三宅坂に紀尾井坂、宮益坂に道玄坂、乃木坂、神楽坂、九段坂、魚籃坂、薬研坂……東京には名前がついた有名な坂がたくさんある。
そんなあまたある坂の中の〝名坂〟を、タモリさん自らが撮影し、解説してくれるのが『お江戸・東京 坂タモリ 港区編』『お江戸・東京 坂タモリ 新宿・渋谷・目黒編』(ART NEXT)だ。この本の監修をされているのが、タモリさんが副会長を務める「日本坂道学会」会長の山野勝さん。今回は、山野さんとそんな坂に秘められた魅力を振り返っていく。

山野勝(やまの・まさる)
1943年生まれ。日本坂道学会会長、坂道研究家。早稲田大学政治経済学部卒業後、報知新聞社へ入社、その後講談社へ移り「週刊ヤングマガジン」編集長など週刊誌、月刊誌の編集長を歴任、取締役や日本雑誌協会理事長を務めた。退職後はカルチャースクールで坂道の魅力を伝える講座を受け持ち、現在はDMMオンラインサロンで「日本坂道学会・山野勝のお江戸坂道・歴史散歩」を開講中。著書に『江戸の坂─東京・歴史散歩ガイド』『江戸と東京の坂─決定版!古地図“今昔”散策』『古地図で歩く江戸と東京の坂』がある。日本坂道学会・山野勝のお江戸坂道・歴史散歩
なぜ坂に名前がついているのか?
山野さんによると、東京23区内には名前のついた坂が640もあるのだという。山野さんはそのすべての坂に何度も訪れ、調べ尽くしている方だ。
「江戸時代からの坂が500、明治以降は140あるんですよ。名前のない坂も含めると約3000あるから、そのうちの640に名前がついているということです。これって世界的に見ても、すごく多いと思いますよ」
山野さんが坂に興味を持ったのは高校2年生の時。福岡から東京へ引っ越してきて、東京の街を知ろうと歩いていたところ、坂に看板があることに気づき、そこに坂の名前と由来が書かれていて驚いたのが始まりだという。
「東京ってこんなに名前のある坂道があるの、と思ったのが一番最初。それに刺激されて、坂道の本があるのかなと思って、神田の古本屋街へ行ったんです。そうしたら坂道研究家ってのはね、私の先輩、4人いるんですよ(笑)。その人たちの本を買ってきて読んだんですけど、辞典なんですね。坂の名前と由来、住所は書いてあるんだけど、地図がないから、自分で探さないといけない。それで『よし、じゃあ坂を地図の中に全部落とし込もう』と思ったんです」
古地図と現代の地図を見比べ、現地へ行って坂を確認してマッピングすることを繰り返し、大学卒業後に就いた仕事の傍ら東京23区内の名前のある坂を同定し続け、640の坂をすべて地図上に落とし込んだという。それにしても、どうしてこれほど多くの坂に名前がついているのだろう?
「それはね、行政上のシステムが原因だからなんです。江戸は武家屋敷が面積の中の約7割を占めていて、寺社が15%、そして残りの15%に町人が住んでいました。庶民はだいたい職業別に集まって住んでいて、鍛冶屋が住んでいる鍛冶町といった名前がついていた。でも大名や武士たちは地方から参勤交代で江戸へ来ているので、自分たちが住んでいる場所がここだと知られたくないわけね。つまり安全保障の問題なんですよ。それに自分の藩のプライドもあるから、住んでいるところに勝手に町名なんてつけられたくない。だけど町人はお米だとか醤油だとか衣服とかを大名や武士の屋敷に届けなきゃいけない。しかし武士が住んでいたところは、赤坂とか小石川とか関口とか小日向とか広い範囲を指す地名しかない上に、藩主が住む一番広い上屋敷は10万坪もあったんですよ。10万坪といってもピンとこないでしょうけれども、赤坂御所や東京大学の敷地がだいたい10万坪です。そんな広いところなので、坂に名前をつけ、町名の代わりにしたんですね」

