プロサッカー選手の現役引退後の身の振り方はさまざまだ。指導者やJクラブスタッフなどサッカー界に残る例もあれば、起業に踏み切るケースもある。飲食業で新たな道を切り開こうとする者もいるのだ。
その1人が、かつてアルビレックス新潟、福島ユナイテッドでプレーした元Jリーガー・酒井高聖(ごうそん)である。
ドイツで引退し、兄への恩返しの気持ちを込めてカフェ立ち上げ
96年生まれの彼は、2014年ブラジル・2018年ロシアの両ワールドカップ(W杯)に参戦した元日本代表の兄・酒井高徳(ごうとく=神戸)とともに2022年11月、神戸市東灘区御影にカフェ「Alster&Garten(アルスター・ガーテン)」をオープン。首尾よく軌道に乗せると、2年半後の今年5月、神戸市中央区三宮に2号店「ecke(エッケ)」を出店。現在は2つの店舗を掛け持ちしながら、非常に慌ただしい日々を送っているのだ。
そもそも彼は4兄弟の末っ子。5つ上の次男・高徳、3つ上の三男・宣福(のりよし=サガン鳥栖)も同じサッカー選手だが、彼は高徳と同じ新潟のアカデミー出身。高校生の頃はU-16日本代表として数々の海外遠征にも帯同するなど、将来を嘱望されるDFだった。
2014年にプロ入りすると、ルーキー時代の14~15年はJリーグU-22選抜に参戦し、2016年は福島にレンタル移籍。17年に新潟に戻って1年間プレーしたが、本人の中では日に日に海外志向が強まっていったという。
この時、ハンブルガーSVでプレーしていた高徳の誘いもあって、2018年1月に渡独を決意。最初のクラブ・リューネブルクSKハンザ(当時ドイツ4部)時代は兄と同居。助けを借りながら、ドイツへの適応を進めていったという。
異国で孤独を感じたコロナ禍に考えた引退後の身の振り方
1年半後の2019年夏に高徳が神戸へ移籍。高聖は単身、3部のアーレンへ赴く。そこで直面したのが、未曽有のコロナ禍だった。
「クラブの活動が止まり、ドイツ人選手たちは実家に帰ることができましたけど、日本から来た自分はマンションで1人きり。時々、スーパーに行くことしかできず、かなりメンタル的に追い込まれました。
サッカーを続けるべきかどうかも真剣に考えましたね。この休止期間を利用して、クラブのスポンサー起業である地殻調査の会社で少し働かせてもらったんですけど、そこの社長にも気に入られ、引退してそこでインターンで働きながら大学に通う選択肢も思い描きました」と高聖はしみじみと語る。
結局、2021年夏には4部・イラーティッセンへ移籍。そこで活躍して、2部クラブからのオファーも受けたという。けれども、本人の中では「21-22シーズンは引退するための1年間だった。体も動いたし、調子もすごくよかったですけど、自分の中では選手をやり切った感があったんで、区切りをつけて方向転換しようと決断しました」と余力を残した状態でプロ人生に終止符を打つことを決めたのだ。
運命が変わった「神戸にカフェを開きたいから一緒にやらないか」の一言
そんな時、高徳が「神戸にカフェを開きたいから一緒にやらないか」と誘ってきた。ドイツに誘ってくれて、異国生活の道を開いてくれた兄にどこかで恩返ししなければいけないと考えていた彼にとって、この話は渡りに船だった。
当初、兄のプランは複数人のグループでカフェ事業に乗り出すというものだったが、方向性の違いが浮き彫りになり、8月にはいったんプランが白紙になった。それでも「兄弟2人で何とかなるんじゃないか」と新たな可能性を模索したところ、現在の御影の店舗が見つかり、内装業者などサポートしてくれる人とも出会うことができた。希望のアンティーク家具もコツコツ探して比較的安い値段で購入できることになった。多くの人々の支えもあって、紆余曲折を乗り越えた彼らは、11月のオープンにこぎつけたのだ。
