今年6月中旬、ワシントンD.C.近郊のスーパーチェーン「トレーダージョーズ」に開店30分前に着くと、すでに入口前には長い列ができていた。お目当ては新作スニーカーでも人気ゲームでもない。スーパーのトートバッグだ。
開店と同時に人々はバッグ売り場へ向かい、小走りで手を伸ばす。商品はみるみる売れ、売り場はほどなく空になった。
こうした光景はいま、アメリカ各地で繰り返されている。
人々を熱狂させているのは、同チェーンが数量限定で販売するミニサイズのトートバッグだ。発売されるたびに即完売し、SNSには購入報告があふれ、フリマサイトでは定価を大きく上回る価格で取引されることも珍しくない。なぜ、日用品にすぎないスーパーのバッグが「ブランド化」したのか。その背景にある販売戦略とSNS時代の消費トレンドを探る。
なぜスーパーのバッグを買うために、開店前から人が並ぶのか

筆者がトレーダージョーズ(通称トレジョ)のトートバッグの熱狂を知ったのは、およそ1年前。妻に頼まれ、発売日に近所の店舗へ足を運んだ時だった。開店からだいぶ時間がたっていたにもかかわらず、売り場には多くの人が集まり、お目当てのバッグを次々と手に取っていた。
その日発売されたのは、厚手のキャンバス生地を使ったミニサイズのトートバッグで、プレーン(無地)なカラータイプだった。
そして今年6月中旬。昨年発売されてあっという間に完売したプレーン(無地)なカラータイプに続き、今度は新デザインとなる「ストライプタイプ」の発売日を迎えた。


店舗前に大規模な行列ができる光景を日常的に見ることが少ないアメリカで、午前8時前からこれほどの人出があるのは異例中の異例だ。SNSを確認すると、全米各地の店舗でも同じような状況が起きていた。筆者が並んだ店舗よりも、はるかに長い行列の写真が次々と拡散されていた。

午前8時の開店時刻ちょうどに、店舗のドアが開いた。行列が乱れて横入りするような混乱こそなかったものの、皆がレジ近くのバッグ売り場へ向かって小走りで移動する。
現場に到着した瞬間、それまでの秩序は消え去った。もう順番など関係ない。誰もが我先にと、お目当ての色のバッグへと手を伸ばす。そこからは、まさに争奪戦だった。



発売日は非公開、それでもファンは情報を追い続ける
なぜ、アメリカのスーパーチェーンが販売する日用品にすぎないトートバッグが、争奪戦になるほどの人気を集めるのか? その理由は、トレジョ独自の販売手法にある。
まず驚くのは、トレジョがトートバッグの発売日を正式には発表していないことだ。では、どうやって人々は情報を入手するのか。
ファンの間には、トレジョのバッグ発売情報を追う「ウォッチャー」が存在し、SNSで最新情報を発信している。彼らの情報源は多岐にわたる。店舗の配送スケジュールや在庫システムを把握した店員から直接情報を聞き出すケースもあれば、それがSNSで拡散されて発売日が特定されることもある。「ウォッチャー」の中には、アメリカ在住の日本人もいて、現地の日本人コミュニティにも熱心に情報を共有しているそうだ。
だが、あまりの過熱ぶりから、こうした盛り上がりに変化の兆しも見えている。
かつては沈黙を守っていたトレジョ側だが、最近では大手主要メディアからの直接の問い合わせに対し、広報が事前に発売日を認める事例も出てきた。過熱化を抑え、安全に配慮するために、トレジョ側もメディア対応や販売戦略の見直しを迫られている。
限定販売とSNSが生み出す「欲しくなる仕組み」
さらに特徴的なのは、その洗練された「飢餓感」の演出だ。
ミニサイズのトートバッグを決して定番化せず、数量を絞った限定品として投入する。追加販売されることもあるが、多くは売り切れ次第終了だ。この供給戦略によって、「今買わなければ、次はいつ手に入るか分からない」という強烈な希少性が生まれる。
大手フリマサイトでは、わずか2.99ドルのバッグが、海外向けに一時5万ドル(定価の約1万6000倍)という法外な価格で出品され、SNSで大きな話題を呼んだ。
現在、トレジョはアメリカ各地で600店舗以上を展開しているが、海外進出はしていない。そのためアメリカ国外のファンにとって、このバッグを手に入れる機会は極めて限られている。
アメリカ主要メディアは、アメリカ国外でトレジョのバッグを持つことは、「ルイ・ヴィトンのバッグを買うだけでは決して真似できないレベルの限定感を放っている」と報じている。ルイ・ヴィトンは世界中の主要都市に展開しているが、トレジョはアメリカにしかないからだ。つまり、手頃な日用品であるはずのバッグが、地理的な「希少性」によってラグジュアリー以上の価値を得たのだ。


アメリカ在住の筆者が昨年、日本へ一時帰国した際には、東京の街中でもこの定番バッグを持ち歩いている人を何度か見かけた。
本来、スーパーで使われるバッグは機能的な日用品に過ぎない。だが、限定ミニトートは「供給制限」「非公式情報」「SNS拡散」という3つの要因が重なり合うことで、まるで限定スニーカーのような文化的消費財へと変化している。実用品でありながら「見せるためのアイコン」へと転換をしているのだ。
商品そのものの価値だけでなく、売り方や情報の広がり方、そしてコミュニティの巻き込み方によって、新たなブランド価値はいくらでも生み出せる。
トレジョのミニトートが巻き起こした社会現象は、たとえ身近な日用品であっても、現代の消費者が「欲しくなる理由」を設計することの重要性を示している。
文/ 阿部貴晃
在米ジャーナリスト。日系メディアのワシントン支局で20年以上、国際関係の報道に携わる。2025年4月からはワシントンD.C.を拠点にフリージャーナリストとして活動。米政治・社会・文化、日米関係に加え、ライフスタイルやトレンドなど幅広いテーマで執筆している。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ(https://www.kaigaikakibito.com/)」会員。
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