武家屋敷は傾斜地に立地している場合がほとんどなので、その近くには坂が必ずあるのだ。
「例えば千代田区紀尾井町のホテルニューオータニのところに紀尾井坂というのがありますが、坂の周りに紀伊藩と尾張藩と井伊家の屋敷があったので、その頭文字を取ってつけたんです。それが明治になって坂の名前から紀尾井町という地名になった。このように、町人が武家屋敷へ行くため、便利になるよう町名の代わりにした坂の名前が今も残っているんです。でも命名には規則があるわけじゃなくて、庶民が勝手につけているので、名前が変わったり、別名があったりするんです。文京区に団子坂という坂がありますが、あれは最初は千駄木坂だったんです。今でも地名に残ってますよね。それが坂から海が見えるので潮見(汐見)坂になり、坂の下に七面堂があったので七面坂と呼ばれるようになった。その後、あの辺りに植木屋が多かったことで菊人形が作られるようになって、ものすごい見物客が集まって来たんです。それを見て『団子屋をやったら儲かる』と出した団子屋が繁盛したことで団子坂と呼ばれるようになった。このように名前は4つですが、全部同じ坂道なんです」
日本坂道学会が掲げる「名坂の条件」
山野さんのお話は坂だけにとどまらず、歴史や人物の話へどんどん広がっていく。タモリさんとの出会いも、仕事の関係者と行った銀座のバーでついつい坂や歴史にまつわる話が止まらなくなり、それをたまたま居合わせたタモリさんが耳にして、「すみません、私も坂道好きなんですけど」と話しかけられたことがきっかけだったそうだ。
「それから会うたびに坂道の話をしているんですが、別に一緒に歩かないのね。バラバラに歩いて、どこが良かったとかいう話をするだけ(笑)。それでもう30年くらい前だと思うんだけど、『坂道の会を作りますか』という話になって、どうせつけるんならかっこいい名前にしようと『日本坂道学会』にしたわけです。学会でもない、単なる趣味の団体で、会員は私とタモリさんの2人しかいないんですが。でも坂に興味を持たなければ、ここまでいろんなことを調べなかったでしょうね。坂のおかげかなぁ」
そんな日本坂道学会には「名坂の条件」がある。
1 勾配の具合(坂の実力判断ポイント)
2 湾曲の仕方(湾曲の具合が優れているのがポイント。ただ湾曲がキツければいいというものではない)
3 まわりに江戸の風情を醸し出すものがある(坂が江戸以来の道筋であり、坂道自体や周囲に「江戸」を感じさせてくれるものが残っていることがポイント)
4 名前に由来・由緒がある(坂名に優れ、その由来・由緒に見るべきものがあるかどうかがポイント)
さらに坂を写真に収める際には人や車などを入れず、坂本来の姿を写すというルールがあるそうで、タモリさんが撮影した『お江戸・東京 坂タモリ』の写真にも、ほとんど人や車が写っていない(ごく稀に映り込んでいる場合もあるので、ぜひ本書で探してみて欲しい)。ちなみにタモリさんは『新宿・渋谷・目黒編』で取り上げた108の坂で、忙しい合間を縫ってなんと4400枚(!)もの写真を撮影したそうだ。
「だからタモリさん、すごい朝早くに行って写真撮ってるんですよ(笑)。本には撮影日と時間が書いてあるんだけど、真っ暗な内から出かけていたんでしょうね」
また坂には様々なタイプがあり、山野さんは坂の名前の由来を独自にカテゴライズしているという。
「人がつけるわけだから、単純なんですよ。まずは『眺望』、富士山が見える西向きの坂は富士見坂、南向きで海が見えるところは潮見(汐見)坂と呼ばれます。次に『勾配』ですが、これは胸突坂などで、読んで字の通り、胸を地面に着けるようにして上らないといけない急勾配の坂のことで、これは下から坂を見た場合です。上からだとあまりに急で、転んでゴロゴロ下まで転がって真っ黒くなっちゃうから炭団坂などと呼ばれます。それから『2つの坂が並んでいる』のは相生坂、坂の『明暗』だと暗闇坂や、お寺の墓地があると幽霊坂と呼ばれたりします」
この他にも坂の形を物などに見立てた「形状・形」、坂の大きさや長さ、幅、悪路といった「状態」からつけられたもの、「人名」「神社・寺院名」など名前から取ったもの、「動物」や「伝説」などに由来するもの、そして江戸っ子らしい「洒落」からつけられた坂や、新しく作られた「新坂」など全部で18種類に分類されるという。ちなみに山野さんの頭の中には古地図がインプットされており、坂を歩く時は「旗本になった気持ちで歩いている」と笑う。坂の魅力、どんなところにあるのでしょう?
「それはやっぱりね、歩いてみればわかりますけど、東京には江戸の痕跡があるわけね。名前もそうだし、急だとか湾曲だとか、条件を備えながら歩くと、お江戸が見えるわけだ。東京はね、江戸時代の道をそのまま使ってるんです。明治通りや山手通り、環七、環八といった新しい道以外は、道幅が広がったりしているけど、曲がり方などはほぼ同じなんです。古地図は幕府が測量して作ったものを、町人が幕府からお借りして、手を加えて作っていたんですが、新しく道ができると更新されていくので、変遷がわかるんですよ。だから今でも江戸の痕跡を辿れるんです。坂を歩くと『ここは江戸時代、こうだったんだな』という考えに耽ることができる。だから坂はね、高等な趣味なんですよ」
坂道初心者は、どんなところから始めるといいのだろう?
「まず散歩をすることですよ。街歩きをすると、坂道のところに看板がありますから、それを見ると簡単な由来が書いてあります。それをね、例えば自分の職場や住んでいるところの近くで探して見てもらえると、だんだん興味が湧いてきますよ。この『お江戸・東京 坂タモリ』には古地図と現代の地図が並んでいて、お勧めの坂道の散歩コースも載っていますから、参考にして歩くといいと思います」
次の『お江戸・東京 坂タモリ』は、どのエリアを?
「それはタモリさんとの総会で決めます。でも写真の撮影に2年はかかるから、俺、それまで生きてるのかわかんないんだよ(笑)」

