アスリートを支える声援という名のエール。アスリートにとってそのエールが大きな原動力となる一方で、残念ながら応援の名のもとに誹謗中傷が起きてしまうこともある。そんな中で今、私たちができるアスリートへの応援とは。
今月は、冬季オリンピックで3大会連続メダルを獲得。世界が知るスノーボーダーであり、日本人として5人目となる夏冬両季のオリンピック出場アスリートでもある平野歩夢さんが登場。聞き手役に、アルペンスキーでオリンピック4大会連続出場、引退後はスキーにとどまらず、スポーツ業界の発展に尽力する皆川賢太郎さんを迎えて、エールの在り方について考えていく。
平野歩夢(ひらの・あゆむ)
1998年新潟県生まれ。ソチ2014冬季大会、平昌2018冬季大会ハーフパイプ男子で銀メダルを獲得。ソチ2014冬季大会において、15歳74日でメダルを獲得し、スノーボード史上最年少のオリンピックメダリストとしてギネス世界記録にも認定された。東京2020大会(2021年開催)で新たに正式種目に加わったスケートボード・パーク種目で日本代表入りを果たす。その半年後に開催された北京2022冬季大会では、半年間で夏冬の2大会に出場するという偉業に挑戦し、金メダルを獲得。同年紫綬褒章を受章する。
皆川賢太郎(みながわ・けんたろう)
元アルペンスキー日本代表としてオリンピック4大会連続出場。引退後は全日本スキー連盟の理事・競技本部長を歴任し、日本オリンピック委員会では選手強化中長期戦略プロジェクトの中核を担う。現在は冬季産業再生機構代表理事、安比高原スキー場統括、スポーツ庁スポーツ審議会委員などを務め、スポーツと冬季産業の持続的発展に取り組んでいる。
孤独と向き合ってきたからこそ、今の自分がある
――平野さんのオリンピックデビューは2014年のソチ冬季オリンピック。当時15歳という年齢で銀メダルを獲得し、日本人選手としては冬季オリンピックの最年少記録。2度目の出場となった2018年の平昌冬季オリンピックでは、スノーボード界のレジェンド ショーン・ホワイトと接戦のうえ惜しくも銀メダルに。しかし2022年の北京冬季オリンピックでは悲願の金に輝き、多くの人が共に感動に酔いしれた。肩書きだけを見ると順風満帆な道のりを歩いてきたように感じるが…。
皆川さん「歩夢くんの中で、競技生活は“苦しい”“楽しい”どちらのほうが多いですか?」
平野さん「正直に言うと、『楽しく続けてきた』という感覚はあまりないです。自分が楽しいと感じる時間は、友達とお酒を飲みながら他愛のない話をしているときや、競技のことを考えなくていい日で。
競技についてはどちらかというと、“苦しさ”や“孤独感”のほうが強い。それがいつからなのか、はっきりとは分からないですが、小さな頃から競技をしてきたので、自然と身についていた感覚なのかもしれません。幼い頃は兄と一緒だったのですが、兄が怪我で大会に出られなくなってからは、ひとりの時間が増えました。同世代くらいの人たちも、気づいたらほとんどいなくなってしまって、その頃からより一層「自分は自分」という意識が強くなっていった気がします。でもその孤独と常に向き合ってきたから、今の自分があるのかなとも思っていて」
皆川さん「プロフィールだけを見ると、順風満帆なように見えます。でも実際は、集中と孤独の積み重ねだったんですね」
平野さん「苦しいことを苦しいと思わないレベルまで“自分の普通の基準”を上げ続ける。その戦いだったと思います」
皆川さん「そのような毎日の中で、大事にしてきたことはありますか?」
平野さん「“自分に集中する”ということです。自分を過剰に褒めることもなく、怒ることもなく淡々とやる。その感覚はずっとあります」
皆川さん「自身の中で変わらない部分と、変えていった部分は?」
平野さん「“少年心”みたいなものは、やり始めた頃からずっとあって、現役でいる以上は失ってはいけないと思っています。ただ、思想や物事の考え方、興味への向き合い方は、ちゃんと変わっていかなきゃいけないと感じていて」
皆川さん「そのバランスが難しそうですね」
平野さん「そうですね。変わっちゃいけないものと、変わらなきゃいけないもの。その両方を、ずっとすり合わせながらやってきた感じです」
前人未到の二刀流。あの経験があったから、怖いものなしで臨めた
皆川さん「改めてこれまでの軌跡を振り返ると、世の中的にソチ2014冬季大会が“平野 歩夢が世に出た瞬間“だった気がします。海外に出るようになって、変わったことも多かったですか?」