「最初は東灘区に好きなコーヒー屋さんがないというのが始まりでした。僕らはハンブルクに住んでいましたけど、向こうにはアルスター湖を眺めながらゆっくりできるカフェが結構あって、そういうのを作りたいというのが2人の考えだった。日本にありきたりな店にはしたくないし、かといってコストもかけられない。『カッコよくありつつ、落ち着ける空間』というのを最重要ポイントにして、そのコンセプトに沿って、できることを一緒に進めていった感じです」と高聖は話す。
経営からコーヒーの淹れ方まで1から独学。地元密着で成功
とはいえ、兄は現役選手で、実際に店で働けるわけではない。アドバイザーとして店に関わるのが精いっぱいだ。高聖がオーナーとして経営に携わることにはなったが、引退したばかりの彼も特別にコーヒーを学んだわけではなく、経営面も素人に近い。最初は手探り状態で進めていくしかなかったようだ。
「店を開く以上、本気でやらないと稼げない。僕なりに客単価や人件費、採算率などを独自で学びました。帰国前に簿記三級の資格も取り、ファイナンシャルプランナーの勉強もして、どうやってお金を回していくかもいろいろ考えましたね。
1つ大きかったのは、プロ選手だった自分は明日の生活や来年の生活が見えない状況に慣れていたこと。安定した人生を送っていなかった分、チャレンジするしかないって割り切れた。両親は『地元の新潟じゃなくて神戸でやるの』と驚いていましたけど、それも自分の挑戦心を掻き立てたところがありました。
コーヒーに関しても、開店前にいろんなお店を回って飲んだり、豆を取り寄せて味わったりして、どういうコーヒーが好きなのかを判別するところからのスタートでした。
開店直後は好きな豆を卸してもらい、バリスタが淹れる形を取っていました。その後、自分も教えてもらいながら淹れるのを繰り返して、2~3カ月後には自分でやれるようになった。2023年からは僕自身がバリスタになってお客さんに出していましたね」とオーナー兼店長となった高聖は、ありとあらゆることを自力で切り開いていったのだ。
店の場所も阪急電鉄御影駅から徒歩10分弱とアクセス至便というわけではない。それでも彼は「逆に住宅地にあるので、地元の人に愛されるお店を目指したい」と考え、兄を通しての口コミやSNSなどで地道に告知。週末にはお菓子屋や洋服屋とのコラボイベントを実施する工夫を凝らし、地域密着を進めてきた。さらには、ヴィッセル神戸のホームゲームへの出店にも乗り出し、より多くの人々に認知してもらう機会を得た。
今年5月に開店した2号店は「手軽にコーヒーを買える店」がコンセプト
そういった努力が早い時期の黒字化、そして安定した営業につながり、今年には三宮の一等地に2号店を構えるに至った。
「場所は神戸サウナビルの1階で、JR三ノ宮駅や、阪急・阪神・地下鉄の三宮駅から徒歩3分くらいの好立地です。こちらはコーヒースタンドみたいな形で、座れるのはカウンターだけなんですけど、『ゆっくり落ち着く』という御影のお店とは異なるコンセプトで始めました。乗り換えついでにテイクアウトしたり、サウナの帰りに立ち寄ったりできるので、気軽に来てもらえる利便性が大きなウリですね。
実を言うと、このお店は前々から計画していたわけじゃなくて、今年の3月くらいに『次の店を出したいな』と考えていたら、たまたま神戸サウナビルのオーナーから『テナントを入れたい』というオファーをいただけて、一気に進んだんです。まさに急展開。工事を3週間くらいで終えて5月から営業開始という感じでした。
僕は止まっていられない性分で、どんどん次へのアクションを起こしていないとダメな人間なんです(笑)。今は豆の焙煎と卸しに力を入れていて、ウチの豆を導入してくれているカフェも増えてきました。『ここのコーヒーがおいしい』『ぜひ飲みたい』と言ってくれる人も増えてきたのはすごく嬉しいですし、これからもっともっと増えてほしい。少しは高徳にも恩返しできたのかなとも思っています」とカフェ開業から丸3年を迎える今、彼は手ごたえを得た様子だ。







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