
いやはや、アイドル業界空前のかわいいブームですね。先日行われたMUSIC AWARDS JAPANのアイドルカルチャー部門も『かわいいだけじゃだめですか?』/CUTIE STREET、『最上級にかわいいの!』/超ときめき♡宣伝部、『わたしの一番かわいいところ』/FRUITS ZIPPER、と女性アイドルは全部かわいいがタイトルに入っている状態。しかも従来のアイドルの「男性から見た女性のかわいさ」を表現するのではなくて、「私は私をかわいいと思っている。おわり!」という自己完結型。そこに他者の存在はおまけ程度に入るというレベルです。そう。最近のキーフレーズでもある自己肯定感ですよね。
TikTokで数年前に流行した『可愛くてごめん』/HoneyWorksや『全方向美少女』/乃紫なんかも自己肯定感にフィーチャーした自分アゲ曲。いやー素晴らしいことですよ。日本ってなんだかんだで謙遜の文化じゃないですか。「愚妻」なんて言葉とか象徴的ですよね。他人に上げられたら落とす。そんな風土の中で自分自身だけは自分の評価を高く持ってあげる、というのは精神衛生面でもいいのではないでしょうか。自己嫌悪は病みますからねえ。

汎用性のある言葉に変化する「かわいい」史
さて、温故知新ということで「かわいい」の昔を考えてみましょうか。そもそも自己肯定的にかわいいを発信しはじめたのはFRUITS ZIPPERの事務所の先輩、きゃりーぱみゅぱみゅさんではないでしょうか。男性が喜ぶかわいさではなく、自分が着たい服を着てアートディレクターの増田セバスチャンさんと共に初期に作り上げた極彩色の世界観はフランスなどを中心に日本のKAWAIIを広めたと記憶しております。クールジャパン、なんて言葉もありましたがきゃりーさんが輸出した世界観は捨て置けないものがあります。
そう考えると90年代の篠原ともえさんも独自の「かわいい」を貫いていた方でしたね。ランドセルをしょったり極彩色の衣装、セクシーさを意識的に排除したビジュアルと言動、彼女も色んな事象に対して「かわいい〜」と表現していた記憶があります。当時「かわいくない」ものだったおじさんなどに対してもかわいいと表現して周囲をキョトンとさせていましたが、それってかなり令和的な価値観だったと改めて感じます。浜ちゃんにはどつかれてたけど。

キャンディーズや松田聖子さんに対する形容詞としての「かわいい」から、時代が進むにつれ語釈が増えていった、そんな印象です。2000年代にブレイクしたお笑いコンビ、アンガールズさん。ジャンガジャンガのネタで大人気でしたが、当時言われていたのが「きもかわいい」。長身で痩せ型でカニの形態模写など気持ち悪い動きを得意としていた田中卓志さん、「きもーい」と逃げ惑う女性タレントまでが一連のセットみたいになっていましたが、なぜか「きもかわいい」。アンガールズのわたわたとしたネタのかわいさがキモさと同居したのでしょうか。そこからかわいいの語釈が徐々に広がった感覚があります。おじさんを見て「かわいい」、爬虫類をみて「かわいい」、しまいには電信柱を見ても「かわいい」ですよ。「ヤバい」と同じく随分汎用性のある言葉に変化していきました。
生まれつきの見てくれが整っている人間にしか使用が許されなかった「かわいい」が全人類に解放された喜びを享受するか如く若者の中で「かわいい」の濫用が定着化し、そして最後の砦「自分自身」への使用許可も下りたのがここ数年なのかなと。もうこうなったら森羅万象全部「かわいい」ですよ。古古古古米? かわいいー! 猛暑日? かわいいー!! うーん。形骸化。そんな記事を書いているたった今スマホを見たらLE SSERAFIMを星野源さんがプロデュース。Netflix作品の主題歌でタイトルは「Kawaii」。いやー。さすがやで、Gen Hoshino。
文/ヒャダイン

ヒャダイン
音楽クリエイター。1980年大阪府生まれ。本名 前山田健一。3歳でピアノを始め、音楽キャリアをスタート。京都大学卒業後、本格的な作家活動を開始。様々なアーティストへ楽曲提供を行ない、自身もタレントとして活動。
※「ヒャダインの温故知新アナリティクス」は、雑誌「DIME」で好評連載中。本記事は、DIME9・10月合併号に掲載されたものです。