映画館で眠ってしまうことは、本来あってはならないこととされてきた。しかし、その常識を覆し、「観客が寝ること」を前提とした映画が誕生し、話題を呼んでいる。
日本TOYO、テンダープロ、日本映画振興財団、TM JAPANが制作した『寝る映画』は、観客が映画館で気持ちよく眠ることを目的とした世界初の試みだ。
この画期的な取り組みについて、日本TOYO代表取締役の古塩勝彦氏と、テンダープロCEOで『寝る映画』エグゼクティブプロデューサーの井内徳次氏に聞いた。

「眠るための映画」という新発想

そもそも『寝る映画』とは何なのか?
タイトルが示す通り、〝観客が映画館で眠ること〟を前提とした作品である。2025年10月17日から23日までテアトル新宿で上映され、好評につき12月26日からはテアトル梅田での緊急上映が決定。さらに2026年1月2日からは東京のキネカ大森での公開も始まる。
映画業界の常識を覆すこの試みに取り組んだのが、日本TOYOとテンダープロだ。
発端は、日本TOYOが睡眠関連事業を計画していたことにある。同社はベトナムで睡眠関連のアパレル事業の立ち上げを検討しており、先立ってコンテンツを制作しようと考えた。古塩氏は以前からテンダープロを通じて複数の映画製作に出資者として参加しており、その縁で「寝る」をテーマにした作品を相談した。
「映画館は昔、オールナイトやレイトショーをやっていましたが、今は深夜の稼働率が低い。ネットカフェなど深夜営業の施設が増える一方で、映画館は夜間に客が入らなくなっています。その時間帯を有効活用できる映画があってもいいんじゃないかと考えました」と古塩氏は語る。
しかし、映画館側から「寝るために来てください」とは打ち出しにくい。そこで生まれたのが『寝る映画』という直球のコンテンツだ。
「世界的にもこのような取り組みは全くなかったので、受け入れられるかどうかは本当にやってみないとわからない状況でした」と古塩氏は当時を振り返る。
観客の睡魔を呼び起こすための映画づくり
『寝る映画』の制作を担当した井内氏は、これまで50本近くの映画を手がけてきたが、今回はまったく異なるアプローチが求められた。監督を務めた曽根剛氏は、『カメラを止めるな!』で撮影監督として第42回日本アカデミー賞優秀撮影賞を受賞した実績を持つ。
『寝る映画』は、観客を眠りに導くための設計が徹底された。
ストーリーに深く入り込ませると観客が集中してしまうため、物語性を抑えて映像を眺めるような作りに。「深く掘り下げるような映画ではなく、流れる映像を見ているうちに自然と眠くなるような作りを目指しました。ストーリーは必要最低限に留め、視覚的な心地よさを優先したんです」と、井内氏は制作方針についてこう語る。
音の設計も独特だ。中間部分はほぼナレーションだけで、柔らかい声で語りかけるように進んでいく。

