初戦・オランダ戦3日前のキャプテン変更、板倉滉を森保一監督が抜擢した意図は?
2026年北中米ワールドカップ(W杯)がついに開幕し、日本代表は14日の初戦・オランダ戦(ダラス)を2-2のドローに持ち込むことに成功。何とか勝ち点1からスタートした。
ご存じの通り、日本代表は98年フランスW杯から8大会連続で本大会に出場しているが、決勝トーナメントに進出できなかったのは、98年フランス、2006年ドイツ、2014年ブラジルの3大会。それらはいずれも初戦黒星を強いられたW杯だ。今回、しぶとく勝ち点1を拾ったことで、先への可能性が大いに広がってきたと見てよさそうだ。
その日本代表だが、開幕3日前に前キャプテン・遠藤航(リバプール)が左足首負傷の影響で離脱。チーム全体に激震が走った。後を引き継いだのは、29歳の板倉滉(アヤックス)。2019年コパアメリカ(ブラジル)で初キャップを飾ってから、ここまでの足掛け8年間で40試合に出場。2022年カタールW杯でも最終ラインの主軸の1人としてプレーした選手である。
「滉に託したのは、これまでも長く一緒に戦ってきた仲間ですし、私がコンセプトとして掲げることをピッチ内外で理解し、自分自身が表現できること。かつ、彼のキャラクターとして、いろんな選手とコミュニケーションを取りながらチームの雰囲気を作ってくれることを期待しました」
森保一監督はオランダ戦前日会見で抜擢理由を語ったが、「いろんな選手と話しながら一体感を作れるか」が最大のキーポイントだったことを吐露。それこそが、日本代表のこれまでのキャプテンが担い続けてきた最重要ポイントだと言っていい。
井原正巳→森岡隆三→宮本恒靖の3人を経て、2010年W杯以後は長谷部誠が絶対的キャプテンに
98年フランスの井原正巳(解説者)、2002年日韓の森岡隆三(JFL新宿・アカデミーヘッドオブコーチング兼クラブリレーションズオフィサー)・宮本恒靖(JFA会長)、2006年ドイツの宮本という名リーダーから始まって、2010年南アフリカで大会直前に主将の重責を担ったのが、長谷部誠(日本代表コーチ)だった。
当時の岡田武史監督(FC今治代表取締役会長)が「悪い流れを変えたい」ということで、30代だった中澤佑二(解説者)から20代半ばの長谷部への変更を決断したのだが、当初は「なぜ長谷部?」という空気感が頼っていた。
とはいえ、長谷部であれば、大ベテランだった川口能活(磐田GKコーチ)や楢崎正剛(名古屋GKコーチ)、30歳前後の中澤や中村俊輔(日本代表コーチ)、少し年長の遠藤保仁(G大阪コーチ)や松井大輔(Fリーグ理事長)、そして年下の本田圭佑(FCジュロン)や長友佑都(FC東京)らと”全方位外交”で接することができる立場にいた。
当時の長谷部はチームの中では中堅世代の下の方。特に本田ら年下のメンバーは長谷部とは話しやすかったに違いない。岡田監督としては「若手がイキイキと躍動できる環境を作りたい」という狙いがあったのかもしれないが、長谷部キャプテンは確実に役割を遂行。
ラウンド16でパラグアイにPK負けを喫した際には、殺到するメディアに向かって「みなさん大丈夫です。僕は大きな声で後ろにいる人にも聞こえるように話しますから、押さないでください」という冷静な声かけまでしてみせて、報道陣さえも落ち着かせてしまった。その統率力は際立っていた。
そこから2014年ブラジル、2018年ロシアの3大会を長谷部キャプテンが統率。ブラジルでは「W杯優勝」を掲げながら、グループリーグ惨敗の憂き目に遭い、彼自身もケガ上がりでコンディションが上がり切らずに苦労したが、ネガティブな面を一切表に出さなかった。
そしてロシアの時は、本番2か月前にヴァイッド・ハリルホジッチ監督の更迭というショッキングな出来事が起き、西野朗監督体制で短期間でチームを作り上げ、本番に突入したが、長谷部は要所要所で選手ミーティングを実施。チームとしてやるべきことを明確にし、気合を入れた。
そのおかげで、日本はラウンド16入り。最終的にベルギーに逆転負けしたが、一時は2点をリードするほどの強さを見せた。あの敗戦がその後の代表の成長につながったのは紛れもない事実。長谷部の功績は甚大なのだ。
8年チームを統率した長谷部から主将を引き継いだ吉田麻也は現在もチームに帯同
このベルギー戦を最後に代表を引退した長谷部の後を引き継いだのが、吉田麻也(LAギャラクシー)。ロシアのベースキャンプ地・カザンで「この大会が終わったらもうハセさんと一緒に戦えなくなるのは分かっていた」と号泣したことは、鮮烈な記憶として筆者の脳裏に焼き付いている。
本田や岡崎慎司(バサラ・マインツ監督)という一時代を築いた面々が去った後、2018年夏から現在の森保監督率いる新体制がスタート。吉田は2022年W杯までの4年間を力強くリードしたのである。
