■連載/阿部純子のトレンド探検隊
大阪に本社を置く日本で唯一のソフトクリームの総合メーカー「NISSEI」が、日本で最初にソフトクリームを紹介したのが1951年。ソフトクリームの歴史を紹介した「ソフトクリームの歴史展」が、「ソフトクリームの日」の7月3日から7月5日まで渋谷で開催された。
国民的スイーツとして75年間愛されているソフトクリームの歴史、時代によって変化してきたソフトクリームの変遷など、日世株式会社 マーケティング部 企画グループ 住元美映氏に解説してもらった。
日本上陸75年を迎えた国民的スイーツの歴史をたどる
戦後復興の真っただ中にあった1947年、日系二世の田中穣治氏が、米国・カナダの日系二世であるメンバーを中心に、英語力を活かして日本復興に必要となる貿易業務を目的に「株式会社 二世商会」を設立した。
貿易業務を模索する中で、アメリカの知人から米国で大流行しているソフトクリームの情報が持ち込まれたことで同社に転機が訪れる。当時の日本の氷菓は、水に甘味や着色料をつけたものが主流で、ソフトクリームという言葉すら誰も知らなかった時代であり、創業者の田中氏は、いずれ日本でも人気商品になるであろうと確信。フリーザー(製造機)の輸入を決意する。戦後の厳しい輸入規制のなか、米国スウェーデン社のソフトクリームフリーザー「1-95A3 型 (通称チャレンジャー)」を10台輸入することに成功した。
1951年7月3日、明治神宮外苑で開催された米軍主催のカーニバルにて、日本人に初めてソフトクリームがお披露目された。その当時大ブームを起こし、これを機に同社は、百貨店や大食堂などへソフトクリームの売店を出店することになり、日世株式会社の礎になった。(※下記画像はソフトクリームフリーザー「チャレンジャー」と販売店の様子)
第1次ブームとなったのが1950年代前半。1953年のテレビ放送開始と時を同じくして、デパートの大食堂や、街中のそば屋にソフトクリームメニューが登場する。デパートの食堂のショーケースを見ると、当時のソフトクリームの価格は30円、50円。
そば屋とソフトクリームの組み合わせも不思議だが、当時は街頭テレビが多く、東京下町のそば屋が客寄せのひとつとして店にテレビを設置。当時人気のあった力道山が活躍するプロレス中継が夜8時から始まるためそば屋に人が集まったものの、すでに夕食を済ませた客が多かったことから、ソフトクリームを売り出したところ飛ぶように売れたという。
それまではソフトクリームに使うコーンは100%が輸入だったが、戦後復興の中で街に飲食店が急増する中、同社は1953年に大阪工場を開設。国産の「No.2テイクアウトコーン」(下記画像)、「No.1フレアートップコーン」の生産を開始した。翌1954年以降は、国産フリーザーや原料の普及も相まって爆発的なブームが起きた。
1950年代後半にはソフトクリームを全国に届けるため、国産の専用フリーザーや原料、シュガーコーンが次々と誕生、「移動販売車」が全国を駆け巡りソフトクリームの魅力を広げていった。
1950年代後半は市場の輸入物のフリーザーが老朽化し、それらを放置してしまうとソフトクリーム市場の衰退に繋がることから、同社でもフリーザーの自社開発に取り組み、1963年に国産初のフリーザー「1-216A3型」の製造販売を開始した。
1960年になると新幹線や高速道路の開通で空前のレジャーブームが到来。1967年にダブルタイプのソフトサーバーを発売し、2つの味を同時に楽しめる「ツイン盛り」が流行。横に並べて盛れる「ダブルヘッダーコーン」などもあり、ドライブインや遊園地では、子どもから大人まで楽しめるようなソフトクリームが登場した。(※下記画像左がシュガーコーン、右がダブルヘッダーコーン)
1970年の大阪万博では、会場内に約200台の機械が設置され「ソフトクリームを食べながらパビリオンを巡る」スタイルが大流行。これを機に第2次ブームが起こり、全国のスーパーや駅ビル、ショッピングセンターへと一気に普及した。