平野さん「かなり変わりました。小さい頃はスキー場と家を行き来する生活で、結果が出なければ父に怒られる(笑)、そんな毎日でした。でも海外に出るようになって、一気にエンジンがかかったというか。気合で狙うというよりも、自然と積み重ねてきたものが形になっていった感覚がありました」
皆川さん「これまで、3度冬季オリンピックに出ていて。デビュー戦のソチでは15歳でいきなり銀メダル、次の平昌では『次こそは金を』という立場でしたが、惜しくも銀メダルに。そして前回の北京では悲願の金メダル。ショーン・ホワイトとの戦いも含めて、ものすごいドラマがあって、毎回見ていて痺れました。でも、そのプレッシャーは相当なものだったと思います」
平野さん「これまで、かなり振り絞ってやってきました。オリンピックの一瞬に自分の100%の滑りを出すのは本当に難しいんです。平昌では、やっと自分の滑りを形にできたという感覚があって。振り絞った4年間だったので『これは来た!』と思っていたのですが、最後の最後にショーンに抜かれてしまって。客観的に見たらドラマティックだと思いますが、とても悔しい思いをしました」
皆川さん「そうですよね。その平昌後の2021年に、スケートボードで夏季オリンピックにも出場しました。正直にいうと僕は、平野歩夢は誰よりも24時間365日を明確に使えている人だと感じていたから、この話を聞いたときに驚いて。当時、マネージャーに3回くらい『本当にやるのか?』と聞きました。『スノーボードは、夏季オリンピックが終わってからやります。一度、離脱しますって、そんな簡単な話じゃないでしょう?』と伝えていて。
今でこそ“二刀流”という言葉が世に浸透していますが、当時はまだ、大谷翔平さんも今のような存在になる前。トップアスリートがどう時間を使うか、どう生きるか、誰も正解を持っていなかった。だからこそ、当時のその選択は余計に異質に見えたし、本当に驚いたんですよね」
平野さん「自分のスケートボードがどこまで通用するか、スノーボードを生かしたスケートボードができるんじゃないか、新しい発想に切り替えて、自分はどこまで行けるかを考えていて。スケートボードでは、完全にチャレンジャーだったので失うものもなかったし、これまでの自分をリセットするためにもやってみたいと思って。東京大会での挑戦があったから、このままスノーボードだけをやっていたら抜け出せないんじゃないかという不安から一気に切り替わったし、北京では怖いものがないマインドで臨めたのだと思います」
皆川さん「トップに立ちながら、同時にチャレンジャーでもある。とても珍しい立場でしたね」
平野さん「そうですね。だからこそ面白かったし、モチベーションにもなりました。今もスケートボードに乗るのは、あの感覚を忘れないためです。でも正直いうと、ものすごく大変でした。まずアメリカに拠点を移して、車の免許を取るところからはじめることになるので、筆記の勉強をして、免許取って、家を借りて、いろいろ手続きして……と、やること全てが初めてでした」
皆川さん「生活そのものが、いきなり変わったんですね。日本でやるスケートボードと、海外、特にアメリカのスケートボードって全然違いますよね」
平野さん「全然違います。海外のほうがパークの種類も多いし、いろんな滑りができないと結局うまくなれない。トリックの数も、日本でやっていた時よりずっと複雑で多いと気がついて。一方でカルチャーの違いも大きくて、最初は周囲から『アジア人として見られているな』って感じるところからのスタートでした」
皆川さん「スケートボードの世界は、競技者というよりアーティストと思っている人も多いですから」
平野さん「そうなんです。だからまず、その中に入らなきゃいけない。最初は距離を感じながらも通い続けて、徐々に話すようになって。不安もあったけれど、スケートだけじゃなくて生活ごとガラッと変わったのは、すごくいい影響に。“楽しむ”っていう感覚を、あらためて実感できた時間だったと思います。誰もやっていない境地に入り込めた感覚があったし、それが純粋な楽しさにつながっていきました。気づいたら、朝7時から夜9時まで滑るみたいな生活に自然となっていて。だんだん友達もできて、ショーンと一緒にスケートをしたことも刺激になりました」
印象に残るのは、実際に会いに来てくれる人たちからの声
――多くの選手が不可能だと諦める高難度の技に挑み、何度も成功させてきた圧倒的な精神力を持つ平野さん。世間の目については、どのような思いを抱いているのだろうか。
皆川さん「歩夢くんが最初にオリンピックに出場したのは15歳でした。まだまだ歴史の浅い競技でしたし、相談できる相手も少なくて、教科書は映像だけという孤独さもきっとありましたよね」
