1987 ← 1983 ファミコン全盛期は〝おおらかな時代〟
高橋名人が明かす「爆笑むちゃぶり秘話」
1983年 家庭用ゲームの礎を築いた立役者

任天堂『ファミリーコンピュータ』
8ビットCPUを搭載したカートリッジ交換型ゲーム機。全世界で6000万台以上を販売し、ソフトの累計販売本数は5億本を超えた。
〈EDITOR’S MEMORIE〉
幼少期、母方の実家でよく遊んでいました。『エキサイトバイク』や『スーパーマリオブラザーズ3』がお気に入りでした。(ライター クワモト)
1985年 ジャンプの楽しさを生んだ横スクロールアクションの原点

任天堂『スーパーマリオブラザーズ』
ジャンプで敵を踏み越えゴールを目指す、横スクロールアクション。後のアクションゲームの基本を築いた。
1988年 日本全土が熱狂したRPGの金字塔
© ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX

エニックス『ドラゴンクエストIIIそして伝説へ…』
ロトシリーズ3部作の完結編。職業システムが採用されており、能力や装備が異なる自由なパーティー編成が楽しめた。

〈EDITOR’S MEMORIES〉
発売日前夜には数千人が列をなして、「ドラクエ休み」まで起きていました。まさに日本中を巻き込むブームでした。(DIME編集 タジリ)
1988年 16ビット時代のパイオニア
©SEGA

セガ『メガドライブ』
他社ハードに先駆けて16ビットCPUを搭載。『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』など名作が多く生まれた。
1989年 12年間第一線!?携帯ゲーム機の原点

任天堂『ゲームボーイ』
カートリッジ交換式のモノクロ携帯ゲーム機。『ゲームボーイカラー』などの派生シリーズも登場し、次世代機登場までの約12年間にわたり活躍した。
1990年 美麗な映像でハード戦争を制した名機

任天堂『スーパーファミコン』
『ファミリーコンピュータ』の後継機で、グラフィックの性能が大幅に進化。全世界で累計4910万台を販売した。
1994年 ボールを相手のゴールにシュート!

ツクダオリジナル『アメリカンバトルドーム』
上部から落ちてくる玉をフリッパーで打ち返して相手のゴールに入れる。テンションの高いテレビCMが話題になった。
1994年 セガ史上国内最多販売を記録したハード
©SEGA

セガ『セガサターン』
高い2D描写性能に加え、3D描写性能も評価された。藤岡弘、さん演じる「せがた三四郎」が登場するテレビCMも話題に。

1994年 3Dゲーム時代を切り開いた革新機
© Sony Interactive Entertainment Inc. All rights reserved. Design and specifications are subject to change without notice.

ソニー・コンピュータエンタテインメント『PlayStation』
CD-ROMを採用し、高性能なポリゴン処理で本格的な3Dグラフィックを初めて実現した家庭用ゲーム機。累計販売台数は1億200万台を突破した。
〈EDITOR’S MEMORIES〉
「3D映像を自分で操作できる」という体験の衝撃は、その後どれほど映像がリアルになっても、決して色あせませんでした。(DIME副編集長 チバ)
1995年 VRの先駆けとなったゲーム機

任天堂『バーチャルボーイ』
『ゲームボーイ』の生みの親、横井軍平さんが開発。ゴーグル型ディスプレイを覗き込み、立体画面のゲームを楽しめた。
1996年 手のひらサイズのデジタルペット
©BANDAI

バンダイ『たまごっち』
謎の生物「たまごっち」を育成できる。どんな姿に育つかはお世話次第。女子高生を中心に大ブームを巻き起こした。
1997年 壮大な物語と映像美が描く不朽の名作
© SQUARE ENIX
CHARACTER DESIGN: TETSUYA NOMURA

スクウェア『ファイナルファンタジーVII』
シリーズ初の3Dグラフィック作品。美麗なCGムービーと、星の命運を懸けた重厚なストーリーが話題を呼び、世界累計1500万本以上を販売した。
1997年 通信バトルが魅力の育成型携帯ゲーム
©BANDAI

バンダイ『デジタルモンスター』
デジタル生命体「デジモン」を育てて進化させる携帯ゲーム。本体上部のコネクタをドッキングさせることで通信対戦が楽しめた。
ある日突然「宣伝マン」から「高橋名人」に!?
名人 ファミコンの発売が、僕がハドソンに入社した翌年の1983年。85年に『スーパーマリオブラザーズ』が発売されて大ブームになった。当時の子どもは、僕が出てた『コロコロコミック』のゲーム特集記事をよく読んでくれていました。
晋平 名人といえばやっぱり連射! 僕の実家がある秋田でも「16連射は本当なのか」って話題になっていました。当時の子どもたちにとっては憧れのヒーローでしたが、大人になってハドソンの社員と知ってからは社会人としても凄い人だったんだと実感しました。
名人 コロコロコミックの編集者が無茶ばかり言うんですよ! ハドソン宣伝マンとしてコロコロのイベントに自社ソフトのデモンストレーションしに行くだけだったのに、雑誌に掲載されたイベントの予告記事を見たら「ファミコン名人の高橋さんが来る!」って書かれていて。「えっ、オレはそんなにうまくないよ!?」って驚きましたよ。
晋平 それが許される時代だったんですね。
名人 許しちゃだめです(笑)。
晋平 ゲーム全盛期の90年代後半だと『たまごっち』や『デジタルモンスター』などのおもちゃも印象に残っています。当時の大人の必需品はポケベル。大人の持つモノへの憧れが携帯型玩具の人気の背景にあった。これが『ニンテンドーDS』などの携帯ゲーム人気につながっていき、小型デジタル化が主流になりました。今のゆるかわブームの源流も『たまごっち』かもしれません。
名人 最近のゲームでいえば、特にFPSなんかは〝対ヒト〟じゃないですか。僕はあれが嫌。ゲームの世界くらい、人間じゃない異星人とかを敵にしてほしい。最近のゲームは、海外の影響なのか平気で人間の頭を銃で撃っちゃう。
当時のファミコンのレトロゲームを親子でやる、僕はそういうのもいいなと思う。子どもでは難しいところをお父さんが腕前を披露して尊敬されるわけです。
晋平 僕はいまだに、マリオで土管から次のワールドにワープ※して娘から褒めてもらっています。
※『スーパーマリオブラザーズ』では、隠しルートの先にある土管に入ることでステージをスキップできる裏技が存在する。
■〝格ゲーブーム〟の火付け役が1991年に登場
1991年、カプコンの格闘ゲーム『ストリートファイターⅡ』がアーケードで稼働を開始。爆発的な人気を博し、両国国技館で全国大会が開催されるほどの社会現象となった。
■ 1996年、世界をつなぐ携帯ゲームが誕生
今なお世界中の人々に愛されつづけるシリーズの第1作『ポケットモンスター 赤・緑』が、1996年に発売された。ケーブル通信を利用した交換や対戦は当時の子どもたちを夢中にさせた。
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