
感動体験で鳥肌が立つのはなぜか
皮膚が粟立つ「鳥肌」はおもに寒さで引き起こされるが、薄着の子どもだった頃や、寒冷地に住んでいない限りは、寒くて鳥肌が立つ経験は大人になってからはあまりしていないかもしれない。
鳥肌が立つとすれば音楽や映画、スポーツ観戦などで感動した時のほうが多いのではないだろうか。
寒さの原因以外で鳥肌が立ちやすい人は一般的に感情の幅が広く、音楽に強く影響され、共感力が高いといった傾向があると見られている。一説では女性は男性よりも鳥肌が立ちやすいとされ、感情や快感に脳が反応する際に脳内の神経伝達物質であるドーパミンが分泌されることで鳥肌が立つこともあるといわれている。
そして興味深いことに、感動体験によって鳥肌を起こしやすい人がいることがわかっている。これまでに行われた計8000人以上を対象とした大規模研究により、鳥肌は洞察力、自己超越、さらには政治的志向と結びついていることが突き止められているのだ。
鳥肌が立つ「美的ゾクゾク感」とは
米カリフォルニア州サンタモニカにある研究機関「Institute for Advanced Consciousness Studies」をはじめとする研究チームが今年7月に「Political Psychology」で発表した研究では、政治的立場の両極に位置する人々は、感動的なスピーチや音楽といった感情を揺さぶる刺激に対して、より強い身体的反応、つまり鳥肌を引き起こしやすいことが報告されている。
「美的ゾクゾク感(Aesthetic chills)」としても表現されているこの身体的反応は、芸術、音楽などの感動的な瞬間や、圧倒的な自然の景観に触れた際などに背筋がゾクゾクして鳥肌が立つ生理的な反応を伴う強い感情的体験のことである。
研究チームは政治的志向、性別、民族的背景、教育レベルが多岐にわたる南カリフォルニアと中央テキサスの成人882名を対象に調査を行った。両州は政治的、人種的、経済的に多様であるが、一般的にカリフォルニアは進歩的であり、デキサスに保守的であるとされている。
参加者はオンラインプラットフォームを用いて、事前に鳥肌を立たせると検証された4つの動画のいずれかを視聴するよう指示された。その動画には、レナード・コーエンの『ハレルヤ』の演奏シーン、チャーリー・チャップリンの映画『独裁者』における印象的なスピーチが含まれていた。
参加者は動画を視聴する前に、一連の心理アンケートに回答した。アンケートには、性格特性、宗教性、感情状態、没入のしやすさ(没頭しやすくなる度合い)、そして内受容性(自分の身体感覚への敏感さ)に関する項目が含まれていた。
参加者は動画視聴後に、鳥肌が立ったか、背筋がゾクゾクしたかどうかなどを尋ねられた。また、共感、自我の崩壊、道徳的高揚といった感情的な反応に関する追加質問にも答えた。
極端な政治的志向と鳥肌の関係

回答を分析した結果、参加者の約58%が動画視聴中に鳥肌が立ったと報告した。ある意味で予想通り、政治的保守主義傾向は鳥肌が立つ美的ゾクゾク感と関連していた。この傾向は、研究者が場所(カリフォルニア州とテキサス州)や性格特性といった要因を考慮に入れても維持された。しかし最も示唆に富む知見は宗教的信念と身体感覚の役割から得られた。
宗教心は美的ゾクゾク感の強さを強く予測していた。より強い宗教的信念を表明した者は、刺激に対する強い身体的反応を表明する傾向が強かった。これは宗教的な信仰を持つ人(精神的な畏敬の念や超越感をより深く理解している可能性が高い)は、政治的立場に関わらず感情的に動かされる傾向があることを示唆している。
もう一つの重要な要因は、内受容性(interoceptive)への意識であった。心臓の鼓動に気づいたり、胸がいっぱいになったりするなど、自分の身体状態への意識が高いと報告した者は、より強い美的ゾクゾク感を経験する傾向があった。そしてこの身体感覚への意識という変数から、政治的志向の過激度と美的ゾクゾク感の強さの間にU字型の相関関係が見られたのだ。
つまり政治的に極端にリベラルな者(極左)と、極端に保守的な者(極右)の両者において美的ゾクゾク感が顕著に起きやすく、この強い身体的反応を見せる両者は宗教心や身体的意識といった特性と関連していることが示唆されたのである。
感動体験に潜む落し穴
鳥肌が立つ美的ゾクゾク感が起こりやすい者は政治的に極端に走りやすいという傾向が浮き彫りになった今回の研究は、政治活動において「感動を呼ぶスピーチ」がいかに重要であるのかを再確認させる研究結果であり、また集会において参加者全員でスローガンを合唱することなどで高揚感や連帯感を効果的に“演出”できることも示されたといえるだろう。
人々にきわめて強力な感情的な体験をもたらす美的ゾクゾク感の理解を深めることは、政治的な活用はもちろんのこと、ショーやライブなどのエンターテインメントへの応用や、トラウマや鬱を克服するグループセッションの認知行動療法への活用の可能性にも通じている。裏を返せば各種の悪徳セミナーやカルト宗教などへの応用もまた可能だ。背筋がゾクゾクする感動体験はかけがえのないものではあるが、そこに利害が絡んでいないかを見定める冷静な視点も求められているのだろう。
※研究論文
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/pops.70051
※参考記事
https://neurosciencenews.com/music-chills-politics-neuroscience-29626/
文/仲田しんじ
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