
今夏、イングランド・プレミアリーグの強豪リバプールFCが、プレシーズンのアジアツアーの一環として約20年ぶりに来日した。
横浜F・マリノスと行った親善試合の公式入場者数は、Jリーグ主催試合史上最多となる6万7032人。この試合に合わせ、リバプールFCの肩スポンサーで公式トラベルパートナーを務めるオンライン旅行サイト・エクスペディアの招待により、レッズ(※リバプールの愛称)のレジェンドである元ポーランド代表GKイェジー・デュデクが日本にやってきた。
2004年-05年シーズンの欧州チャンピオンズリーグ決勝での大逆転劇「イスタンブールの奇跡」を演じたメンバーの一人であり、その時に披露したキッカーを幻惑する“クネクネPK”は今も語り草だ。クラブ史に名を刻む男は、日本における古巣の人気の高まりをどのように見ているのか。さらには、20年前のPK戦でエキセントリックな動きを繰り出した理由、現在の活動、リバプールFCで奮戦する日本代表・遠藤航の印象などについて今回、インタビューを通して聞いた。
今回で3回目の来日
2025年7月30日に開催したJリーグワールドチャレンジ2025「横浜F・マリノス vs リバプールFC」。19時30分のキックオフの瞬間、超満員の日産スタジアムは割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
公式入場者数はJリーグ主催試合史上最多となる6万7032人で、横浜F・マリノス側のゴール裏スタンドを除き、スタジアムの大部分はほとんど赤一色。エースストライカーのモハメド・サラーが低重心のドリブルで仕掛け、DFリーダーのファン・ダイクが巨体を宙に浮かせてヘディングでボールをクリアすれば、どよめきが巻き起こり、観客席からサポーターソングの「You’ll Never Walk Alone」が合唱される場面もあった。実に20年ぶりとなるリバプールの来日に、場内は興奮の坩堝と化していた――。
親善試合当日の朝、東京都内に建つ高層ホテルのゲストルームでインタビューは行われた。
「Nice to meet you!」
握手を交わした右手は大きくて分厚く、そして硬い。数多のストライカーが放った強烈なシュートを弾き、ストップしてきた歴戦の手だ。
イェジー・デュデクが来日したのは、今回で3回目。リバプールFCの公式トラベルパートナーを務めるオンライン旅行サイト・エクスペディアの招待により実現した。前回2017年は 大手時計メーカーの招待で東京や神奈川などを観光し、前々回2005年は、FIFAクラブワールドカップに臨むリバプールFCの一員として日本の地を踏んだ。
彼が在籍していた頃のリバプールFCは、強豪というより古豪だった。プレミアリーグで毎年上位争いを演じるものの、優勝には届かない不遇の時代が1990年代から2010年代前半頃まで続いた。それが近年急速に力を付け、2018-19年にはチャンピオンズリーグ制覇、19-20年、24-25年にはプレミアリーグ優勝など国内外の主要タイトルを次々と獲得。現在では常勝軍団としての地位を確立し、世界中に数多くのサポーターを抱えている。
古巣の躍進に、元ポーランド代表GKは目を細める。
「私が所属していた頃と比べてクラブはどんどん巨大化し、強くなっていきました 。特にここ10年での発展は目覚ましく、大きな成功を収めていますよね。この日本だけではなく、アメリカ、南アフリカなど…どこの国に訪れてもリバプールファンに会いますし、クラブとしての知名度が以前と比べて格段に上がったように感じます」
親善試合前には日本のファンと交流
今回の来日でもファンと交流する機会があった。デュデクは7月29日夜、東京・渋谷のスポーツバーで行われたリバプール・サポーターズクラブ日本支部主宰のMeet & Greetイベント にゲストとして登壇した。そこで待ち構えていたのは、赤いユニフォームを着た日本人サポーターたち。