その4年間は本当に難しいことが多かった。2019年のアジアカップ(UAE)準優勝、カタールW杯アジア2次予選での停滞、2020年からのコロナ禍と序盤だけで重苦しい出来事がいくつもあった。代表活動もままならなくなり、無観客試合、観客数制限の中の試合などを経て、アジア最終予選も2021年8月からにズレ込んだのだ。
その重要な初戦でいきなりオマーンに敗れ、3戦目で敵地・サウジアラビア戦も落とした。序盤3戦で2敗というのは危機的状況以外の何物でもなかったが、吉田キャプテンは「批判されることは分かっていますが、まだ終わってはいない。終わった時にジャッジしてもらえればいいと思うし、結果が出なければ協会、監督、選手も責任を取る覚悟はできている」という鬼気迫る発言をして、多くの人々の心を動かしたのだ。
サウジから戻る機内では先輩・川島永嗣(磐田)と話し込み、日本に戻って最初の練習でも長友、酒井宏樹(オークランドFC)、遠藤、冨安健洋(アヤックス)と真剣な表情で議論を交わし、チーム立て直しに尽力した。「ウチのピンチはマイボールをボールロストしたところから攻め込まれるのがほとんど」と守護神・権田修一(神戸)も言及したが、劣勢の最大要因がボールを簡単に失いすぎることだと全員で把握。それをチーム全体に伝え、森保監督とも改善策を共有するなど、吉田キャプテンはとにかく必死に日本をカタールW杯へ連れて行こうとしていた。
それが叶い、日本は4年前の大舞台でドイツ、スペインを撃破。ラウンド16でもクロアチアにあと一歩と迫ったが、PK戦の末に敗退。吉田自身もPKを失敗し、ホロ苦い幕引きとなってしまったが、彼のリーダーとしての献身に森保監督は心からの敬意と感謝を抱いていたのだろう。
ゆえに、今回の北中米W杯に向けた活動開始日から3年半ぶりに吉田を招集。5月31日のアイスランド戦(東京・国立)でセレモニーを実施。さらに6月のモンテレイ事前合宿から再招集し、今もチームに帯同させている。
「ハセさん、麻也君、佑都君、拓実君(南野=モナコ)といったベテランの選手がいる今の状況は本当に恵まれている」と急遽キャプテンになった板倉は安堵感を吐露したが、吉田が果たしている役割は本当に絶大なのだ。
2023年からキャプテンになった遠藤航は最高峰リーグでの基準をチームに還元
だからこそ、2023年からの第2次森保ジャパンでキャプテンに就任した遠藤が今大会直前にチームと離れるという出来事が起きても、チームはブレることがなかった。
遠藤は就任直後に「2026年W杯は優勝を狙う」と大目標を掲げ、メンバーの目線を引き上げた。長谷部や吉田のように話術でチームをリードするタイプではなかったが、自身は2023年8月にシュツットガルトからリバプールへステップアップ。世界最高峰クラブの一員になり、そこで試合に出て、イングランド・プレミアリーグで球際の強さやボール奪取力を見せつけることで、日本代表の基準を引き上げてきたのだ。
もちろん遠藤は年下の選手たちが困っていると思えばアドバイスを送り、サポートすることも少なくなかった。とりわけシュツットガルト時代に共闘した伊藤洋輝(バイエルン)などはよく面倒を見てもらっただろう。
「航君がいるだけで安心感がある」という発言をしていた選手もいて、やはりチームに必要不可欠な人材だった。
2024年9月から始まったアジア最終予選でも「さすが遠藤」というパフォーマンスを見せることも多く、彼が中盤でどっしり構えていたから難なくW杯切符を獲得できたところもあった。遠藤を中心にしっかりした団結力のある集団ができ上がっていた分、それを本番にぶつけられなかったのは残念だが、今残っている面々は「航さんにいいニュースを届けたい」と懸命に頑張っている。前キャプテンが残してきたものはそれだけ大きかったということだろう。
「もう一度、気を引き締めたい」という板倉キャプテンのタスクとは?
こうして2010~20年代にかけては、長谷部、吉田、遠藤、板倉とマークが引き継がれ、現在に至っている。板倉がオランダ戦に出場しなかったため、前回は堂安律(フランクフルト)と谷口彰悟(シントトロイデン)がマークを巻くことになったが、板倉は長友とともに選手たちを鼓舞。一体感醸成に寄与した。
「自分が何かをしたとか、そういう話じゃなくて、チーム全体1人1人がいい雰囲気で練習に取り組んでくれていますし、雰囲気づくりというところを助けてくれている。ポジティブで終わったこのオランダ戦の後も気を緩めず、もう一回、気を引き締めてやっていきたいなと思います」と板倉は強調したが、本当に重要なのはここからの戦いだ。日本がまだ見ぬ8強以上に辿り着くためにも、キャプテンの強力なリーダーシップをより一層、強く求めたいものである。
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。
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