2000 ← 1990
誰でも携帯電話を持ち歩く時代が幕開け!
PC
1990年 日本語に対応する国民的なPC

NEC『PC-9800』シリーズ
1990年代前半まで日本のPC市場を牽引していた〝キューハチ〟。日本語対応された「国民機」として仕事からゲームまで幅広い用途で愛された。写真はノートタイプの『PC-9801NS』(1990年発売)。
PDA
1993年 手書き入力対応で当時の憧れの的に

シャープ『液晶ペンコム ザウルス PI-3000』
日本でPDA市場を先駆けて作った『ザウルス』の初代。画期的だったのは従来の電子手帳にない手書きペン入力に対応したこと。後継機ではFAX送信機能、カラー液晶化、インターネット接続への対応などの進化を続け、圧倒的な支持を集めた。
デジカメ
デジタルカメラの認知度を広めたのが1995年発売のカシオ『QV-10』。撮影できる画像サイズは320×240ドットと小さかったが、使い勝手の良さで大ヒット。1999年頃からは多くのメーカーが参入して競争を繰り広げた。
1995年 デジタルカメラの一般化に貢献

カシオ『QV-10』
当時としては低価格の6万5000円(税別)で発売。液晶パネルを本体背面に世界で初めて搭載したデジタルカメラでもある。
ポケベル
携帯電話の普及以前に、外出時の連絡手段として使われた。女子高生などの利用が急増したのは、数字が送れる機能が追加されたから。「724106(ナニシテル?)」など数字のゴロ合わせで、メッセージを送り合う文化が花開いた。

1996年 着信時の〝ブルった〟が流行語に

NTTドコモ『R-FDHB型ポケットベル』(NEC製)
かな文字やアルファベットも表示可能になった、ドコモ『R-FDHB』。当時の女子高生たちはこれをデコって使った。
PHS
1995年からサービスを開始。当時、携帯電話よりも低コストで音質が良いことから、女子高生などを中心に普及が爆発的に進んだ。2000年代に入ると、PHSのデータ通信機能がPCのネット接続にも活用されるようになるものの、携帯電話の通信規格が向上したことによって急速に衰退。2023年には一般向けのサービスが終了した。
1996年 安さと音の良さでユーザーが激増

NTTパーソナル『パルディオ 203S』(シャープ製)
テンキーをカバーするフラップ付きの軽量&コンパクトな端末。ポケベルに代わる女子高生の通信手段に。アンテナを伸ばして感度を高められた仕様が懐かしい。

キーボード端末
当時、メールや文書作成などの用途として普及する。携帯電話との接続を前提に、機能をメールの送受信に限定したドコモ『ポケットボード』は、価格が1万円前後と手頃で、女子高生などの若い女性に人気となった。
1996年 打鍵しやすいキーボードが好評に!

NEC『モバイルギア MC-MK12』
キーボードの打ちやすさと携帯のしやすさを兼ね備えたマシンとして、ビジネスパーソンの人気を獲得。〝モバギ〟という愛称で親しまれた。電源は乾電池。
1997年 可愛らしいデザインが女性たちの支持も得た

NTTドコモ『ポケットボード』(シチズン製)
携帯電話に接続して使用。1通10円でメールを送受信できる「10円メール」の専用端末としてヒットした。
ノートPC
1997年 〝銀パソ〟一大ブームの火付け役

ソニー『VAIO PCG-505』
マグネシウム合金を採用する薄さ約23.9mm&軽さ約1.35kgのボディーが衝撃的だった。プラスチック感が強かったノートPCのデザインを変える契機に。なお当時、各社から発売されたシルバー基調のPCを〝銀パソ〟と命名したのは小誌である。
〈EDITOR’S MEMORIES〉
10周年記念の〝type T〟から、モンスタータブレットPCの〝Z Canvas〟まで、実に様々なVAIOを愛用しましたね。(DIME編集 田尻)
一体型PC
1998年 〝トランスルーセント〟のボディーは多くの人の所有欲を刺激した!

