
ウェルビーイングという言葉が聞かれるようになって久しい。個人に当てはめてみると、“自分らしい生き方”や“自分にとっての幸せ”の探求にもつながる。自分らしく生きること、とは、どういうことなのだろうか。
今回は、ドラァグクイーン(男性が女装してパフォーマンスをする一種)で2023年4月から松竹芸能に所属しているタレントのサマンサ・アナンサさんに、自身の生き方やウェルビーイングについて話を聞いた。
仲間の後押しと家族の理解 一歩踏み出した後も持てなかった勇気「皆さんなくして私は成り立っていない」
大阪在住のサマンサさんは、愛媛県松山市で生まれ、3歳からインターナショナルプリスクールで英語を学び、その後は国立の小学校へ。高校時代にドラマ『ビバリーヒルズ高校白書』のロケ地になった米カリフォルニア州トーランス・ハイスクールにも留学している。大学時代もアメリカでも過ごし、9.11を経験したことから航空業界を目指した。大学卒業後はANAグループに入社。当時は“一般男性”の事務職として勤務しながら、ドラァグクイーンやクラブカルチャーに出会った。
そのコミュニティでドラァグクイーン界の大スター・ナジャ・グランディーバに出会ったことから、サマンサさん自身も週末にドラァグクイーンとして活動するように。その後、自分の生き方と向き合った結果、ANAグループを退職した。ドラァグクイーンの活動を通してファッション界の大御所・コシノジュンコ氏に出会ったことからコシノ三姉妹とも交流を深め、『ミチコロンドン』のアンバサダーや取締役も経験する。さらにファッションイベントをきっかけに歌手の大黒摩季とも縁がつながり、大黒のツアーやラジオにも出演した。その後、ナジャやミッツ・マングローブらドラァグクイーン界の先輩の後押しもあり、23年に松竹芸能に所属。現在はタレントとしてテレビやラジオ番組に出演する他、ダイバーシティやウェルビーイングの観点からイベント登壇なども行っている。さらに、マジシャンのMr.マリックの娘でラッパーのLUNAと、ドラァグクイーンの枝豆順子とともに『D3(ディースリー)』を結成しアーティストとしても活躍している。
――松竹芸能に所属されて2年。タレント活動はいかがですか。
サマンサ・アナンサ(以下、サマンサ)「ドラァグクイーンというとド派手で、夜のネオンの下できらびやかなショータイムをするイメージですよね。それが根底にはありますが、松竹芸能に入ってのお仕事はそのジャンルから進化したお仕事が多いです。ワイドショーの生放送や、ラジオ番組のレギュラーでお話をしたり。
古巣であるANAがDEIという多様性の在り方について取り組んでいる中で、Zoom会議にアドバイザーとして入り、社内のトークイベントでは里帰り登壇もしました。ANAも多様性の部分でダイバーシティを進めているので、アドバイザーとして入りました。また大阪府の看護協会さんの年1回のイベントでトークショーもしました。医療の最前線の現場で働く皆さんがいらっしゃる中で、私は何のメッセージ力を持ってお話ができるのかしら……と思いながらも、 皆さんの中で『これまでとは違った何かを求めているな』というのは感じたので、結局は『自分とはこういう生き様でこういう人間です』っていうご紹介になりましたが、聞いていただけました」
――もともと一般男性としてANAグループに勤務していたところから、経歴も公にしてタレントとして世に出るようになりました。この2年で変化はありましたか。
サマンサ「この2年で主に変わったことは、両親と弟にサマンサ・アナンサを認めてもらったことです」
――ご両親はドラァグクイーンやタレント活動のことは知らなかったのですか。
サマンサ「もともと全然知らなかったんですよ。両親の中では、私は航空業界を辞めた後にファッション業界に行って、『ファッションブランドのプレスのお仕事なりブランドディレクターなり、何かをしてるよね』ぐらいの認識で。ANA在職中からドラァグクイーンをしていて今は松竹芸能にいるなんて、当初は知らなかったんですよ」
――そこは伝えられなかったのですね。なぜ今回、伝えたのですか。
サマンサ「それがたまたま。私が出演しているテレビ番組を母が見ていたんです。どれだけ格好を変えていても、親は分かるんですよ。母から電話がかかってきて、『テレビつけたら、あんたのような声が聞こえてくるねんけど、どういうこと?』と聞かれたので、最初は『人違いちゃう? そんな訳ないよ』と答えたんです。でも、『だって、あんたやで!』って。『出てません。違う』『あんたや!』というやり取りが何度もあって、なんか申し訳なくなってきて。その瞬間に、『なんかちょっと、ショックやったり気分を害したんやったら、ごめんね』って言っちゃったんですよ私」
――“申し訳ない”という気持ちですか。
サマンサ「やっぱり『うちの子が恥ずかしい』と思ったかなと。今の時代はまた違うけど、私たちが育った時代はそんなにオープンではなかったので、どう伝えようか自分でも正直分からなくなっちゃった瞬間でした。とっさに『ごめんね』と言わないといけない時代を、なんで自分たちは生きてきたんやろうと思って。本当は『バレた』でいいし、もっと若い世代の子だったら違うアピールの仕方ができたのかもしれませんが、私はとっさに『ごめんね』って言っちゃったんです」
――お母さまはなんと。
