今年、日本でロン・ミュエク(Ron Mueck)の大規模な展覧会が六本木で開催される。
ロン・ミュエクは、人間の姿を極端なスケールで表現する彫刻作品で知られる作家だ。数メートルを超える巨大な人物像、あるいは手のひらほどに縮められた人間像。そのどれもが、肌の質感や体毛、血管に至るまで異様なほどリアルにつくり込まれている。
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/ronmueck/index.html
実は、日本でもすでに彼の代表的な作品を体験できる場所がある。青森県の十和田市現代美術館に展示されている《スタンディング・ウーマン(Standing Woman)》だ。展示室に足を踏み入れると、そこには写真で見たはずの女性像が立っている。しかし実際に対面すると、多くの人が同じ感覚を覚えるはずだ。「知っているはずなのに、想像していたのと違う」。とにかく巨大な像を前にすると、恐竜のいた時代の人間はこのような気持ちだったのかもしれないと思い知らされる。
作品画像を見れば、その大きさや精密さは理解できる。だが、同じ空間に立ったときに生まれる圧迫感や、視線の高さが合わない違和感、自分の身体が相対的に小さくなる感覚は、画面の中ではどうしても完結しない。この「撮れるのに、体験しきれない」という感覚は、ロン・ミュエクに限ったものではない。インスタレーションという表現全体に通じる特徴でもある。
映えの時代とインスタレーション
近年、美術館は「映える場所」として語られることが増えた。大きな空間、分かりやすい構図、写真に撮りたくなる仕掛け。SNSに投稿すれば、それだけで体験の一部が共有できる。美術館は、かつてよりもずっと身近な存在になりつつある。その代表例が、金沢21世紀美術館の《スイミング・プール》だ。この作品を手がけたのは、アルゼンチン出身のアーティスト、レアンドロ・エルリッヒである。水を張ったプールの中を人が歩いているように見えるこの作品は、上から撮った写真や動画だけでも強烈な印象を残す。実際、多くの人がこの作品をSNSやメディアで知り、「見てみたい」と思って美術館を訪れる。映えは、確実に人を美術館へと導く入口になっている。
映えは悪いことなのか
このように映えそのものは、決して悪いことではない。むしろインスタレーションは、写真や映像と相性の良い表現だ。インスタレーションは、空間と人の関係性によって成立する。人が立つ、歩く、見上げる。その様子が写り込むことで、作品のスケールや構造が初めて伝わる。つまり、インスタレーションだからこそ撮れる映像が確かに存在する。《スイミング・プール》でも、《スタンディング・ウーマン》でも同じことが起きる。巨大な作品の前に立つ人の姿が写ることで、作品は単なる「モノ」ではなく、「体験の場」として立ち上がる。これは、絵画や小さな彫刻では生まれにくい感覚だ。
写真で終わらない体験
ただし、映えは入口になる一方で、インスタレーションの本質は、その先にある。《スイミング・プール》を実際に体験すると、写真で見た印象とは大きく異なる。地下に降りると、頭上に人が歩く姿が見え、声や足音が少しこもって聞こえる。水があるはずなのに濡れないという違和感。閉じた空間特有の空気や匂い。こうした要素は、写真や動画ではほとんど伝わらない。地上にいる側の鑑賞者、水中にいる側の鑑賞者が相手にとってお互いに作品になり合うという不思議な体験は、やはりその場特有のものだ。
十和田市現代美術館で《スタンディング・ウーマン》を前にしたときも同様だ。視線の高さ、像から受ける圧迫感、会場に漂う静けさ。巨大な像は動かないのに、こちらの身体感覚だけが揺さぶられる。作品を「見る」というより、「同じ空間に置かれる」感覚に近い。インスタレーションは、時間の軸だけでなく、空間の軸を強く持つ表現だ。音や匂い、空気の重さといった記録しづらい要素も含んでいる。だからこそ、映像で知っているはずの作品が、現地でまったく違って感じられる。
撮れるけれど、撮り尽くせない
映えは「行かなくても分かった気になる」ことを可能にする。一方で、インスタレーションは「分かったと思った瞬間から、もう一度問い直させる」。良いインスタレーションは、写真や動画を拒まない。むしろ撮られることを前提にしながら、それでもなお、現地でしか得られない体験を残すものだ。写真を撮ったあと、少し立ち止まる。動画を回しながら、音や距離感に気づく。「思っていたのと違う」と感じる。その瞬間、人はただの撮影者ではなく、体験者になる。ロン・ミュエクの《スタンディング・ウーマン》も、レアンドロ・エルリッヒの《スイミング・プール》も、まずは「映像で知る」ことから始まっていい。だが、そこで終わらない何かがあるから、人はわざわざその場所へ足を運ぶ。インスタレーションは、撮れるけれど、撮り尽くせない。その余白こそが、今もなお、美術館という場所を必要とさせている理由の1つだ。
Wataru KOUCHI
東京在住の美術ライター。2025年にアートナビゲーター(美術検定1級)の資格取得。中学生の時に美術の資料集で目にしたルネ・マグリットの作品を見て美術の世界に興味を持つ。それ以来、国内外の美術館、国際芸術祭を訪問するようになる。好きな作家はルネ・マグリットのほか、レアンドロ・エルリッヒなど。このコラムでは開催中・開催予定の芸術祭、企画展、常設展の紹介の他、社会人として押さえておきたい使える美術の基礎知識を紹介。
美術館で聴こえてくる不気味な声の正体は?ジョナサン・ボロフスキー《3人のおしゃべりする人》が突く現代人の痛い部分
「美術館は静かに鑑賞する場所である」 このルールは、私たちに当たり前に刷り込まれた常識だ。足音に気を遣い、友人との会話も自然と囁き声になる。大勢の人が壁に掛かっ…







DIME MAGAZINE












