元プロ野球・屋鋪要さんが現役時代の逸話から多趣味を楽しむ現在までを赤裸々に記した新刊著書『ノーサインで走れ!』が好評発売中だ。
そんな本に書かれている内容などについて、著者である屋鋪さんと、横浜DeNAベイスターズの野球実況などで知られる実況アナの吉井祥博(よしい・よしひろ)さんが特別に対談!野球の思い出はもちろん、共通の趣味などを全3回の記事で語り尽くしてもらった。
Vol.1では、屋鋪さんの野球解説者としての素顔などを、吉井アナが解き明かす!
【新刊書籍『ノーサインで走れ!』出版記念 特別対談 Vol.1】
吉井 私が初めて屋鋪さんにお会いしたのが、私がIBC岩手放送からTVK(現tvk)に転職して2年目になる1997年。僕がプロ野球の実況アナウンサーを担当する際、屋鋪さんが野球解説者として来てくださるというご縁がありました。
屋鋪 そうでしたね。プロ野球中継で何回か一緒に組ませていただきましたけれど、ハッキリ言って、吉井さんの印象は「真面目だな」と。実は、僕も野球解説の仕事はその時がデビューだったんです。そんな僕の気持ちや言いたいことを、吉井さんは引き出してくれる人だなって思いました。プロ野球の実況アナウンサーって、いろんなタイプの人がいますでしょ? 中には、自分の意見を押し付けようとする人もいて(苦笑)。
吉井(笑)。当時は今よりも多かった気がします。そういう人が。
屋鋪 多かったですよ。そういう人って、正直「やりにくいなぁ」「違うんだよな」と。例えば「屋鋪さん、今のプレイは~ですよね?」と言われると、僕の場合、本当にそう思わないと「そうですね」って言わないわけですよ。だから「ちょっと違うと思います」というふうに、自分の意見を言うようにしていました。でも、吉井さんは「今のいかがですか?」と、あくまでも僕の意見を聞いてくださる。僕の発言に対しても「なるほど」という感じで吸収してもえらえるから、野球解説の仕事がすごくやりやすかったですね。
吉井 そういう対応をしていたのは、当時まだTVK(現tvk)に転職して2年目で、自分にちょっと自信がなかったというのもあるかもしれませんね。ただ、野球解説者が考えていることをしっかり引き出したいというのは、実況する当初から思っていました。屋鋪さんに対しては「どこまでお話を聞いていいものなのか」と、ちょっと探りながら実況を進めていたんですけど、どんなことを聞いてもきちんと答えてくれたことを覚えています。屋鋪さんは細かい野球のプレーについての回答も実に的確。現役当時、運動能力が非常に高い選手であったとともに、かなり考えて野球に取り組まれていたんだなと。野球解説者としての屋鋪さんを通じて確認しました。
屋鋪 野球には長く関わっていますからね。おっしゃるようにいろいろなことを考えながら野球をしてきました。それが財産になったのかもしれません。
吉井 横浜大洋ホエールズ(1993年から横浜ベイスターズ、2012年から横浜DeNAベイスターズ)だけでなく、晩年には読売ジャイアンツに在籍したのも、屋鋪さんにとって大きかったんだと思います。
屋鋪 確かにそうかもしれません。僕が読売ジャイアンツのコーチを辞めて野球解説者になる際、長嶋茂雄さんにこう言われたんです。「お前は読売ジャイアンツのOBだけど、いいことばっかりを言っているようではダメだぞ。OBの中には、読売ジャイアンツのいいことばかりしか言わない人も多いけど、君は自分の思ったことをちゃんと言いなさい」と。そのとおりだなって、思いました。例えば、tvkでプロ野球の中継をしている際に、横浜DeNAベイスターズ寄りの発言をするじゃないですか。
吉井 そうですね。そのほうが視聴者も喜びますし。でも、何か変に気遣ってしゃべるのは難しいなと。
屋鋪 そうでしょ。僕はそういうことができなかったから、以前に在籍したチームに忖度せずに、自分の色を出していました。
吉井 印象的だったのは、KO(ノックアウト)された先発投手に対する屋鋪さんのコメントですね。自分のチームを真面目に応援するわけではなく、ベンチに座ってボーッとしているのを見て「あんなことをしているんだったら早く帰って風呂にでも入ればいいのに」と。
屋鋪 当然でしょ。僕が監督だったらね、すぐに家に帰して「今日のことはすぐに忘れたほうがいい」と言いますよ。
吉井 屋鋪さんが解説の途中に出される、ちょっとしたクイズも覚えています。「こういった時は、ルール上、どうなると思いますか?」って。TVK(現tvk)で野球実況が2年目だった僕は未熟だったので、回答するのが難しかったです。
屋鋪 それは申し訳ないことをしましたね。
吉井 いえいえ。それがあったからこそ、もっと野球のことを勉強しなきゃって。野球のルールは本当に難しいと感じました。