平野さん「本当にそうです。最初のオリンピックでは、インタビューの受け答えすら分からなくて。先輩たちがフラットに接してくれて、とてもかわいがってもらいましたが、一番年下だったこともあり悩みを相談できる相手がいなかった。だから全部を自分の中で受け止めて、自問自答しながら乗り越えてきた感じがあります」
皆川さん「注目されることで、プライベートの負荷も大きかった?」
平野さん「対処の仕方が分からなかったです。盗撮されたり、常に指をさされる感覚があったり。頑張ってはいたけど、正直かなり疲れていました」
皆川さん「ここ数年で社会の応援スタイルもだいぶ変わってきたと思います。現代ならではのメディアへの対応やSNSを含めた世の中のさまざまな声をどう捉えていますか?」
平野さん「僕自身は、できるだけありのままでいたいと思っていますが、多くの人が見ている場では、言葉選びに気をつけたいと思っています。自分が思っていることを正直に、ただ誰かを傷つけないように、という意識で話していて。
オリンピックを重ねるごとに、応援のされ方も変わってきました。最近は、家族連れの子どもたちから『スノーボードやってみたいです』や『憧れています』と言われることが増えて。そういう瞬間に、エールに支えられているなと実感します。一番印象に残るのは、実際に会いに来てくれる人たちからの声。遠くからわざわざ休みをとってきてくれて、『あなたを見て競技を始めました』って言ってもらえることは、とても心に残ります。僕自身小さい頃に、そうやって憧れの選手から勇気をもらっていたので、初心を思い出させてもらうというか。そういうみなさんがいるから、今もやり続けられているし、もっと多くの方にそう思ってもらえるなら、頑張れるうちは頑張りたいって、素直に思います」
皆川さん「これまで一生懸命やってきた姿を、温かく見守ってくれた人たちがいるのは、ありがたいことですよね。日々のルーティンの合間にSNSを見ることはありますか?」
平野さん「そんなに見ないです。LINEを1日1、2回見るくらいです。昔より明らかにスマホを触らなくなりました。スケジュールや時間を確認したり、音楽を聴くくらい。必要なこと以外でスマホを触ることがほとんどなくて。それは自分の中では、いい変化だと思っています」
皆川さん「孤独を感じたときに、スマホを見てファンのリプライを読む、みたいなことは?」
平野さん「あまりしないですね。周囲の反応を追いかけるよりも、自分の過去の映像を見たり、YouTubeを見たりすることのほうが多いです。時間があるときはiPadを開いて、適当に動画を流したりして、頭をちょっと緩めます。僕は基本的にSNSに疎くて。詳しい人に聞いて少しずつ発信している感じです」
皆川さん「僕が平野歩夢だったら『もうちょっと発信したほうがいいかな』と思うけれど…(笑)」
平野さん「そう思っているんですけど、なかなかできないタイプで(笑)。
『これ投稿しよう』と思ってメモに入れておくんですけど、気がついたら1年経っていたりします。結局、自分発信のものは少ないので、確かにそこはもう少し頑張りたいなと思っています」
皆川さん「一方で、自分の発言が自分の意図とは違う形で伝わってしまうこともありますよね」
平野さん「はい。しかもそれがすごく手軽に拡散される時代だから、その難しさを感じています。いつ頃からか、ご飯を食べている時でも『誰か見てないかな』と気になったり、外に出る時も『大丈夫だよね?』と無意識に確認するようになったりしていて。それが時々、苦しさになることもあります。自分は何も悪いことをしていないし、ただ一生懸命、自分のやるべきことをやっているだけなのに、という想いがある。
人それぞれ、いろんな事情があると思うし、プレイヤーとしても、見てくれる方がいてこそ、とも思っていて。だから、誰かを責めたい気持ちはまったくないですし、見てくれること自体に感謝をしています。ただ自分たちの存在が、誰かにとって少しでもプラスに働いてくれたらいいな、と願うだけです」
皆川さん「本当にそうですよね。今回JOC・JPCが掲げている『その道のりに、賞賛を』というテーマは、まさに理想の応援だと感じていて。僕がスポーツで一番好きなのは『必ず終わりが来る』というところで。どんなすごい成績を出した人でも、必ず引退の瞬間が来る。だからリスペクトしてほしいということではなくて、どの選手も、限られた時間軸の中で戦っているということをわかった上で、競技を見てもらえたら…。エールを送っていただけたらと思います」
1日1日が勝負。「自分はまだ何者でもない」と言い聞かせて、進化し続けていきたい!
