
2025年大阪・関西万博の会場最寄り駅となる夢洲駅に、「カームダウン・クールダウンスペース」が設置され、注目を集めている。
発達障がいや感覚過敏のある方が安心して過ごせる静かな空間として、公共交通機関での導入が進んでいるこの施設。万博開催を控え、多様な来場者への配慮として設置された背景や、その具体的な機能について、Osaka Metro広報戦略部 中辻 光春さんにお話を聞いた。
音や視線を遮断し、パニックを未然に防ぐ「落ち着ける空間」
カームダウン・クールダウンスペースとは、具体的にどのような施設なのだろうか。
中辻さんによると、この施設は「発達障がいや知的障がい、精神障がいといった障がいのある方々が、周囲の音や他人の視線といった外部からの刺激を一時的に遮ることで、気持ちを落ち着かせられる空間」だという。
この施設の重要な点は、パニックが起きてから対処するのではなく、事前に防ぐという予防的な役割も担っていることだ。人混みによる不安やストレスを感じた際に、静かな場所で気持ちを落ち着かせることができれば、パニックに至る前に対処できる。つまり、落ち着ける場所の存在そのものが、パニックの予防につながるという考え方に基づいている。
駅という公共空間は、多くの人が行き交い、アナウンスや電車の走行音など、様々な音が飛び交う。感覚過敏のある方にとっては、これらの刺激が大きな負担となることがある。そうした状況で利用できる「避難場所」として、このスペースが設けられている。
万博開催を機に実現した、多様な来場者への配慮
なぜ夢洲駅が設置場所として選ばれたのか。その背景には、現在(2025年7月)開催されている大阪・関西万博の開催がある。
「国内外から多種多様な方々が訪れる万博の最寄り駅として、様々なニーズに対応できる施設の充実が必要だと考えました。特に多くの来場者で混雑することが予想される中、不安やストレスを感じやすい方々が落ち着ける場所の確保は重要かつ改善することが必須の課題。その解決策として、カームダウン・クールダウンスペースの設置を決定しました」と中辻さんは設置の経緯を説明する。
夢洲駅は2025年1月19日に開業したばかりの新しい駅で、Osaka Metro中央線で会場(東ゲート)前に直接アクセスできる。改札内と改札外にそれぞれ1箇所ずつ、各箇所に2ブースを設置することで、利用者の動線に配慮した配置となっている。
万博という国際的なイベントには、世界中から多様な背景を持つ人々が訪れる。誰もが安心して万博を楽しめる環境づくりの一環として、この施設は重要な役割を担っているのだ。
気持ちを落ち着けるための空間設計、利用者の声を反映した改善も
夢洲駅のカームダウン・クールダウンスペースは、どのような設計になっているのだろうか。
「パーティションで周囲から区切られた空間に、2名程度が座れるソファを配置しています。これにより、利用者本人だけでなく、付き添いの方も一緒に入って落ち着くことができる広さを確保しました。また、駅全体のデザインに合わせて、パーティションは黒色、ソファはグレー色とし、視覚的にも落ち着ける空間づくりを心がけています」
実際に運用を開始してから、利用者の声を反映した改善も行われている。「当初は外から使用状況が分かりづらいという意見をいただきました。そこで、ブース内に人がいる時は自動的にライトが点灯するセンサーライトを設置することで、空き状況が一目で分かるように改良しました」という。
一方で、公共空間ならではの課題もある。「理想的には扉で完全に閉じられる個室が望ましいのですが、駅という特性上、防犯面での配慮が必要です。利用者のプライバシーと安全性のバランスを取ることが、今後も継続的に取り組むべき課題だと認識しています」と中辻さんは語る。
感覚過敏への理解が広がる中、法的な後押しがあった
カームダウン・クールダウンスペースの設置が進む背景には、感覚過敏やパニック障がいへの社会的な理解の広がりと、法整備の動きがある。2016年4月1日に障害者差別解消法の制定により、公的機関に「合理的配慮」の提供が義務付けられた。2024年4月1日には改正障害者差別解消法が施行され、民間事業者にも法的義務が適用されるようになった。
合理的配慮とは、障がいのある人から申し出があった場合に、事業者側にとって過度な負担にならない範囲で、障がい者の求めに応じ配慮、サポートすることを指す。全国的に合理的配慮が浸透しつつある中で、公共交通機関においても、このような環境整備がより一層求められるようになってきている。
実際、羽田空港や成田空港、中部国際空港など、全国の主要空港でもカームダウン・クールダウンスペースの設置が進んでいる。感覚過敏のある方にとって、空港はただ人が多いだけでなく、様々な音や光、においなどの情報が混在する場所であり、ストレスを感じやすい環境だ。そうした中で、気持ちを落ち着かせられる空間の存在は、移動の大きな支えとなっている。
「多くの方に利用されている」初の試みに確かな手応え
夢洲駅での、カームダウン・クールダウンスペースの利用状況はどうなのだろうか。
「開設以来、多くのお客様にご利用いただいています。これまで駅で不安を感じた際に逃げ場がなく困っていた方々にとって、このスペースの存在が大きな安心材料になっているようです。付き添いの方と一緒に利用できる設計も好評で、保護者や介助者の方からも感謝の声をいただいています」と中辻さんは手応えを語る。
プライバシーへの配慮から詳細な利用統計は取っていないものの、確実にニーズがあることは日々の利用状況から実感しているという。
運営面での課題や今後の展開について尋ねると、「Osaka Metroとしては初めての取り組みということもあり、まずは夢洲駅での運用を通じて、様々な課題や改善点を把握していきたいと考えています。利用者の方々からいただいたご意見を参考に、設置要件や運用方法を整理した上で、他駅への展開も含めた今後の方向性を検討していく予定です」という回答をいただいた。
実際に利用者の声を聞いてセンサーライトを追加するなど、着実に改善を重ねているOsaka Metro。この前向きな姿勢の背景には、単に施設を設置すれば良いというものではなく、それぞれの駅の特性や利用者のニーズに合わせた最適な形を実現したい、という強い思いがあるようだ。
外出の機会を広げる、小さな空間の大きな可能性
「外からは使用中かどうか分からない」という利用者の声にすぐに対応してセンサーライトを設置したように、Osaka Metroは利用者の意見を真摯に受け止め、改善を重ねている。
駅で感覚過敏によるパニックを起こしそうになった際、これまでは逃げ場がなく困っていた人々にとって、このスペースは大きな存在だ。単なる「休憩スペース」ではなく、感覚過敏のある方が安心して公共交通機関を利用するための重要なインフラ設備として機能している。
中辻さんは最後にこう語った。
「私たちにとっても新しい挑戦でしたが、このスペースを必要とされている方々がいることを改めて実感しています。万博を機に始まった取り組みですが、一時的なものではなく、すべてのお客様に安心してご利用いただける駅づくりの一環として、今後も継続的に取り組んでいきたいと考えています」
万博という国際的なイベントを機に始まったこの試みが、今後どのように発展していくのか。利用者の声を丁寧に聞きながら進化していくカームダウン・クールダウンスペースの取り組みは、日本の公共交通機関におけるインクルーシブな環境づくりの先駆けとなるかもしれない。
取材・文/宮﨑駿