屋鋪 野球のルールブックって、1cmくらいの厚みがある本じゃないですか。しかも、年々ちょっとずつ変わっていく。自分自身もね、ルールをすべて把握しているなんて思っていませんから。
吉井 だから野球のルールに対しては、常に謙虚でいなければならないですよね。
屋鋪 おっしゃるとおりです。解説者でも実況アナウンサーでも、わからないことはわからないって言えばいいんですよ。かつて横浜大洋ホエールズや東京ヤクルトスワローズで監督をされた関根潤三さんも、解説の時には「わかりません」ってよく言っていましたし。
吉井 そのほうが絶対いいですよね。
屋鋪 吉井さんはプロ野球だけでなく、高校野球もtvkで実況されるんですけど、実によく調べていらっしゃるんですよね。ベンチ外の選手のことまで。伝令に行くだけの選手も含めて、いろんな役目についてもきちんと伝えていらっしゃる。それは素晴らしいと思います。
吉井 取材に行ってチームの人たちと会話をするのがすごく楽しくて。その流れでいろいろ聞いたことを話しているだけなんですけどね。
屋鋪 そういうところも含めて、吉井さんはやっぱり真面目な人だなって思います。解説者にとっても選手の話を聞くって、すごく大事なこと。自分の情報だけだと解説の際に話が広がっていかないんですよ。
吉井 わかります。僕ら実況の立場でもそうです。選手から話を聞くことで、ある種の「裏付け」ができる。それがとても大事なんですよ。
屋鋪 でも、しゃべってくれない選手も多いでしょ!?
吉井 今はだいぶ減りました。ただ、私がTVK(現tvk)に移籍した当初は多かったです。
屋鋪 僕もどちらかと言えば、現役時代にあまりしゃべらないほうでした。
吉井 そうだったみたいですね。もちろん選手としては成績が悪かったり、調子が良くなかったりした時には、あまり話たくはないということもあると思いますし。どんな心理状態なのかを探りながら、話しかけるようにしています。
屋鋪 やっぱり吉井さんはすごく気遣いのできる人ですよね。
屋鋪さんと仲が良かったのはレイノルズ!
プレゼントされたジャンパーが今でも宝物
屋鋪 吉井さんが野球のことを好きになったのは、いつ頃から何ですか?
吉井 小学校4年生の時ですね。友達の影響でプロ野球を見るようになって。そうしたらちょうどその年、長嶋茂雄さんが現役を引退されたんです。だから、長嶋茂雄さんの全盛期を見たことがなくて。
屋鋪 そうだったですね。昨年(2025年)に長嶋さんが亡くなった際、現役当時のことをテレビ番組で紹介しているのを見ていたら、最後のホームランとなった444本目のホームランを、レフトスタンドに放り込んだ映像を見ました。
吉井 長嶋さんはベースを踏み忘れたホームランがあって、1本損しているんでしたよね(笑)
屋鋪 そうそう。だから、444本目。阪神タイガースファンの僕にとって長嶋さんは「憎いほど打たれる」という存在でした。吉井さんはどこのファンだったんですか?
吉井 僕は東京の下町に住んでいて、新聞社が配っていたチケットで後楽園球場に通う少年でしたね。ただ、そこからいろんな球団が好きになって、やがてパ・リーグのほうがおもしろなと。近鉄や南海が好きだったんですよ。
屋鋪 へぇー。渋いですね。
吉井 もしかしたら水島精二さんの漫画『あぶさん』の影響が強かったのかもしれません。例えば近鉄なら「西本幸雄っておもしろい人だなぁ」と。人の魅力はパ・リーグのほうが濃いかなって感じていました。
屋鋪 確かに。当時のパ・リーグは個性的な選手が多かったかもしれません。
吉井 最初は読売ジャイアンツのファンから始まったけれど、プロ野球全体が好きになりました。プロ野球チップスを買って、全球団別にカードをホルダーにしまって。「実はこういうオーダーのほうがおもしろいんじゃないか」って、カードを並べて楽しむような少年でした。
屋鋪 僕は小学校6年生までしか実家におらず、中学・高校は寮生活をしていましたから、プロ野球の中継はほぼ見られなかったんです。
吉井 この本にも書かれていましたけど、王さんがデッドボールを受けた後に長嶋さんがホームランを打った伝説の試合(1968年)を、屋鋪さんはご覧になったんですよね。それは、うらやましいなぁ。
屋鋪 そうそう。現地の甲子園球場でね。あれは本当に歴史的な1戦でしたから。ダブルヘッダーの第二試合目。あれを見たのでプロ野球に対する憧れが強くなりました。
吉井 阪神タイガースのジーン・バッキー投手って、あれで骨折してダメになっちゃったんですよね。
屋鋪 その後、近鉄バファローズへ移籍したんですけど、そのまま成績が振るわなくなっちゃって。
吉井 でも、あそこでホームランを打つ人がいるんだなと。さすがは長嶋さん!