――27歳となった平野さんは今年2月、ハーフパイプ王者として、再びミラノ・コルティナオリンピックの舞台に立つ。
皆川さん「これからについては、どう考えていますか?」
平野さん「後悔が残らないように、やり切って終わりたいですね。そのためにも、今回のミラノ・コルティナ2026冬季大会も含めて、あと5年くらいは何かしら進化し続けていきたい。それが今、自分が求めていることだと思います。
だからこそ、これからの目標設定は難しい。次の4年間は世界のレベルも上がるし、リスクも上がる。年齢的なことも含めて、競技との向き合い方を考え直すフェーズに入っています。若い世代に何かを残すためにも、自分が本気で向き合っていないと意味がないので、以前よりも“先の目標のために、今日をどう積み上げるか”を強く意識するようになりました。1日1日が勝負という感覚です」
皆川さん「湧き出る感情がある限り、やめる必要はないと思います。やめる瞬間って、きっとその感情がなくなったときですよね。多くの選手は、外的な理由——就職やお金、環境——で区切りをつける。でも、自分の内側から湧き出る感情だけで決断できる選手は、本当に一握りで。だからこそ、それができる人はその感情がなくなるまで、やり切ればいいです」
平野さん「そうですね。終わりが見えてきているからこそ、今をちゃんとやれている。そんな感覚で、日々向き合っています。キャリアを重ねる中で、『この先はこうなるな』というのも少しずつ分かってきました。だからこそ流さずに、どこまでやれるのかを試したいです。最近は常に『自分はまだ何者でもない』と自分に言い聞かせていて」
皆川さん「そのハングリーさがある限り、まだ追いかけられますね」
平野さん「昔よりも集中力は確実に強くなっているので、すごく充実しています。もちろん、現役を終えた後の人生や、家族との時間もちゃんと考えていきたい。自分が成長すること、人に何かを届けること、家族に責任を持つこと。その全部を、順番にちゃんと向き合っていけたらいいなと思っています」
平野さんを勇気づける言葉

モットーのようなものはあまりなくて。でもオリンピックで金メダルを目指すということは、誰かと比べるとかではなくて、究極の自己追求だと思うので。「自分は自分」と思って、孤独にコツコツと進んでいくしかないです。
最後に3つの一問一答!

好きな食べ物は?
ラーメンや焼き肉、寿司
海外遠征に行くことが多いので、日本に帰ってきたときはシンプルにラーメンや焼き肉、寿司が食べたくなります。弟(スノーボード選手の平野海祝さん)もラーメンが好きで、新潟の燕三条ラーメンを食べるために車を走らせることもあるほど。
好きな音楽は?
スローな曲を聴くことが多いです
そのアーティストの方が、どういう人生観を持っているのかがわかる歌詞や、自分に近しいことを体現しているような歌詞の音楽に惹かれます。モチベーションを上げるために疾走感のある曲を聴く選手も多いと思うのですが、早いテンポの曲だと冷静ではなくなるような気がして、メロウな曲を聴くことが多いです。
新しいことに挑戦するのは、恐怖心との戦い。心が恐怖を感じるよりも先に足が震えていたりすることもあって、それに気がついて「やっぱり怖いんだ」と実感することもあるのですが、そういう時に心に響く音楽が聴こえてくると、粘れる瞬間があるなと感じています。
はまっていることは?
1日のスケジュールを詰め込むこと
スノーボードに関わることを中心に時間単位でスケジュールを詰め込んでいて、寝るギリギリまで動いています。それが依存なのか、そうしなきゃいけないと思っているのかは分からないですけど、最近はその感覚が強いです。海外でも初日からスケジュールを詰めることをルーティン化していて、朝6時に起きて、滑って、帰ってストレッチして、サウナに入って、筋トレして、ご飯食べて、風呂に入ったらもう夜10時。そこからまたストレッチして寝る、みたいな内容です。これを繰り返していないと、体がうまく動かなくなってくる感覚があって、ベッドでゴロゴロするよりも、ストレッチをしている時間のほうが長いかもしれないです。
その道のりに、賞賛を
日本オリンピック委員会(JOC)と日本パラリンピック委員会(JPC)は、SNSの存在感がこれほどまでに大きくなったことを踏まえ、アスリート等に対する誹謗中傷対策の取り組みとして、アスリートや関係者が安心して競技に集中できる環境を整えるため啓発映像を制作し、各競技団体や関係機関の協力のもと、国内主要大会や各種イベント等で広く展開しています。
DIMEでは、第一線で活躍するアスリートとの対話を通じて、これからの“エールの在りか”を探っていきます。ぜひ今後もご注目ください。

協力/
JOC-日本オリンピック委員会
JPC-日本パラリンピック委員会
取材・文/西村真樹 撮影/高田啓矢 編集/髙栁 惠







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