2026年北中米ワールドカップ(W杯)で優勝という壮大な目標を掲げ、前進してきた日本代表。その夢が断たれたのが、6月29日のラウンド32・ブラジル戦だった。
日本がラウンド32でブラジルに敗れ去ったヒューストンはアメリカ第4の大都市
ご存じの通り、この試合の日本代表は前半29分、佐野海舟(マインツ)がダニーロ(フラメンゴ)のタテパスをカットし、そのまま持ち込んで豪快なミドルシュートで先制。首尾よく1-0で折り返すことに成功した。
しかしながら、後半からカルロ・アンチェロッティ監督の戦術変更により、ブラジルはクロスを多用。次々と日本ゴール前に蹴り込んできて、11分にカゼミーロ(マンU)に同点弾を浴びてしまう。その後、日本は防戦一方の展開を強いられ、後半ロスタイムに田中碧(リーズ)のボールロストからマルティネッリ(アーセナル)に逆転弾を決められ、1-2の敗戦。決勝トーナメント1回戦の壁にまたも阻まれたのである。
この衝撃的黒星を喫したのは、人口230万人を誇るアメリカ第4の都市であるテキサス州ヒューストン。石油精製・石油化学産業の中心として発展を遂げ、20世紀中盤にはテキサス医療センターやアメリカ航空宇宙局(NASA)のジョンソン宇宙センターが設置されるなど、同国の要衝と位置づけられた土地だ。
多くの日本人サポーターは「1996年アトランタ五輪でブラジルを撃破した『マイアミの奇跡』のように、ここで『ヒューストンの奇跡』を起こしてほしい」と切に願っていたが、それは残念ながら現実にはならなかったのだ。
ブラジル戦前日練習の気温計が42度超! 日本はスタジアム視察なしで本番へ
結果的に2026年北中米W杯における日本代表の最後の地になったこの街に彼らが入ったのは6月27日夜。ベースキャンプ地・ナッシュビルからチャーター便で約2時間かけて移動し、28日13時からダウンダウンに程近いシェル・エナジー・スタジアムで前日練習にのぞんだ。
同競技場はアメリカ・メジャーリーグ・サッカー(MLS)のヒューストン・ダイナモの本拠地。屋外で非常に暑かった。もともと夏場のヒューストンは酷暑で知られているというが、筆者がメディア公開された冒頭15分間に直射日光の当たる場所温度計を置くと、一気に42度まで上昇。その後、計測不能になってしまった。ブラジルは10時トレーニング開始でそこまで暑くはなかったはず。やはり格下の日本の方が悪条件での練習を強いられたのは間違いない。
その後、選手たちはホテルに引き上げ、森保一監督だけが試合会場のヒューストン・スタジアム(本来の名称はNRGスタジアム)へ移動。記者会見にのぞんだ。
今回のW杯は天然芝を良好に保つため、前日練習を試合会場ではなく、別の場所で実施するのが通例になっている。が、少なくとも前日のスタジアム視察の時間は設けられており、初戦・オランダ戦前日のダラス、第2戦・チュニジア戦前日のモンテレイもそうだった。しかしながら、このラウンド32に限っては、その機会が省略されていた。それがFIFA側の判断だったのか、中3日という試合間隔を踏まえて休養を重視した日本代表側の意向だったのかは不明だが、いきなり見ず知らずの場所で大一番を戦うことになったことは、日本にとってリスクが大きすぎたと言えるのではないか。
開閉式屋根で快適な温度のヒューストン・スタジアム。だが、ビールは1杯2500円!
その決戦の地、ヒューストン・スタジアムはダウンタウンから約15キロ離れた南西部にある。道が空いていれば、車で15分程度で行き来できる距離だ。ただ、とにかく敷地が広大で、簡単に一周できるような規模感ではない。筆者は最初、どこがメディア入口か分からず、だいぶ離れた場所でウーバーの運転手に降ろされたため、酷暑の中、4分の1周程度を歩く羽目に陥った。しかも、セキュリティゲートを通過した後もメディア&VIP入口になかなか辿り着かず、本当に苦労した。
もう1つ、困ったのが、上層階との行き来に使うエレベーターがなかなか来ないこと。メディアは8階のメディアボックス、もしくは5階のメディアトリビューンのいずれかに行って試合を見ることになるのだが、1階まで行ける階段がないため、大勢の人が集中する試合後は本当に大変だ。
なぜかVIPや一般人までがそのエレベーターを使うのだから、長い時間待つことになる。似たようなケースがダラスでもあったが、「アメリカのスタジアムは便利なようで不便」という印象は拭えなかった。
それでも、猛暑を避けられる開閉式屋根の存在は有難かった。試合当日も35度超の暑さで、外にいるだけでクラクラしそうな環境下だったが、室内の温度は23度。湿度も50%程度に抑えられていて、プレーする選手たちにとっては快適な環境だったに違いない。
このスタジアムは2002年にオープン。普段は主にナショナル・フットボール・リーグ(NFL)のヒューストン・テキサンズの本拠地として使われているという。これだけ快適であれば、7万2200人という収容規模が超満員に膨れ上がったとしても、楽しく試合観戦できるはずだ。
