英国の雑誌『タイムアウト』が毎年発表する恒例企画「世界で最もクールな街ランキング」。その2025年版で、東京・千代田区の“神保町”が選出された。神保町といえば、古書店がひしめき合い、小学館や集英社など大手出版社が立ち並ぶ“本の街”として知られている。しかし、この20年ほどで神保町はもう一つの顔を持つようになった。それが、“カレーの街”だ。なぜ神保町は、全国屈指のカレーの聖地として注目されるようになったのだろうか。
本の街で育まれた、知られざる「カレー文化」
神保町には約130の古書店が存在する一方で、カレー店は神保町周辺だけでも数十店、神田エリアまで広げれば 400店以上 が営業していると言われる。
その内訳は、カレー専門店から洋食店、スナックやバー、中華料理店のカレーまで多様だ。
神保町のカレーの歴史は意外と古い。現存する最古の店舗は、大正13年(1924年)創業の「共栄堂」。同店は、日本では珍しい「スマトラカレー」を提供している。
「当店のカレーは、大正13年の創業当時より、スマトラカレーとしてお客様に親しまれてきました。明治の末、広く東南アジアに遊び知見を広めた伊藤友治郎氏より、スマトラ島のカレーの作り方を教わり、 日本人の口に合う様アレンジしたのが、共栄堂のカレーです」(共栄堂公式HPより)

共栄堂の「ポークカレー」(共栄堂公式HPより)
スマトラ島はインドネシアの島のひとつで、カレー文化も盛んな地域だ。その味が100年以上にわたり神保町に根付いているのは非常に興味深い。
他にも、
「ボンディ」昭和48年(1973年)創業
「まんてん」昭和56年(1981年)創業
「ガヴィアル」昭和57年(1982年)創業
「エチオピア」昭和63年(1988年)創業
と、全国的にも名高いカレー店が軒を連ねる。
なぜ神保町で、これほど早くからカレー文化が発展したのか。神田カレーグランプリを運営する神田カレー街活性化委員会の中俣さんはこう話す。
「学生が多い街だったため、“片手で本を読みながら、もう片手で食べられるから”カレーが広まったという説もあります。近年はサクッと食べるよりも、本格派の専門店が増えました。70〜80年代には『ボンディ』さんや『まんてん』さんなど今も営業する名店が誕生して、2000年ごろからはカレー好きの間では神保町=カレーの街という認識が広まりました」
“本の街”だったからこそ”カレーの街”なったのではというのは非常に神保町らしいエピソードだ。
「カレーの街」を全国区にした「神田カレーグランプリ」
「神保町=カレーの街」というイメージを全国的に押し上げた要因が、 「神田カレーグランプリ」 の存在である。
神田エリア(旧神田区)にあるカレー店が参加する、日本最大級のカレーイベントだ。エリア内のカレー店を巡るスタンプラリーと投票によるグランプリ決定戦が行われる。2025年で15年目を迎え、11月に行われた今年のグランプリ決定戦には3万人以上が来場した。
「神田といっても対象エリアは神田駅だけではなく、神保町・御茶ノ水・小川町など旧神田区全域を指します。神田をカレーの街として全国にアピールすべく2011年にスタートしました」(中俣さん)
開催を重ねるごとに参加するカレー店は増えていき、2025年は150店以上のカレー店が参加している。
「神田エリアにはカレーを提供するお店が400店以上。インドカレー、欧風カレー、スパイス系など多種多様なカレーがこのエリアに集まっています。日本全国を見てみても本当に稀有な場所ではないでしょうか」
いまではこのグランプリに出たいから神田界隈に店を出すというケースも珍しくない。
つまり、「カレー店が集まるから“カレーの街”になる」ではなく「“カレーの街”というブランドがあるからカレー店がさらに集まる」という正の循環が起きているのだ。

「神田カレーグランプリ2025」グランプリ「オオドリー<鴻>神田駿河台店」の「黒毛和牛2種の無水チーズキーマカレー」
本の街という歴史の上に生まれたカレーの街という新たな顔。“世界で最もクールな街”であると同時に”世界で最もホットな街”なのかもしれない。
取材・文/峯亮佑







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