アップルコンピュータ『iMac』
インターネットを誰でも簡単に利用でき、しかもデザインが可愛らしい点がウケて爆発的にヒット。ボンダイブルー(後に5色展開)の本体、マウス、キーボードに施された半透明の〝トランスルーセント〟デザインは、多くのカテゴリーに影響を与えた。

『iモード』携帯
『iモード』は携帯電話でWebやメールを利用できるNTTドコモのサービス。1999年10月には契約数が200万を突破。着信メロディーなどのコンテンツをはじめ、幅広いサービスが展開された。2026年3月31日にサービス終了予定。
1999年

NTTドコモ『デジタル・ムーバ F501i HYPER』(富士通製)
『iモード』対応1号機として発売。近未来のガジェットを感じさせる細長いボタンが懐かしい。(画像提供:NTTドコモ)。
〝写メール〟携帯
2000年にJ-フォン(現ソフトバンク)が開始した、写真メールの送受信サービスに対応。女子高生を中心に、友達と写真を共有する文化を生み出し、約2年半で1000万台突破の爆発的なヒットに。携帯電話へのカメラの搭載が加速した。
2000年

J-フォン『J-SH04』(シャープ製)
〝写メール〟対応の1号機。11万画素の写真を撮影でき、レンズ横には自撮り用のミラーが付いていた。
若い女性たちによって携帯端末の進化が促された!?
西田 大学生になった頃の私は、映画にハマり、バイト代をほぼすべて費やして、秋葉原の石丸電気ソフト館でレーザーディスクのソフトを買っていました。
田尻 レーザーディスク、懐かしいですね! 高校で所属していた放送部の部室にレーザーディスクの再生機があって、画質の良さを先輩から熱く語られましたよ(苦笑)。レーザーディスクといえば、お笑いコンビの〝ナイナイ〟がCMをしていましたが、あれって何年頃でしたっけ?
西田 1994年頃です。パイオニアが若い層を狙って3万9800円という当時としては激安価格で販売し、かなり売れました。普及が一気に進んだと思います。
田尻 1990年代には、ポケベル、PHS、携帯電話といった通信機器が普及していきました。西田さん的に印象深い機種は?
西田 『ポケットボード』ですね。実はこの時代から、女性がリードして携帯コミュニケーションの歴史が進んだと分析しています。ポケットボードはその象徴。主に女性が「10円メール」のサービスで携帯やPHSにメッセージを送るのに使っていた印象が強いです。
田尻 そう言われてみれば『ポケットボード』って女性が好みそうなデザイン。女性というか、女子高生がターゲットでしたよね
西田 そう。彼女たちが時代をリードしていくわけですよ。個人的には初代の『iMac』も女性のコミュニケーションニーズがヒットの根底にあったと見ています。今でもその傾向は強く、若い女性の多くが『iPhone』を選ぶのは「AirDrop」で写真のやりとりを簡単にできるから。この30年の通信機器の進化は、そんなコミュニケーションの変化の歴史でもあったんです。
マイクロソフト『Windows 95』発売

PCを一般家庭に普及させたのが、1995年発売の『Windows 95』。日本語版の発売日11月23日は、秋葉原に前日から多くの人が集まり、カウントダウンでお祭り騒ぎになった。
■ 映画『トップガン』のビデオは格安だった!?
アメリカではそれまでの3分の1程度に当たる約27ドル(当時約4300円)で販売され、ビデオソフトのセル市場を拡大した。日本でも4980円という割安な価格で販売されたものの、レンタルの牙城を崩せなかったとか。
■『Windows 95』は使いやすさでヒットした!?
マイクロソフトのOS『Windows 95』は、それまでの『Windows 3.1』から使い勝手や機能を向上させたことで、一般家庭にも爆発的に搭載PCが普及。IBM、コンパック、Gatewayなど様々なメーカーがひしめき合った。
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