当時はカラフルな商品が流行していたため、コーンカップも赤・青・黄・茶色の「カラーコーン」が登場。また、市場の要望から「ジャイアントコーン」よりさらに大きく、サンデー盛りにも使える「ジャンボコーン」の生産も開始した。
1980年代に入ると、ソフトクリームはさらに自由で個性的なスイーツへと進化。複数の味を高く重ねた「段盛り」や、遊び心あふれる「ビッグパフェ」を提供する専門店の「ミュクレバー」が街に登場して若者の間で大流行した。
この頃から高級感のある手焼きワッフル風の「ワッフルコーン」や、ジェラートブームに合わせた四角や三角のコーン、溶けだしを防ぐ八角型コーンなど、形も食感も多様化していく。
1990年代になると、コンビニでの本格展開や牧場ソフト、全国に「道の駅」ができたことなどをきっかけに第3次ソフトクリームブームが到来した。
各地のフルーツや特産品を生かした色鮮やかな「ご当地ソフト」も続々と誕生。今では全国の観光地やパーキングエリア、道の駅などでご当地ソフトを楽しむことができる。
「ソフトクリームは1年ごとにトレンドがあるわけではなく、紹介したような1次ブーム、2次ブーム、3次ブームと、10年単位で大きなトレンドがやってくる印象です。現在は有名パティシエのソフトクリームや、バレンタイン催事で登場するチョコレートソフトクリームなど、高価格帯のものも出てきており、日常的だったソフトクリームが、付加価値のあるスイーツになりつつあります。
ソフトクリームは今でも魅力的なスイーツで根強い人気がありますが、お店や地域の特徴を表す商品でもあるため、味だけではなく、その土地の個性を出すような商品として浸透してきています」(住元氏)
【AJの読み】50年前以上から記憶に刻まれている「日世のコーン」
来年に還暦を迎える筆者は、子どもの頃の思い出などすでに記憶の彼方にあるが、アメリカ人の子どもをイメージしたような男の子と女の子が描かれた「日世のコーン」(“日世”がなんと読むのかわからなかったが)は、記憶として鮮明に残っている。
遊園地や百貨店の屋上(当時は遊具が設置されているところが多かった)、スーパーのイートインなど、ソフトクリーム型のスタンドライトと共に、ソフトクリームが食べられる楽しい場所=日世というイメージが強烈に焼き付いている。
50年以上前から見ていたあのキャラクターはふたごの兄妹で、2001年に公募で「ニックン」と「セイチャン」という名前も決まり、今も同社のマスコットキャラクターとして活躍している。
「弊社では1953年より国産コーンの発売を開始しましたが、それまではすべて輸入品で、コーンを製造している現地の会社のキャラクターをそのままパッケージに使わせてもらっていました。その会社はすでに廃業しましたが、キャラクターは引き続き使わせてもらえることになりました。当時は外国風のイラストでしたが、現在は今風にアレンジされたキャラクターデザインとなっています」(住元氏)
NISSEIはソフトクリームの原料となるソフトクリームミックス、コーン、フリーザーと、BtoB領域の展開がメインだが、消費者向け商品として販売しているのが、2013年に販売を開始したプレミア生クリームソフト「CREMIA(クレミア)」。
3年をかけて400回以上の試作を重ねて完成したCREMIAは、北海道の上質な生クリームを25%使用した(乳脂肪分12.5%)濃厚なコクがありながら、4種類の砂糖をセレクトしてキレのある甘さに仕上げすっきりとした後味に。ドレープのような上品なフォルムを生み出すフリーザーも開発し、ラングドシャタイプのコーンでよりプレミアム感を生み出している。
全国の飲食店、道の駅、サービスエリアなどで販売。取扱店は公式サイトの「CREMIAが食べられるお店」を参照。
取材・文/阿部純子
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