風邪による発熱や日焼け、歯痛などは、いずれも一過性の「急性炎症」に分類されます。原因となる異物が除去され、組織が修復すると、自然に元の状態に戻っていきます。
一方で、厄介なのが、長期間続く「慢性炎症」です。慢性炎症とは、免疫細胞が、体内に入ったウイルスや細菌などの有害な異物から体を守るために免疫細胞が反応し、排除しようとする一連の防御反応である免疫応答がいつまでも終わることなく、組織破壊と修復が長い間続いている状態のことです。異物と、それを退治しようとする免疫細胞の闘いがなかなか終わらず、周辺の組織までが破壊されてしまうことによって、症状が悪化するケースも見られます。
先ほど説明した動脈硬化も、まさに典型的な慢性炎症のパターンです。血管壁にとっては異物であるコレステロールを排除しようとする免疫細胞の奮闘が、結果的に血管にダメージを負わせてしまうのが動脈硬化という状態。こうした類の炎症は、身体のあらゆる部分で起きており、がんや糖尿病、認知症をはじめ、ほとんどの病気の原因ともいわれています。
慢性炎症の行き過ぎた闘いに、適切なタイミングで「そろそろ幕引きだよ」とストップをかけるのが、ほかでもないβ-カリオフィレンです。β-カリオフィレンが身体のある「スイッチ」を押すことで、炎症を抑制する指示が細胞に発令されます。これにより、慢性炎症が予防され、がんの発生や糖尿病などを抑制することが、動物実験レベルで報告されています。
ヒトへの検証は、今、まさに進行中ですが、β-カリオフィレンがあらゆる炎症の抑制に効果的であることが証明できれば、万病の元を予防する万能「香」としての活躍も期待できます。がん、糖尿病、認知症、歯周病、シミや吹き出物といった肌トラブル。これらを香りで「治す」ことは難しいかもしれませんが、その元凶である慢性炎症を「予防」することができれば、様々な可能性が広がるでしょう。
文/財満 信宏
ざいま・のぶひろ。近畿大学教授、博士(農学)。血管疾患発症機構の解明と予防・治療法の確立を目指した研究を行っているほか、食品と人間、香りと人間の関係を明らかにする研究を行っている。クローブや黒胡椒などに含まれる香り成分「β-カリオフィレン(BCP)」の吸入によって血管保護効果が発揮することを発見。2022年、研究成果が薬物療法に関する専門国際誌“Biomedicine&Pharmacotherapy”に掲載され、注目される。




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