デュデクによれば、想定人数40名のところ、150名が集結したという。その盛況ぶりを示そうと、見せてくれたスマホのムービーには「デュデク! デュデク!」とコールを振って盛り上がる大勢のファンの様子が映し出された。
「Meet & Greetイベントでは、日本人サポーターの熱量の高まりを肌で感じました。もしも日本-リバプールの直行便があれば、よりたくさんの人がアンフィールドに来てくれるでしょうね」
レッズの元守護神が言うように、日本からリバプールへの直行便は現状なく、ロンドンやマンチェスターを経由しなければ辿り着くことができない。しかし、多少の手間を惜しんでもリバプールFCの本拠地・アンフィールドで試合を観戦したいと望む熱心な日本人サポーターは多いはずだ。そこでデュデクに「日本のファンにおすすめしたいリバプールの名所」について聞いてみたところ、勝手知ったる街だけあって、スラスラと饒舌に答えが返ってきた。
「まず試合の2日前にはリバプールに到着するようにしてください。その2日間を利用して街を散策するとともに、アンフィールドにあるリバプール博物館やビートルズ・ストーリー(ビートルズの展示施設)に訪れてほしいです。食事は、タイタニック号が出港した埠頭周辺に美味しいレストランがたくさんあるので、そこでとるといいでしょう。もちろん、ホテルやフライトの予約は、今回私を日本に招待してくれたエクスペディアを利用することをお忘れなく(笑)」
「You’ll Never Walk Alone」で心を一つに
デュデクのキャリアにとってリバプールは特別な街だ。それは、選手としての全盛期といえる7シーズンを過ごした場所であるとともに、輝かしい栄光の記憶が刻まれた土地であるからに他ならない。
彼が初めてこの英国の港町に降り立ったのは、2001年夏。オランダ・フェイエノールトでの活躍が認められ、リバプールFCに移籍してきた当時28歳のポーランド人は「このクラブはビッグタイトルを獲れる可能性があり、歴史を作れるチャンスがある」と野心を抱いていたという。
約4年後、思いを遂げる千載一遇のチャンスがやってくる。2005年5月25日、欧州チャンピオンズリーグ決勝へ勝ち進んだリバプールFCは、決戦の地、トルコ・イスタンブールのスタジアム、アタテュルク・オリンピヤト・スタドゥに乗り込んだ。迎え撃つ相手は黄金期を迎えていたイタリア・セリエAの名門ACミラン。1984年以来21年ぶりの戴冠を目指し、大きなモチベーションをもって決戦に臨んだレッズだったが、ミランの猛攻の前になすすべなく、前半だけで0-3の大差を付けられた。
「前半終了後のロッカールームでは、全員が怒りや悲しみの感情をあらわにしていました」。そうデュデクは述懐する。打ちひしがれるイレブン。そんな中で聞こえてきたのは、20年後に横浜の地でも響き渡ったあの歌だった。
「ハーフタイム中、観客席のサポーターたちが「You’ll Never Walk Alone」を歌い出したのです。ロッカールームでは主将のスティーヴン・ジェラードが『みんな、あの歌を聞いてくれ。サポーターはまだ俺たちを信じてくれているじゃないか。何かでお返ししなければいけない』と鼓舞してくれました。あの瞬間、まさに私たちは『一人ではない』と思いましたし、みんなで一つになろうと決意しました。サポーターが歌ってくれたあの歌が、私たちにとってのターニングポイントになったことは間違いありません」
俺たちは一人じゃない…敗戦濃厚な状況の中で届いたサポーターからのメッセージは、イレブンの心を一つにした。後半開始とともに、指揮官ラファエル・ベニテスはDFを4人から3人に減らし、より攻撃的でハイリスクな戦術に舵を切る。このシステム変更も追い風となり、檄を飛ばしたジェラードのゴールで口火を切ると、そこから立て続けに2点を奪取。息を吹き返したレッズは、わずか6分間で試合を振り出しに戻すことに成功した。その後、後半戦、延長戦を戦い抜いてもスコアは3-3のまま動かず。決着の行方はPK戦に委ねられることになった。
“クネクネPK”をした理由とは?