屋鋪 長嶋さんは天覧試合でもホームランを2本打っていますし。昭和天皇がご覧になっている試合で、サヨナラホームランを打つなんていうのは、普通の人の運命の巡り合わせでいうと、ちょっと考えられないことですよね。
吉井 伝説の試合に感化された屋鋪さんがプロ入り後に活躍され始めた頃、僕はちょうどIBC岩手放送でアナウンサーになったばかりでした。屋鋪さんを生で見る機会がほとんどなかったのは残念だったなと、今にして思いますね。ただ、岩手にいると横浜大洋ホエールズが年に1回、岩手県営球場に来てくれていたんですよね。
屋鋪 そうでしたね。
吉井 地元は、岩手県における〝郷土の英雄〟として、岩手県出身の欠端光則(かけはた・みつのり)選手を見たい人が多くて。その時、ベンチリポートをしたこともあったんですよ。そんなIBC岩手放送に就職する前、僕の出身である関東近郊の球場には全部行っておこうかなと。いろんな球場に足を運んで、横浜スタジアムにも何回か行きました。その時に印象的だったのは、11打席連続安打を記録したR・J・レイノルズです。
屋鋪 R・J・レイノルズとは、よく食事をしたりお酒を飲んだりしましたよ。レオン・リーとかもね。僕は選手との付き合いが、あまりしないほうだったんですけど、意外と外国人選手とは仲が良かったんです。
吉井 何となく、そんな気がしますね。おふたりともナイスガイだったと聞いたことがあります。
屋鋪 そうなんですよ! R・J・レイノルズは僕とすごく気が合って。とても痩せていた彼は、一緒に寿司を食べに行った際、全然食べないんですよ。「もっと喰え!」って言ったら「僕は胃が小さいんだ」「小さい頃に貧しくてロクに食べられなかったから、ポテトチップスだけで1食終わった時もあったんだ」と。それでもメジャーリーグで活躍して、日本では大記録を達成して。日本に来たのは1991年くらいだったかな。次の年、アメリカから帰ってきた時に「屋鋪、プレゼントだ!」と言って手渡されたのが、今着ているジャンパーなんです。
吉井 え! このジャンパーですか!?
屋鋪 野球のボール、ダイヤモンド、ホームベースが刺繍してある。35年前にプレゼントされたジャンパーですよ。せっかくだから今日の取材に着ていこうと。
吉井 へぇー! 僕もR・J・レイノルズさんといえば覚えているエピソードがあります。シーズン終盤、消化試合になった横浜スタジアムで横浜ファンの人がいきなりスタンドから降りて、ライトの守備についているR・J・レイノルズ選手のところに行き、サインを求めたんです。試合中ですよ(笑)。それなのにR・J・レイノルズは、そのファンが警備員に止められる前にサインをしてあげて。それくらい、ナイスガイだなって。
屋鋪 アメリカでは正直、まだ人種差別が残っていて、そのことに苦労した外国人選手はみんな優しいですよ。そういえば、横浜ベイスターズに1993年から在籍したロバート・ローズっていたでしょ。僕が横浜ベイスターズにいた最終年、当時の近藤昭仁監督とケンカした時には大変でしたね。仙台で行なわれた試合で、凡退したローズに対して、近藤監督が何かを言ったんです。それをローズがちょっと日本語をわかってて反論したところ、近藤監督がカーッとなって、殴り合いになるんじゃないかと。その時に僕は「やめろやめろ!」と止めに入ってね。「ローズ、お前が正しい。けれどここは抑えろ」と。
吉井 あの年はグレン・ブラッグスも加入したけれど、途中、骨折しちゃったから、ローズが4番になったんですよね。
屋鋪 グレン・ブラッグスは、力んで力んでバットをブンブン振り回していましたから。
吉井 完璧に捉えた時の打球はすごかったですけど。
屋鋪 いろんな外国人がいたなぁ。
吉井 ちなみに阪神の選手ですけど、横浜スタジアムの場外ホームランを連発したセシル・フィルダー選手は思い出に残っています。
屋鋪 場外ホームランを連発しましたね! セシル・フィルダーはアメリカに戻っても打ちましたから。懐かしいなぁ。
吉井 横浜大洋ホエールズや横浜ベイスターズに所属した外国人選手は往々にして、いいインパクトをファンに残してくれる人が多かったですよね。
屋鋪 そうそう。当時、チームにいた牛込惟浩(うしごめ・ただひろ)さんという外国人選手獲得の担当者が、性格的にも良くて働きそうな選手を海外から引っ張ってきていたからでしょうね。
吉井 その遺産があるからなのかわからないけれど、いまだに横浜DeNAベイスターズには、キャラクターとしては素晴らしい外国人選手を獲得し続けているイメージがあります。とんでもなく人に迷惑をかける選手はいないと。