「本当に眠たくなるなというところに主眼を置いています。通常この手法を映画でやったら観客が寝落ちしてしまいますが、それこそが狙いなんです」と古塩氏。会話や効果音を極力排除し、刺激を減らすことで眠りやすい環境を作り出した。
色使いにも計算がある。作中では視覚障がいがテーマの一つとなり、冒頭はほぼ白黒の映像で始まる。
「最初は白黒なので観客は拍子抜けすると思います。刺激が少ないので集中力が続かず、そこから徐々に色が入っていくんですが、この段階で既に眠くなりやすい状態になっています」と古塩氏は説明する。
一般的に避けられる「眠くなる映画」の手法を、あえて積極的に取り入れている形だ。
脚本制作ではChatGPTやGeminiといった生成AIを活用した。「監督がAIに『眠りを誘導する映画』というコンセプトを与えて脚本を作成させ、それを叩き台にして監督が肉付けしていきました。AIなら修正依頼に何度でもスピーディーに対応してくれるので、試行錯誤しながら理想の形に近づけることができたんです」と古塩氏は語る。
将来的には飛行機の機内映画としての展開も視野に入れている。
「機内映画は娯楽用ばかりですが、長時間フライトで寝たい人も多いはずです。本作は全編ベトナムの観光地で撮影しているので、ベトナム路線での展開ができれば理想的ですね」と井内氏。
ベトナムの不思議な階段や巨大な仏像など、実在する観光スポットが映像に登場するため、観光プロモーションとしての効果も期待できる。
セリフなしでも伝わる「バリアフリー映画」としての可能性
本作には、俳優の忍足亜希子氏が出演している。忍足氏自身がろう者であり、映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』では耳の聞こえない母親役を演じ、吉沢亮氏演じる主人公との親子関係を繊細に表現した。日本映画批評家大賞で助演女優賞を獲得するなど、高い評価を受けている。
物語の主人公は、耳が聞こえない夫と目が見えない妻の夫婦だ。二人は「AIが生み出した仮想現実の世界で障がいを乗り越えられるか」という臨床実験に参加する。
実は、こうした物語を設定した背景には音の設計がある。「眠りを誘うには、会話の音声を極力抑える必要があります。耳に残る音があると、どうしても眠れなくなってしまいますから」と古塩氏。
しかし、セリフのない映画で物語を成立させることは容易ではない。
「そこで考えたのが、本作のストーリーです。この設定であれば、会話が少ないことに必然性が生まれます。結果的に、眠りのための映画でありながら、バリアフリー映画としての意味も持つ作品になりました」(古塩氏)
音の設計という制約が、新たな物語の可能性を開いた形だ。
この設計により、視覚障がいや聴覚障がいのある方も健常者と同じように楽しめる作品となった。字幕は英語と日本語で表記され、一部英語のシーンもあるが、映像とナレーションで理解できる構成だ。
一方で、井内氏は一般的な映画のバリアフリー対応には課題があると指摘する。
「私たちはろう者が出演する映画をたくさん作っていますが、字幕付き上映は通常の上映回数より少なくなることが多いんです」(井内氏)
観客にとって字幕が邪魔になるという配慮から、上映回数が制限される現状がある。しかし本作は設計上、すべての上映が字幕付きとなる。
音楽面では、シティポップの女王として知られる杏里氏がエンディング曲を提供した。
「杏里氏の関係者が作品を見て、ご本人に伝えたところ、過去に歌った楽曲とこの作品がバッチリ合うということで、快諾いただきました」と井内氏。
エンディングでは徐々に音が出てくる設計になっており、観客を覚醒へと導く役割も担っている。
「癒された」「本当に寝た」観客からの狙い通りの反応
実際に上映してみると、観客の反応は制作側の想定通りだった。「本当に寝ちゃったという人がやっぱり多いですね。試写会では、隣の席の方がいびきをかいて寝ていました」と古塩氏は笑う。
「感動した」という感想はほとんどなく、代わりに「癒された」という声が多く寄せられた。通常の映画とは評価軸が全く異なる作品だ。
なぜ観客は眠ってしまうのか?古塩氏は〝刺激の減少〟を挙げる。
「最初はみんな構えるんです。何か仕掛けがあるんじゃないかと。でもはっきり言うとつまらないんですよ。目とか脳とか、五感で働いているものへの刺激がどんどん減っていくことで、眠くなっていくんです」(古塩氏)
刺激があるうちは情報が入ってきて眠くならないが、本作は意図的にその逆を狙っている。
映像も覚醒を妨げない設計だ。「暗いスクリーンで物語が進んでいく感じなので、途中で目が覚めたとしても、また眠りやすい状態になっています。映像もぼわーっと、夢の中というような映像にしているので」と古塩氏は説明する。
出演者は團遥香氏、皆川暢二氏、忍足亜希子氏をはじめ、多彩な顔ぶれが揃った。撮影スケジュールの都合で出演者の手配が間に合わない場面もあったが、プロデューサーがベトナムの某航空会社の客室乗務員に声をかけ、急遽出演が実現するなど、現地での臨機応変な対応も作品に活きている。
監督の曽根剛氏が『カメラを止めるな!』の撮影監督として培った技術が、本作の独特な映像表現に生かされている。
地方映画館の救世主に?今後の全国展開とコラボレーション構想
今後は全国の映画館、特に地方の小規模館への展開を目指す。
映画館は夜間や平日昼間など稼働率が低い時間帯があり、古塩氏はこうした時間を活用することで新しい収益を生む可能性を指摘する。
「映画館側にとっても、遊休時間を有効活用できる経営上のメリットがあります。地方の映画館にこそ、この取り組みを広げたいですね」(古塩氏)
映画館の経営課題を解決しながら、新しい映画体験を提供する構想だ。
映画のコンセプトに合わせて、睡眠関連企業とのコラボレーションも視野に入れている。井内氏は「まずは映画をさらに普及させてから、睡眠に特化したビジネスとコラボレーションしながらイベントを開催する形を考えています。親和性の高い企業を募集中です」と語る。
さらに、配信プラットフォームでの展開も検討中だ。
「自宅で気軽に寝落ちできるコンテンツとして、配信でも需要があると考えています。映画館だけでなく、日常生活の中で使えるコンテンツにしたい」と井内氏。
睡眠をサポートする新たなエンターテインメントとして、『寝る映画』の挑戦は続いている。
取材・文/宮﨑駿







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