
9月アメリカ遠征で選手層の問題を露呈。広大なアメリカへの適応も課題
2026年北中米ワールドカップ(W杯)優勝という壮大な目標を掲げているサッカー日本代表。ご存じの通り、今年3月に8大会連続出場権獲得を決めている彼らは9月上旬、本大会の地・アメリカに遠征し、メキシコ・アメリカとの2連戦を消化した。
9月6日の初戦・メキシコ戦(オークランド)は遠藤航(リバプール)、三笘薫(ブライトン)、堂安律(フランクフルト)、久保建英(レアル・ソシエダ)ら主力級をズラリと並べて挑み、スコアレスドロー。W杯決勝トーナメント常連国の底力を見せつけられながらも内容的に上回り、手ごたえをつかんだ一戦だった。
しかしながら、続く9日のアメリカ戦(コロンバス)は11人総入れ替えで戦った結果、0-2の完敗。キャプテンマークを巻いた伊東純也(ゲンク)が奮闘を見せる傍らで、代表経験の乏しい面々が十分な存在感を示せなかった。森保一監督は「W杯を戦い抜くには、2チーム、3チーム分の選手層がないといけない」と口癖のように話しているが、その領域にほど遠い現実を突きつけられた格好と言える。
「米国屈指の犯罪都市」と言われるオークランドでの試合開催
そういったピッチ内の問題点が明確になったのは収穫だったが、それ以上に大きかったのが、アメリカという広大な国を選手たちが体感したこと。南野拓実(モナコ)が「アメリカは初めてです。広いですね」とコメントした通り、世界各国でプレー経験のある主力級メンバーでさえも、アメリカという国に赴いた回数は少なく、不慣れな部分が少なくなかったのだ。
まず初戦のオークランドだが、西海岸・カリフォルニア州にあり、サンフランシスコからは約13キロ東に位置している。サンフランシスコ湾を挟んで対岸にあると言った方が分かりやすいだろう。サンフランシスコ市内からはベイブリッジで結ばれていて、BARTと呼ばれる鉄道か、車で移動するのがスムーズだ。
注意しなければならないのは、同地が「米国屈指の犯罪都市」と言われている点。在サンフランシスコ日本国総領事館が今年7月に出している「安全の手引き」によれば、「オークランド市は、全米の中でも犯罪が多発する地域として有名です。特に東オークランド地域、フルートベール地区、西オークランド地域はギャング関連の犯罪が多く発生しており、拳銃やナイフを使用した凶悪犯罪が多発しているため特に注意が必要です。また、車上狙いも非常に多く発生しているほか、邦人の強盗被害も発生しています」と記載されていた。
安全と滞在コストを考えてレンタカーを選択したが…。
幸いにして、日本代表チームはオークランド北部にあるバークレー市に滞在。事前練習もこちらで行った。この町はカリフォルニア大学バークレー校やローレンス・バークレー国立研究所のある文化エリアで治安がよかったが、やはり試合前日と当日はオークランドに足を踏み入れないわけにはいかない。「試合会場のオークランド・コロシアム付近も危ないエリア」と言われていて、最新の注意を払う必要があった。
もちろん選手たちは万全のセキュリティに守られていたが、日本報道陣はそれぞれに警戒心を募らせ、対策を講じていた。我々のグループは「車があった方が安心」と判断。1泊当たりのコストを1万円程度に抑える目的もあって、サンフランシスコ空港付近の格安モーテルに滞在。そこからレンタカーで連日、往復することにした。
アメリカでのレンタカーは追加ドライバーと保険に要注意!
アメリカのレンタカーは気軽に借りられるイメージがあるが、確かにレンタル料金自体はそんなに高くない。今回は大型セダンタイプを5日間借りて5万円弱。4人で割ると1人当たり1万2000程度だった。が、追加ドライバーとフルカバーの保険、カリフォルニア湾にかかる橋の通行パスは別料金。それをつけた結果、値段が一気に9万円近くに跳ね上がったのは驚いた。
筆者もドライバーの1人だったが、アメリカで運転するのは、2014年ブラジルW杯直前のフロリダ州・クリアウォーター合宿以来。10年ぶりの左ハンドル、しかも普段乗っている車よりはるかに大きな車種ということで、どうしても恐怖が拭えなかった。「保険フルカバーはやむを得ない」と考え、仲間と相談の上、加入に踏み切った。
今はグーグルマップがあるから、経路検索は簡単にできる。けれども、アメリカのハイウェイは車線が多く、出入口も沢山あって、非常に複雑だ。最初の2日間は出口を間違え、ハイウェイに乗り直すというのを何度も繰り返す羽目になり、想像以上に時間がかかった。が、運転というのは徐々に慣れてくるもの。その後は往復ともに30~40分で行き来できるようになり、買い物も自由自在に行けて、かなり便利だった。
レンタカー+格安モーテル滞在は円安時代を乗り切る一手!