GKの出来次第で運命が決まる最重要局面にて、デュデクは奇策に打って出る。身体をせわしなく左右に揺らす奇妙な動きでキッカーを幻惑しようと試みたのだ。
これが功を奏し、1人目のキッカー・セルジーニョは枠外に大きく外す。続く名手アンドレア・ピルロの機先も制し、狙いすましたコントロールショットを左手一本でストップ。最後のキッカー・シェフチェンコのシュートもブロックして勝負あり。見事「イスタンブールの奇跡」と呼ばれるフットボール史に残る大逆転劇の立役者の一人となった。あの夜、“スパゲッティー・ダンス”“クネクネPK”と呼ばれるエキセントリックなモーションを繰り出した背景には、チームメイトからのアドバイスがあっという。
「ジェイミー・キャラガーが『相手にプレッシャーを与えるために、ブルース・グロブラー(※1984年に欧州チャンピオンズカップを制した時のリバプールのGK)がやっていたスパゲッティー・ダンスを真似するんだ』とアドバイスをしてくれたんです。あの大舞台でやるのにプレッシャーはなかったか? いや、もう何も考えていませんでした。まるで泡の中にいるような気分というか。歓声は聴こえているけど、集中していたのでキッカーと審判しか見ていませんでした」
遠藤航は「スナイデルに似ている」
あれから約20年。イスタンブールの夜を経て、マージサイドの英雄となった男は現在52歳になった。引退後、食事量やルーティンの変化により体型を大きく崩す元選手は珍しくないが、レッズのレジェンドに無駄な贅肉が付いているようには見えない。聞けば、様々なスポーツに熱心に取り組んでいるとのこと。
たとえば、マラソンではサハラ砂漠にて50kmを走破する大会に参加して上位に入賞し、ゴルフではポーランドナショナルチームの49歳以上からなるシニア部門の代表選手に選出されてヨーロッパ大会を戦うなど、本気度はかなりのものだ。そのモチベーションの源を問うと「常にアドレナリンが出続けているんですよ」と笑う。
もちろん、多忙な日々の中で古巣の試合をチェックすることも欠かさない。リバプールFCは2024年-25年シーズン、アルネ・スロット新監督のもと圧倒的な強さでプレミアリーグを席巻し、5年ぶりのリーグ優勝を果たした。そんなチームの中で、試合終盤の時間帯に投入される“クローザー”の役割を担ったのが、遠藤航だ。冒頭に伝えた横浜F・マリノスとの親善試合において、ひときわ場内が沸き立ったのは後半15分、ファン・ダイクからキャプテンマークを引き継いだ遠藤がピッチに入った瞬間だった。レッズの一員となって3シーズン目を迎える職人肌の日本代表MFを、デュデクはどう評価しているのか。
「彼は大変なナイスガイであり、とてもスキルフルな選手です。運動量が豊富で視野が広く、広大なスペースをカバーし、いつもチームメイトを助けている。すごくいい仕事をしているMFという印象です。プレースタイルは、私が現役時代に対峙したプレイヤーの中だとヴェスレイ・スナイデルに似ている。遠藤はスナイデルのように強烈なミドルシュートを武器にしている選手ではないけれど、よく走り、ピッチ上のどこにでも顔を出し、頭の回転が早い点が共通しているように思います」
現地時間8月15日、プレミアリーグの2025年-26年シーズンが開幕した。さらに9月には欧州チャンピオンズリーグの幕も開け、昨季叶わなかった悲願のビッグイヤー獲得に向けた戦いが始まる。
デュデクによれば、「Once a Red, always a Red 」という言い回しがあるという。「一度リバプールファンになるとずっとファン」。そんな意味を持つ言葉だ。最後にリバプールFCの永遠のレジェンドであり、永遠のサポーターとしてこんなメッセージをファンに向けて残した。

「リバプールは新加入の選手を迎えてどんどん強くなっているし、チームの状態はすごくいい。プレミアリーグ連覇、チャンピオンズリーグ優勝も十分に狙えると思います。日本のリバプールサポーターのすべての支援に感謝します。皆さんのエネルギーで彼らはもっと強くなるので、ぜひ信じて応援してください」
取材・文・撮影/小島浩平
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