中国は、巨大な経済規模と市場があり世界第2位のGDPを誇っている。日本への移住者や旅行客も多いが、異なる価値観や生活習慣があり「近くて遠い」と感じる人も少なくない。
これは中国に住み、多くのドキュメンタリー作品を制作し、SNS総フォロワー1000万人以上の竹内亮監督のインタビュー後編だ。
ここでは、11月7日から角川シネマ有楽町で開催される「2025 中国ドキュメンタリー映画祭 In Japan」に出展する、中国残留孤児を扱った『名無しの子』の制作背景について詳しく紹介する。
ドキュメンタリー監督
竹内 亮(たけうち・りょう)さん
1978年生まれ。テレビ東京系『ガイアの夜明け』ほか多くの映像制作に携わった後、2023年中国に移住。映像制作会社「和之夢文化伝播有限公司」を設立し、現地の“リアル”な情報を発信。Newsweek「世界が尊敬する日本人100」にも選出される。代表作に『ファーウェイ100面相』、『再会長江』他多数。著書に『架僑 中国を第二の故郷にした日本人』(角川書店)ほか。
「中国人はカメラを気にしない」竹内亮監督が語る〝リアルすぎる〟中国ドキュメンタリー映画祭の魅力
中国は、巨大な経済規模と市場があり世界第2位のGDPを誇る“隣の”国だ。日本への移住者や旅行客も多いが、異なる価値観や生活習慣があり「近くて遠い」と感じる人も少…
反戦ではなく、アイデンティティを問う作品
――1945年の第二次大戦終戦時、国策で旧満州(中国東北地方)移住していた日本人庶民約150万人を、当時の政府は見捨てました。侵攻するソビエト社会主義共和国連邦軍を前に、武器も持たず逃げるしかなかった庶民は、子供を現地に置き去りにします。それを中国の人たちは家族に迎え、育て上げる。実親は日本人、養親は中国人という中国残留孤児について、日本では1990年ごろまで頻繁に報道されていました。
現在47歳の私自身、子供時代に報道で触れた記憶がありますが、昭和の終わり(1989年)とともに、扱われることが少なくなっていくようにも感じていました。
やがて歴史を学び、中国人の妻と結婚し移住し、南京事件で知られる南京の街に住むようになってから、「なぜ、仇でもある日本の子供を実子同様に育てたのか」という問いを持つようになります。
日本ではほぼ扱われない中国残留孤児問題ですが、中国ではニュースでよく見かけるトピックスの一つです。中国では「日本の庶民も同じ被害者だ」という論調で語られることも多く、ここに過去の出来事を客観的に紹介するという、“中国らしさ”を感じています。
それを最も感じるのは、南京にある、『侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館』という、1937年の南京事件を追悼する資料館です。展示を見ていると、客観的に事件を振り返っており、日本人が見たこともないような資料も紹介されています。感情を排し、淡々と紹介しているから、感情はもちろん、アイデンティティが揺さぶられるようなこともありました。
中国残留孤児は、戦争と家族、子供が絡むこともあり、感情に訴える報道がされることが多い問題だと感じています。しかし、私は事実を積み重ね、できるだけ客観的にこの問題と向き合っていきたかった。2年の歳月をかけ、日中を行き来しながら取材を進めていったのです。
――作品には、日本名と中国名の2つを持つ、残留孤児の当事者たちが多く登場します。皆、日本人として生まれながら、中国語で考え、中国の思考で物事を考えざることを得ない葛藤が伝わってきました。日本人があまり意識していないアイデンティティの重要さを突きつけられたようにも感じます。
『名無しの子』は、反戦の映画だと思う人もいるかもしれませんが、アイデンティティを問うことが一貫したテーマなのです。
取材は中国残留孤児として育てられ、帰国を果たした日本人が入居する、老人介護施設との出会いから始まりました。2025年の厚生労働省の発表では、これまでに日本への帰国を果たした残留孤児(婦人)の総数は6,731人 (家族も含めると約2万人)です。言葉や生活習慣の壁もあり、帰国しても日本社会に溶け込むことは難しく、多くの人が苦労しつつ懸命に生きてきたのです。
この施設を利用する現在80代の以上の残留孤児1世の人々は、想像もつかないほどの困難を抱え“生き延びた”人々が多い。そして、彼らの子供である2世は、日本と中国の双方で差別を受け、その抵抗手段として準暴力団を立ち上げた人もいました。3世は日中ハーフのルーツを隠し、誰にも本当の自分を打ち明けられないまま過ごしている人も少なくありません。