屋鋪 他球団の外国人選手の中には、開幕間近で帰国してしまうケースも過去にはありますからね。「ロッカーが汚いから、こんなところでは野球できない!」とか。
吉井 それって、近鉄のドン・マネー選手ですよね(笑)。ゴキブリが出るからって。
Vol.2につづく
元プロ野球・屋鋪要さん
1959年生まれ。小学校4年生から本格的に野球を始める。三田学園中学校・高等学校卒業後、ドラフト6位指名で入団した大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)ではプロ1年目から1 軍の試合に出場。三井ゴールデン・グラブ賞(1985年まではダイヤモンドグラブ賞)を5回、盗塁王を3回獲得。現役引退以降は野球指導に当たってきたほか、鉄道写真、模型製作、ラベンダー栽培などにも没頭。多才な趣味人としても知られている。
アナウンサー・吉井祥博さん
1964年生まれ。tvkで主にプロ野球をはじめとするスポーツ実況を担当。定年退職後の現在はフリーとして同社を中心に活躍している。https://x.com/tvk_yoshiisan
取材・文・編集/田尻健二郎 撮影/羽田 洋
取材協力/Baseball Hub まるは
神奈川県横浜市中区常盤町2-15 三洋ビル103
https://www.instagram.com/baseballhub08
屋鋪さんと吉井さんが今回の対談を振り返るショート動画もチェック!
前編
後編
プロ野球界のレジェンド屋鋪要さんが激動の人生を綴った話題の書籍「ノーサインで走れ!」発売中
大洋、横浜、巨人でスター選手として活躍し「スーパーカートリオ」の一員として脚光を浴びた元プロ野球選手の屋鋪要さんは現在66歳(2026年1月時点)。プロ野球選手を引退してから、ちょうど30年を迎えたが、「プロ野球選手時代より現在のほうが毎日が充実していて、今が一番楽しいです」と笑顔で話す。そんな屋鋪さんが、現役引退から30年経った今だからこそ語れる人生論を綴った書籍『ノーサインで走れ!』が発売され、話題となっている。
第二の人生を楽しく生きるヒントが満載
現在は、社会人や小学生に野球を指導しながら、鉄道写真家としても活躍。また、ラベンダー栽培などの園芸、模型製作、料理など、多彩な趣味をたしなみながら、現役時代よりフットワークも軽く、毎日元気に走り続けている。なぜ、それほど第二の人生を楽しむことができるのか? 第二の人生を心から楽しんでいる背景には、幼少期から大切にしている学び続ける姿勢と挑戦し続ける姿勢がある。
「まずは動いてみる」
「好きなことはとことん探究する」
「自分の心に素直になる」
「感謝の気持ちを忘れない」
「何事も遅すぎることはない」
屋鋪さんの真っすぐな生き方、激動の野球人生を振り返りながら、第二の人生(セカンドキャリア)を楽しく生きるヒントが満載。ハマのスピードスターの生き様に、心揺さぶられること必至だ。長嶋茂雄、王 貞治、須藤 豊・・・、レジェンドたちへの感謝とともに綴る66年の歩みを屋鋪さんが完全告白。引退して30年経った今だから話せる、後悔しない人生論を選手時代の濃厚なエピソードとともに綴られている。
第二の人生を楽しく生きるヒントが満載!
【構成】
CHAPTER01 長嶋茂雄さんの期待に応えた世紀のダイビングキャッチ
CHAPTER02 〝伝説の試合〟に心酔し本格的な野球人生を始める
CHAPTER03 走攻守で研鑽を積んだ横浜大洋ホエールズ時代
CHAPTER04 読売巨人軍で現役生活を終え引退後も野球界への恩返しに奔走
CHAPTER05 祖父&父の影響を受けて少年時代から趣味に没頭
CHAPTER06 鉄道撮影の意欲が再燃したSLとの運命的な出会い
CHAPTER07 父の足取りをたどって始めた鉄道模型の趣味にも夢中に
CHAPTER08 ラベンダー栽培の趣味でも人との縁の大切さを知る
著者・屋鋪要さんが語る本書に込めた思い
「この書では、僕と同年代の方をはじめ、希望を胸にこれから世に出る若者、子育てに奮闘している保護者の方々まで、幅広い世代にお読みいただくことを期待して言葉を選びました。人生を振り返ると、紹介しきれないほどの失敗をしてきましたが、もう忘れてしまいました。未来はきっと思い通りにならないことのほうが多いはず。それでも、運命に逆らって生きていこうじゃありませんか」(屋鋪さん)
「ノーサインで走れ!」絶賛発売中
『ノーサインで走れ!』







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