もちろんスタジアム内売店の飲食物は目が飛び出そうな値段設定だ。2026年W杯開催時はビール1杯・16ドル(2500円)という価格。円安の日本人はそう簡単に手は出ないが、平均年収1300万円と言われるアメリカ人にとっては問題ないだろう。スポーツやエンターテイメントにお金を惜しまないこの国では設備・環境の整った競技場が数多くあるが、このヒューストン・スタジアムは象徴的な存在の1つと言ってよさそうだ。
ブラジル戦後の取材は2時間半の長丁場。板倉、冨安、田中碧が号泣
筆者は宿泊費を抑えるため、ダウンタウンから北東部の郊外にあるAirbnb(エアビー)に仲間とルームシェアし、そこからウーバーで相乗りしてダウンタウンのメディアホテルまで行き、さらにシャトルバスでスタジアムに通う形を取った。
結局、試合会場に行ったのは28日と29日と2日間だけ。29日は14時頃、試合が終了し、選手の取材が終わったのは16時半。最初に出てきたキャプテン・板倉滉(アヤックス)が人目をはばからず涙を流し、最後の失点を止めきれなかった冨安健洋(アヤックス)も号泣した。そしてボールロストという重大なミスを犯した田中碧(リーズ)は一言も発することができないまま、広報担当に伴われて取材ゾーンを通過していった。同じような空気感を過去にも体験しているが、W杯敗退後の取材というのは本当に辛いものがある。
敗戦翌日に30日は、最後の選手取材のためダウンタウンにある日本代表の宿泊ホテルに出向いた。前日喋れなかった田中碧も覚悟を決めて登場。「自分の力不足を感じました」と伏し目がちに語っていた。森保ジャパン8年間を戦ってきた堂安律(フランクフルト)や上田綺世(フェイエノールト)らも「力不足」「個の力が足りない」といった言葉を繰り返していたが、W杯の決勝トーナメントで勝ち上がることがどれだけ難しいかを再認識させられる機会になった。
結局、ヒューストンでは不完全燃焼感をにじませる選手の話を聞き、それを原稿にする作業に追われ、それ以外の場所を見る時間は皆無に等しかった。ヒューストンのダウンタウンにはトラムが走り、市庁舎や自然科学博物館、美術館など見所はいくつかあるのだが、足を運ぶ機会はもちろんゼロ。我々メディアにとっても悔しい記憶ばかりが残る土地になってしまった。
W杯期間の航空券は1区間10万円超も珍しくない。経済的負担大のW杯は未来とは?
このヒューストンに数日残ってから、別の試合会場へ行くことも考えたが、イラン戦争勃発による航空券代値上がりが凄まじく、1フライト10万円超も珍しくない。そうなると、自由自在に試合を見て回るというのは難しい。もともと帰国便をダラス発で取っていたこともあり、1万2000円程度払って高速バスチケットを購入。3時間半で移動できるダラスに行き、7月3日のオーストラリア対エジプト戦1試合だけ取材して帰国の途に就くことを選んだ。奇しくもオーストラリアがエジプトに敗れ、ラウンド32でアジア勢が全滅するのと同時に、日本人の筆者もアメリカを離れることになった。
今回の北中米W杯は「広大なエリアでの大会」という意味で、2014年ブラジル、2018年ロシアの両W杯に通じるところがあったが、経済的負担は比べ物にならないほど大きかった。現地を訪れたサポーターからは「ヒューストンでの日本対ブラジル、と7月1日のコートジボワール対ノルウェーの2試合でチケット代が46万円」などという話を耳にしたが、円安・インフレの影響も重なって、本当に厳しいものがあったはずだ。W杯が簡単に行けるイベントではなくなってしまったことが残念で仕方がない。
2023年W杯はスペイン、ポルトガル、モロッコの3か国が主開催国。ただ、100周年を記念して、ウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイでも試合が行われることになっている。「万が一、日本代表がその組に入ったら…」と今から戦々恐々としているが、少なくともチケット代はもっと安くすべき。日本代表がより上のステージに辿り着くためにも、多くの人々が現地に行ける環境が望ましい。そうなるように日本サッカー協会にもFIFAに働きかけてほしいものである。
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。
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わずか30年でここまで代表チームが成長し、日本のサッカー文化自体も発展を遂げられたのはなぜか? その足跡をサッカー協会、Jリーグ、外国人監督、元日本代表のレジェンドたち、スポンサー企業など様々な視点で読み解く。
さらに『アオアシ』をはじめ、サッカー漫画がいかに日本サッカーの躍進に貢献したのか、元日本代表レジェンドたちにも取材もしました。
日本サッカー協会会長 宮本恒靖
日本サッカー協会名誉会長 田嶋幸三
Jリーグ チェアマン 野々村芳和
名古屋グランパス監督 ミハイロ・ペトロヴィッチ
ガンバ大阪 代表取締役社長 水谷尚人
元サッカー日本代表 戸田和幸
元サッカー日本代表 遠藤保仁
元サッカー日本代表 福西崇史
元サッカー日本代表 中村憲剛
『アオアシ』作者 小林有吾先生
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