サマンサ「『いや別に、ごめんねなんか言わんでいいよ。かわいいやん』って言われて、『ええ?』と思って。それ以上深く話しちゃうと、私も精神的に何か感情が入っちゃうと思ったから、『まぁ見たんやったら、しゃあないわ』って」
自分の息子がドラァグクイーンとして芸能界へ進んだことを母親が知った後も、父親や兄弟には活動のことは話していなかったというサマンサさん。しかし、D3の活動がカミングアウトを後押しすることに。
サマンサ「マリックさんが東京、滋賀、大阪の3都市でマジックツアーを開催することになって、何を迷ったのかD3を出演させてくれたんです。大阪が千秋楽だったので、マリックさんが粋な計らいで、母を招待してくれたんです。LUNAちゃんから、『パパが大阪公演にお母さんお呼びしてって言っている』と聞いた時は、『無理無理!』と私が拒否したのですが、その後もD3のグループLINEで、LUNAちゃんにも枝豆さんにも『お母さん呼びなよ』『これを機にいろんな話ができるし、楽になるし、いいタイミングだと思うんだけど』『呼ばないとあんた一生後悔するよ』と言われて。そこまで言われたらもう断れませんでした」
――周囲の後押しがあったのですね。
サマンサ「公演ではマリックさんがトークの中で、『親子にはいろんなスタイルがあって、ご家庭でそれぞれ違うけど、いろんな遠回りもしますね。うちなんかは娘がNYに行ってラッパーになって戻ってきて遠回りしましたけど、こうやって同じエンターテインメントの繋がりで皆さんに楽しんでいただけることがありがたい。ドラァグクイーンのみんなも、いろんな親のあり方、子どものあり方もあると思うけど…』みたいなことを、わざわざ言ってくださったんです。それを聞いて母も安心半分なのか、ちょっと涙ぐんでいたみたいで。その後も母がラジオ番組の生放送を見に来てくれたり、活動を応援してくれるようになりました」
――本当に粋な計らいです。
サマンサ「その後は、気づいたら母がインスタグラムでマリックさんやLUNAちゃんとつながって、私のこともフォローしていたんです。すると今度は弟から電話があって、『今までスマホなんか持っていなかったお母さんが、ずっとスマホを見てる。画面を見たら『サマンサ・アナンサ』って書いてんねん。それ、兄ちゃんなんやろ? 兄ちゃん、Wikipedia出てくんねんけど。松竹芸能におんの? 番組出てんの?』って聞かれて。
実家は家業があるから、私のことで、いろんなお仕事がやりにくくならないか。家族に迷惑かけたくないと思っていたから、長年、言うべきことではないと思っていたんです。だから複雑な気持ちになって、『なんか、こんな兄ちゃんやけどごめんね』って伝えました。そうしたら弟から、『人生の中でナジャさんみたいな先輩と出会えたことは、すごく良かったよね。もしかしたら兄ちゃんもいろんな経験や苦労もしたんかもしらんけど、どうであれ、自分にとって、兄ちゃんに代わりはないから応援してる』と。今思い出してもグッときますね」
――弟さんも、そのままのサマンサさんを応援してくれているのですね。
サマンサ「それ以降、父からも電話がかかってくることが増えました。これまでは法事や結婚式など親戚の用事に関する連絡だったのが、最近は何もない時でもかかってきます。『元気に仕事頑張ってるか。声が聞きたかっただけやで』って。芸能界がどうとかは聞いてこないけど、お父さんなりに心配、激励してくれているんやと思いました」
――“自分らしい生き方を貫く”という部分で、タレント活動を始めてもなお、ご家族に伝えるには勇気が必要だったのですね。
サマンサ「いや私も、踏み出せませんでしたよね。自分1人で悩んでいて決断できなかった。ANAを辞める時も松竹芸能の話を聞いた時だって、ナジャさんが言ってきてくれて、最後はミッツさんまでが、『ここで腹くくらないなら、いつくくるの?』って。今回もマリックさんやD3の皆が『そうよ』って言ってくれないと言えなかったっていう。だから自分1人ではたぶん成り立っていなくて、結局誰かからの助け舟というか、絶妙なトスがあった感じです。だから結局、皆さんなくして私は成り立っていないと常に感じます」
――いろいろな意味で“自分らしく生きたい”と思っている人が多いと思います。そういう人たちにメッセージをお願いします。
サマンサ「本当に人それぞれ、置かれている立場が違うと思うので、ぴったりのアドバイスにはならないですが、“偽り”はその内、“もどかしさ”に変わります。私の場合はそこに気づいてしまったから、その後20年、30年を考えた時に、『自分に対して後悔に繋がる』と思ったんかな。もちろん、気づいてしまった後に道を変える、変えないはそれぞれですが。
ウェルビーイングって、be動詞にingでしょう、ということは、自分が成り立たないと全然そこに繋がらない。自分がどうなって、どういう風に進むかという、その言葉のまんまだと思います。自分の今日も明日も、その未来も、その人生の主人公も、舵取りをするのはあなた。あなたがキャプテンなんです。誰も運転してくれへんから。
離陸するも、着陸するも全部“あなた次第”。自分にしか分からないタイミングがあるし、『行き先はどこ』って聞かれたら、その行き先は自分が決めて、あなたが行きたい先に行けばいいと思います」
さまざまな選択肢がある現在。“自分らしく生きる”という言葉も当たり前のように聞こえてくる。自分を成り立たせるために、自身と本音と深く向き合ってみるのもいいかもしれない。
取材・文/コティマム