1945年の敗戦から80 年も経っているのに、日本と中国のアイデンティティや、社会の差別意識に苦しむ人がいる一方で、多くを受け入れ幸せに生きようとする人もいるのです。残留孤児とその家族を含む3世代・100 人以上の方からお話を伺いましたが、改めて「戦争はまだ終わっていないのだ」と思う気持ちが強くなりました。
中国人副監督の「侵攻したのは日本」という指摘
――多くの感情が交差するテーマを客観的に描くことは難しいものです。人間には認知の偏りがあり、古代ローマ時代のカエサルも「人は見たいものしか見ない」と指摘しています。この問題は、多様性の時代において、多くのビジネスパーソンが意識すべき問題でもあります。
物事を客観視することは、自分だけではできません。それに他者の目線が必要です。私は『名無しの子』を日中両方の人に観てもらいたかったこともあり、中国人の副監督に参画してもらいました。彼(彼女?)から多くの気づきを得たのですが、心に残っているのは、作品にも登場した『満蒙開拓平和記念館』(長野県下伊那郡)についてです。
この民間施設は、旧満洲に入植した満蒙開拓団の苦難の歴史を伝える資料館なのですが、テロップで名称を入れようとしたところ、副監督から「一方的に侵攻したのは日本なのだから、“記念館”という名称は反発を招くと思う。施設名を入れずに概要を音声で言ったほうがいい」とアドバイスいただき、その通りにしました。
――確かに「記念」には「特別で大切なこと」というニュアンスが含まれます。満蒙開拓団の背景には、軍部の大陸侵略があります。昭和元年、金融恐慌などの経済不安に陥り、政党政治が揺らぎ、軍が力を増しました。その結果、1927年の山東出兵や、翌年の張作霖爆殺事件などにつながっていきます。
「日中戦争は、正式な手順を踏まえた“戦争”なのか」など、日中の歴史には、多くの問いがあります。日本では一般的な事件の名称も、中国では違う名前で呼ばれていることもあります。この作品は、両国の観客に配慮して制作しました。
その結果、フラットに庶民の営みを追いながら、歴史的事実を伝える最初の作品になったのではないかと感じています。
取材のタイミングも良かったと思います。戦後80年である程度の歴史的検証がされており、当事者も生きている。これが戦後90年、100年になってしまうと、証言者はこの世にいないことが多い。「今しかない」と判断したことに間違いはありませんでした。
この映画が日中の対立のようなものを緩和し、認識の変化に寄与してほしいという期待があります。だって庶民は、政治やマクロ経済とは関係なく、日々を懸命に生きている。
映画に登場する一人ひとりの生き生きとした素顔は多くの人を魅了するはずです。ぜひ、この作品を、スクリーンでご覧ください。そこで気づいたことは、あなたのアイデンティティにもつながっているでしょう。
竹内さんにお会いすると、常に少年のような雰囲気をまとっており、オープンマインドです。だからこそ、多くの人が心の内を見せるのかもしれません。『名無しの子』のタイトルの由来について質問すると、「大好きな作家・山崎豊子さんの『大地の子』(文春文庫・全4巻)の影響があるかもしれません」と竹内さん。
中国残留孤児は、日本と中国の2つの名前を持ち、どちらも選べない「名無し」という側面もあります。戦後80年の今年、この作品を観て私たちは何を気づくのでしょうか。「2025 中国ドキュメンタリー映画祭 In Japan」で、感じてみてください。
2025 中国ドキュメンタリー映画祭 In Japan
アジア初の中国ドキュメンタリー映画祭。中国で多数の映画賞を受賞した選りすぐりのドキュメンタリー作品5本を上映する。映画祭アンバサダーはタレントのMEGUMIさん。「中国人が撮った等身大の中国」を、スクリーンで体感しよう。
期間:2025年11月7日~11月20日
会場:角川シネマ有楽町
主催:株式会社ワノユメ
協力:中国ドキュメンタリー番組網
配給:ワノユメ
(C)2025『中国ドキュメンタリー映画祭In Japan』組織委員会
https://www.wanoyume.com/jp/china-documentaryfilm-festival
取材・文/前川亜紀







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