光石研さん、井上咲楽さん、庄司智春さんをインタビュー!
創刊50周年を迎える11月21日発売の「月刊ランナーズ 創刊50周年特別号」では、俳優の光石研さん、井上咲楽さん、お笑いタレントの庄司智春さんなど著名人や文化人の方に、同社が50周年のテーマとして掲げる「My Run, My Peace~わたしのペース、わたしのピース。~」について語ってもらったので一部を抜粋して紹介しよう。
■光石研さんインタビュー
・走り始めたきっかけ
40代のはじめに禁煙したこと。これじゃ間食が増えて太っちゃうなと思って。
俳優はいわば“現場仕事”なので、体調管理が重要なんです。なのに、ゴホゴホ言いながら煙草を吸っていたらダメじゃないですか。40を迎えて、仕事も上向きになってきたところで、走り始めました。
最初は近くの公園を一周しただけで息が上がっていたけれど、汗をかいて帰ると気持ちよくて。やがて妻も「私もやってみようかしら」と言い出して、一緒に走るように。
すると今度は、彼女から「大会に出ない?」と誘われて、無事に湘南の海沿いのコースを10マイル走り切りました。沿道からのボランティアの応援には感動しましたね。マラソンって、走る人だけのものじゃなくて、支える人たちの思いも詰まっているんだなって。
映像の仕事も同じで、一本のカットを撮るために、監督をはじめ全スタッフが下支えしてくれている。俳優部はその輪の中で、自分の役割を全うするのみ。僕が一番“ピース”な気持ちになるのは、「カット、オッケー!」の声がかかる瞬間なんです。
今は忙しくてなかなか走れていないのですが、今後の目標は、フルマラソンを目指すより「楽しく10キロ」を続けること。いつも「もう止まっちゃえよ」って囁いてくる脳内のデビル光石と闘いながら(笑)。文化系の人間だって、走っていいんですよ。
■井上咲楽さんインタビュー
・ランニングを続けるポイント
頑張ろうと思わないこと。とりあえずウェアに着替えてみると、意外と走り出せる。
小学生の頃、シャトルランを好きになって走り始めたんです。中学時代は駅伝部に呼ばれて大会に出場していましたし、仕事を始めてからも事務所でずっと走る機会がありました。だけど、走るのが大好き!というタイプではないんです。
でも、大会で燃え尽きて1ヶ月くらい走るのを休んでいた時、体調は悪くなるし、思考も重くなるし、「私の身体は走らないとダメなんだ!」って。
それまでずっと当たり前に走っている人生だったので、気づけなかったんです(笑)。ランは私にとって歯磨きみたいな、当たり前の習慣ですね。
大会前や練習中、走っている最中に逃げだしたくなる時ってありますよね。そういう時って、過去の苦い経験が記憶から引っ張り出されている感覚があるんです。それでも未来の自分が「あの時に逃げてしまったな」と思わないために頑張る。
すると、それを乗り越えて目標を達成できた時にやっぱり「楽しい」や「気持ちいい」がやってくるんですよね。記録を目標にすると張りが出ますが、第一はランニングを嫌いにならないこと。うまく付き合いながら、一生続けていきたいですね。
■庄司智春さんインタビュー
・ランニングを続けるポイント
気持ちが後ろ向きな日でも、靴を履いて一歩踏み出し、ゆっくり走り出すこと。
僕、もともと走るのが嫌いだったんですよ。高校では野球部で、毎日走らされていたから。でも、20代後半から筋肉トレーニングの一環として、久々にランニングを再開したんです。
当時は、あえて繁華街を走っていました。みんなが飲んでいる中で自分はカロリーを消費しているっていう、ちょっとした優越感があるから(笑)。
装備は半袖短パンといたってシンプル。でも、筋肉を見せるのは恥ずかしいから、タンクトップでは走らないですよ(笑)。だいたいスーパーフライとかいきものがかりの音楽を聴きながら、スポーツの名シーンに自分を重ねて気分を上げています。
僕にとっての“ピースな状態”は、走り終わった瞬間の自分の顔を見たとき。やっぱりオーラが良いんですよ。仕事ではいつも「あの時こうしていれば」と反省しちゃうタイプなんですが、ランニングは達成感がシンプルに返ってくるんです。
これからの目標は「50歳でも走れるカラダ」。年齢を言い訳にせず、いつでも「やれます!」って言える状態をキープしたい。
そういえば昔、ある企画でルームランナーで100キロ走ることになって。80キロあたりで下半身が動かなくなり、医者に「絶対やめろ」と忠告されてからは、走るのはもっぱらジムじゃなく外です。
吉本の仲間と駅伝に出場したときは、みんなが走っているシーンを自分で編集して動画を作り、シェアしました。すぐ考え込む性格だからこそ、前向きに気持ちを高めるための工夫が好きなんですよね。
構成/Ara







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