古書の街として知られる神保町の中で、独特の存在感を放つ店がある。その名も「文献書院&ブンケンロックサイド」。
ロック、アート、アイドル雑誌、インディーズ雑誌——時代の隙間に埋もれたカルチャーを掘り起こし、独自の審美眼で紹介し続けるこの店は、まるで〝時代のアーカイブ〟そのものだ。
雑誌の紙の手触り、インクの香り、ページをめくるたびに立ち上る熱量——そこには、デジタルでは再現できない「生の文化」が息づいている。
なぜ「文献書院&ブンケンロックサイド」は、神保町でサブカルチャーにこだわるのか。そして、店主の山田さんが〝今もなお残したい〟と語る、雑誌の文化とは何なのか。今回は、神保町でもファンが多い同店の秘密に迫った。
「俳句の古本屋」から「音楽雑誌の聖地」へ
文献書院の歴史は、1989年に山田さんの父が神田古書センターに出店したことから始まった。当初は俳句や文学書を扱う一般的な古書店だったが、家族総出で店を切り盛りするうちに、山田さんにはひとつの不安が芽生えていったという。
「父にとって神保町は、〝古本屋界のハリウッド〟のような場所だったんだと思います。念願の神保町で店を構える夢がかない、新大塚からここへ移ってきました。でも、父が仕入れてきた本を棚に並べるだけでは、いずれ立ち行かなくなる。どこかで古本屋としての〝色〟を出さなければいけない、と思ったんです」
神保町は独特の緊張感が漂う古書街だ。その歴史ある街で店を開いた文献書院は、当初はイメージする客層もなく、右も左もわからないまま走り始めたという。
「お店を始めた時は、目の前のことに精一杯で、何もイメージしていませんでした。
でも続けていくうちに不安の気持ちがだんだん芽生えてきて……。そこで自分の好きな音楽雑誌に注目し始めました。
こんなに多くの音楽雑誌が出版されていて、音楽好きがいるのなら、専門店があってもいいじゃない?と思って。そんな気持ちで『じゃあ、私が音楽雑誌の専門店をやる』と決心したんです」
この決断こそが、後の「ブンケンロックサイド」の誕生につながっていった。
『ミュージック・ライフ』と『BURRN!』が原点
山田さんにとって音楽雑誌への原点は明確だ。
「私にとっての音楽雑誌は、『ミュージック・ライフ』がすべての原点です。そしてヘヴィメタル・ハードロック誌『BURRN!』。この2誌を扱うことで、音楽雑誌専門の古本屋としてスタートを切れました」
現在では、専門誌を扱う古本屋はネット販売も含めて数多く存在する。しかし当時、音楽雑誌を本格的に取り扱う古本屋は、ほとんど見当たらなかった。
もともとロックに精通していた山田さんの選書眼は抜群だった。やがて「ブンケンロックサイド」は、多くの熱心な音楽ファンを惹きつける名店へと成長。
こうして、最初は10代から50代くらいの客層にアピールできればと思って音楽雑誌を扱い始めたものの、実際には60代の層にまで手応えを得ることができた。
雑誌を仕入れ、棚に並べる。少しずつ、また少しずつ。ロックから派生するカルチャーはサブカルチャーへとつながり、さらに山田さんの妹が参加してアイドル部門も併設されるなど、店は自然に幅を広げていった。
そして2000年、現在の場所へと移転し、いまでは姉妹とスタッフで毎日賑やかに店を切り盛りしている。
店頭に並ぶ雑誌には、貴重な80年代の『ミュージック・ライフ』や『BURRN!』をはじめ、他にも『CDでーた』や『WHAT’s IN?』、『PATi-PATi』など、90年代の若者文化を牽引した雑誌も多い。さらに、ロック文化から枝分かれするように、アート、写真、ファッション、サブカルチャー誌が自然と棚を彩っていく。
それは、雑誌というものがジャンルを横断しながら時代を写し取る複合的なメディアであった証でもある。
店を続けてきた35年の中で、心に残る出来事を尋ねると、こんな話を聞かせてくれた。
「ある日、メタリカのギタリスト、カーク・ハメットさんが来店してくれたんです。また、店内で流れていた曲に『最高だ』と反応してくれて……。あの瞬間だけは本当に忘れられません」
世界的ギタリストが偶然、古本屋を訪れて音楽をきっかけに交わした言葉。
その出来事は、この店の歩みを象徴するようだ。
情報の〝寄り道〟だから雑誌は面白い
最近では、20代前後と思われる若い世代が古い雑誌を求めて訪れることも増えている。デジタルネイティブの彼らが、なぜ〝紙〟に惹かれるのだろうか。
「今ならネットで検索すれば、欲しい情報にすぐたどり着けますよね。でも雑誌には、調べたいことだけじゃなく〝余計な情報〟までたっぷり載っている。その〝寄り道〟の時間こそが、新鮮に感じられるのかもしれません。
紙媒体は〝オールドファッション〟と言われることもありますが、紙でなければ読んだ気がしない人が世界中にいる限り、その力が失われることはないと思っています」
検索では出会えない情報や偶然開いたページに書かれた、小さなコラム。目的の記事の隣に載った関係のない特集は、まさに〝紙ならではの寄り道〟だ。その感覚は、ある意味で雑誌文化の復権を予兆しているように見える。
古書店が軒を連ねる神保町の街には、他の街にはない独特の連帯感がある。その中で、「ブンケンロックサイド」は、この街の空気の中でどんな役割を担っているのだろう。
「神保町は古書街として知られていますから、自然とお店同士のつながりも感じます。でも、自分たちの〝役割〟を大げさに考えたことはほとんどないんです。昔のことを伝える手段がたまたま〝店〟という形になっているだけで、そこに足を運んでくれる人がいる限り、お店を続けたい。本当にその思いだけですね」
「ブンケンロックサイド」を訪れると気づくのは、棚に並ぶ雑誌や書籍が単にコレクションや古い資料ではなく、当時の空気や価値観を丸ごと封じ込めた〝文化のタイムカプセル〟として扱われているという点だ。
ページをめくると、バンドのインタビュー、ライブレポート、広告に至るまで、時代の流行や言語感覚、写真の質感がそのまま残っている。雑誌という媒体は、その時代の美意識、情報の優先順位、そして何より「若者が何に心を動かされていたか」をもっとも鮮明に伝える史料だ。山田さんはそれを「当時の〝熱〟そのもの」と表現する。
デジタルやSNSが主流になった今、実店舗で発信する意義を尋ねると、力強い答えが返ってきた。
「ネット販売は当たり前。でも店がある以上、対面ならではの〝一期一会〟を大切にしたい。そこからお付き合いが生まれ、人がつながっていく。それが店を続ける理由です。
私たちの若い頃は、主な情報源は雑誌・ラジオ・テレビでした。だから好きなものを追いかける人はみんな貪欲で、心の熱量が高かったと思うんです。あの濃くてワクワクした時代の〝熱〟を、今の若い人たちにも感じてほしいです」
時代が変わっても、熱は受け継ぐことができる。そのための〝場〟が、この店なのだ。
「この35年で街は大きく変わったけれど、もう少し頑張りたいですね。次に何が来るのか、軽くアンテナを張りながら」
そう語る山田さんの姿勢そのものが、「ブンケンロックサイド」の魅力であり、日本のサブカルチャーを支える静かな火種なのかもしれない。
過去と現在をつなぐ「ブンケンロックサイド」は、今日も 〝あの頃〟の熱をふっと蘇らせている。
取材・文/Tajimax
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