【ロケ地「胸突坂(吉郎坂)」の解説】


住所は千代田区神田駿河台一丁目、御茶ノ水駅を背に明大通りを駿河台下交差点へ向かっていくと、右手にある明治大学のリバティタワーと大学会館に挟まれた、旧山の上ホテルへと向かう甲賀通りに「胸突坂(吉郎坂)」はある。この日は生憎の雨。しかし山野さんは「雨の方がね、坂が濡れて、情緒があっていいんですよ」と笑う。
「江戸時代、もともとこの辺りには甲賀忍者たちが住んでいたんですが、家康の警護のために江戸から駿河国へ行った旗本たちが家康の死後に江戸へ戻ってきたので、先住の下級武士の甲賀忍者たちを当時田舎だった本郷へ移らせ、旗本の彼らを住まわせる屋敷になったんです。なので駿河国から取って、もともと神田山と呼ばれていたこの辺りを駿河台と呼ぶようになったんです。江戸時代、胸突坂を上がったところには儒学者の室鳩巣の家があって、明治に入ってからは皇族の小松宮家の屋敷になりました。『吉郎坂』の名前は、明治大学の総長を務めた経営学者の佐々木吉郎という人の名前が別名としてつけられているんです」
※坂の名前の由来には諸説あります
【『お江戸・東京 坂タモリ 新宿・渋谷・目黒区編』 出版記念写真展・トークイベントのお知らせ】

『お江戸・東京 坂タモリ 新宿・渋谷・目黒編』の出版を記念し、タモリさん撮影による坂の写真(解説付き)を堪能できる写真展が7月8日~21日、ソニーストア銀座で開催される。また7月12日には山野さんのトークイベントも。入場無料。
『お江戸・東京 坂タモリ 新宿・渋谷・目黒区編』 出版記念写真展
取材・文/成田全(ナリタタモツ) 撮影/小倉雄一郎




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