ウーバーでサンフランシスコ空港付近からオークランドまで行こうと思うなら、1万円前後はゆうにかかる。円安の今は何もかもが高いのだ。1年後のW杯本大会の時も1ドル=150円程度のレートは不変、あるいは逆に円安が進むと見る向きもある。となれば、滞在コストを下げるために、レンタカーを借りて安いモーテルに滞在というのも一案だ。
2つ目の都市・コロンバスでも同じように空港付近の1泊1万円弱のモーテルに泊まって、試合会場のLower.com Field(ロウアードットコム・フィールド)まで行き来したが、こちらはサンフランシスコほど迷わず移動できた。空港からスタジアムまで近く、道が複雑でなかったことが大きかった。追加のフルカバー保険も入らず、レンタカー料金は2万円も行かなかった。ガソリン代もサンフランシスコが6000円、コロンバスが1000円程度。複数で移動するなら車はお得で安全だ。今回、運転に慣れたことは、来年に向けて意味があったと言っていいだろう。
アメリカのマクドナルドは意外に安い!
アメリカの物価高は6月のFIFAクラブW杯でシアトルに滞在した際にも紹介したが、為替レートがその時よりも4~5円ほど円安に振れていたので、さらに厳しいのは確かだった。
それでも今回は車で格安スーパーに行けたため、パンやハム、チーズ、野菜パック、大容量の水やワインなどをリーズナブルな値段で買い置きして、何とか過ごすことができた。
滞在したサンフランシスコのモーテルは冷蔵庫や電子レンジがなく、洗濯機も25セントコインが8枚必要だったりと、困惑させられることが少なくなかったが、数日間の滞在なら何とかやり過ごせるだろう。
今回、前向きな発見だと言えるのは、マクドナルドが想像以上に安かったこと。5~7ドルの「マックバリューセット」というものがあり、バーガーは値段が高いものほどグレードがアップしていくのだが、そこにビッグサイズの飲み物とフライドポテト小、チキンナゲット5個がついていたのには驚かされた。5ドルセットなら、税金を含めても日本円で850円程度。「これなら何回も食べられる」と我々も喜んで複数回通った。そういう安価なものを探すのも、物価高・アメリカでの醍醐味かもしれない。
格安モーテルはインターネット環境に要注意!
アメリカ滞在でもう1つ、気をつけなければならないのが、インターネット環境。高級ホテルやレンタルハウスならそういう問題は起きないだろうが、格安モーテルだと部屋によって通じなかったり、時々切れたりと不安定な環境を余儀なくされるのだ。
筆者はアハモを使っているので、アメリカではそのまま利用できるのだが、テザリングさえも使えないというケースがあって、それが一番頭が痛かった。最近の携帯電話機はデュアル・シムに対応しているものも多いが、事前にアメリカのシムカード、あるいはE-シムも入手しておいて、2つの回線を使えるようにしておくなど、対応策が必要だ。
広大なアメリカの場合、市街地は通じても、郊外に行くとあまりネット環境がよくないということも考えられる。ネット難民になって、手も足も出ないという状況だけは回避すべく、入念に準備をしておくことが先決である。
広大なアメリカは気象条件や時差の違いにも気を付けるべき!
気候や時差もアメリカ滞在における要注意ポイント。今回、日本代表が戦った2都市だけを取ってみても、オークランドは9月初旬でも最高気温20度・最低気温13~14度と肌寒く、屋外での取材時はライトダウンを着なければならないほどだったが、コロンバスの方は最高気温27度・最低気温20度程度と暑かったのだ。両方とも湿度は日本ほどではなく、カラリとしていたため、選手たちはプレーしやすい環境だっただろうが、時差の違いは想像以上に影響があったという。
オークランドのある西海岸は日本時間マイナス16時間、コロンバスのある東部はマイナス13時間。メキシコ戦の後、キャプテンの遠藤航(リバプール)が「マイナス16時間って全然分かんないね」と苦笑いしていたが、そこからさらに3時間進むコロンバスに赴くと、1日が異常に早く進んだ感覚になるのだ。
「飛行機で移動して、コロンバスに着いたら、もう夕方。そこから寝て、翌朝になったけど、朝食に来ている選手はほとんどいなかった」と久保建英(レアル・ソシエダ)と違和感を口にしており、そういう不慣れな環境を制することも、次のW杯の大きなテーマになってくるのだ。
それは我々メディアも同様。過去には2014年ブラジル、2018年ロシアと広大な国土の国でのW杯を経験してはいるものの、アメリカ・カナダ・メキシコほどの変化はなかった。やはり1年後の大舞台は一筋縄ではいかない。それをしっかりと認識したうえで、2026年本大会に向かっていくべきだろう。
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。