
2025年7月20日の投開票日を目前に控え、参議院選挙も終盤戦に入ってきた。衆議院における与党の過半数割れもあって実質的な政権選択選挙とされる今回の参院選だが、各種調査を見る限り、与党の苦戦が伝えられる一方で、野党側も与党に取って代わるような政党も見当たらないようだ。
一般的に「与党が辛勝なら株高、敗北なら株安」とする見方が多く、過去の経験則に照らせばそうした見方に傾くのも頷けるが、三井住友DSアセットマネジメント チーフグローバルストラテジスト・白木久史氏の見立ては、些か異なるようだ。
以下、そんな白木氏から届いた最新リポートの概要をお伝えする。
◎個別銘柄に言及していますが、当該銘柄を推奨するものではありません。
1:トランプ関税1%引き上げの真意
トランプ関税の発表を契機に始まった日米の関税交渉だが、当初は同盟国である日本は優先的な扱いを受け、「ファスト・トラック扱い」で交渉の早期解決が有力視されていた。
しかし、交渉は赤澤担当大臣の度重なる訪米交渉にもかかわらず予想外に長期化。そして、7月1日にはトランプ大統領が「日米通商交渉合意の可能性は低い」などと日本に対して厳しい発言を繰り返し、7月7日には日本に課される相互関税を「24%から25%に引き上げる」との書簡が石破総理に送られた。
ここで注意したいのは、僅か「1%」とはいえ日本の関税率が引き上げられたことだ。というのも、7月9日の猶予期限に前後して多くの国に新しい関税の税率が通知されたが、報復関税に言及するなどして対決姿勢を鮮明にした一部の国を除けば多くの国が横ばい、ないしは引き下げになっているからだ(図表1)。
このため、今回の「1%」の税率引き上げは、控えめながらも米国からの明確な意思表示、とすることができそうだ。

■トランプ大統領の国家戦略と関税政策
米国が日本に対して厳しい姿勢をとる背景を理解するには、トランプ大統領が追求する米国の国益と関税政策の関係を正しく理解する必要があるだろう。
過去の当コラムでも触れてきたように(2025年1月16日付けレポート、衰退する帝国のトランプ その1 米国の覇権維持にフルスイングするトランプ)トランプ大統領は
(1)自国産業の振興、
(2)貿易・財政赤字の削減、
(3)米国の覇権に挑戦する中国の抑え込み、そして、
(4)基軸通貨としてのドルの地位確保を通じて、
米国の覇権の維持に邁進しているように見受けられる。
トランプ大統領はこうした国家戦略の実現に向け、関税を交渉カードにした貿易赤字の削減、海外直接投資の呼び込みによる国内産業の振興、同盟国の防衛費増額による財政赤字削減と安全保障政策の強化、そして、同盟国と連携して米国に挑戦する中国への経済的な圧力を強めようとしているように思われる。
■すれ違う日米の思惑
翻って、これまでの日米交渉の経緯を振り返ると、日本は通商問題と安全保障の問題を切り離し、対中包囲網への参加を表明することはなく、主要7か国首脳会議(G7サミット)の際に米国側から提案のあった2プラス2(外務、防衛大臣が安全保障を話し合う2国間の閣僚級協議)やNATO首脳会議への参加をキャンセルして防衛費拡大にコミットすることを回避してきた。
こうした日米交渉における日本側の対応は、米中の冷戦構造の中でディールを通じて日本を自陣に引き込みたい米国からすれば大きな思惑違いだったとみられ、期待が大きかった分だけトランプ大統領を苛立たせたとしても不思議ではない。
2:対米交渉の成功事例と失敗事例
「TACO(Trump Always Chickens Out、トランプはいつも怖気づいて逃げる)」という言葉が市場関係者の間で当たり前のように使われるようになった。
しかし、仮にトランプ大統領がこうした「見方」に反して引くことなく日本に25%の関税を課すようになると、日本経済には無視できない影響が出てきそうだ。
三井住友DSアセットマネジメントでは、米国が日本に25%の相互関税を課した場合に、日本のGDP成長率には波及効果を含めて▲0.78%の押し下げ効果があるものと試算している。
ちなみに、日本経済は今年の1-3月期の実質GDP成長率が前期比年率▲0.2%のマイナス成長(2次速報値)となるなど景気は足踏み状態にあるが(図表2)、関税による下押し圧力が加わると、停滞感に拍車がかかることになりそうだ。

■対中包囲網に参加表明する「成功組」
トランプ大統領との交渉に苦心する日本ですが、打開策を探る上で参考になるのが、他国の成功事例と失敗事例ではないか。
これまでの米国と世界中の国々との関税交渉を見ていくと、典型的な成功事例としては英国とベトナムが、そして、失敗事例としては、ブラジルとカナダを挙げることができそうだ。
まず、成功事例について見ると、英国は世界に先駆けて対米交渉で妥結したが、その合意内容は中国向けの輸出管理や、サプライチェーンにおける中国除外を意図したものとみられ、米国は英国の関税率を最低税率の10%のみに留めた。
その一方、中国政府はこの米英のディールを「中国への直接的な挑戦」と評し、異例の声明で批判した。
また、中国による迂回輸出の拠点と名指しされ対米輸出が急増していたベトナムだが(図表3)、迂回輸出対策(ベトナムで積み替えられて米国に輸出される物品への40%の関税徴収)で合意したことで、ベトナムの相互関税は46%から20%へ大幅に引き下げられることになった。
このディールについても、中国政府は「中国の利益を犠牲にした取引で、断固反対する」と不快感を露わにしている。

■反米姿勢に容赦しないトランプ大統領
一方、典型的な失敗事例であるブラジルは、対米貿易収支が赤字であるにもかかわらず、関税が10%から50%に引き上げられることになった。こうした懲罰的な関税の背景には、ルラ大統領の「反米姿勢が影響している」との見方がある。
7月6、7日に開催されたBRICS首脳会談で議長を務めたルラ大統領は、「貿易で米ドルに依存しないですむよう、米ドル以外の決済手段を拡大させよう」と参加国に呼びかけた。
この発言を受けてトランプ大統領は「基軸通貨を失ったら戦争に負けたのと一緒」と反応して強い不快感を表明している。つまり、ブラジルに課されることになった高率の相互関税は、覇権国の屋台骨を支える基軸通貨への攻撃に対する「報復」と言えそうだ。
■安全保障政策で「トラの尾」を踏んだカナダ
次にカナダだが、米大手ハイテク企業を念頭に置いたデジタルサービス税が撤回されたにもかかわらず、相互関税は25%から35%へ引き上げられたことに、驚いた関係者も多かったのではないか。
こうした米国の強硬姿勢の背景には、カナダの安全保障政策が影響している可能性を指摘できそうだ。
カナダは米国と世界最長の国境線で接する同盟国だが、イラク戦争や対テロ戦争では非協力姿勢をとるなど、米国と「是々非々の微妙な同盟関係」を続けてきた。
そんなカナダのカーニー首相はトランプ大統領の挑発的な発言への反発もあってか、「米国に依存した安全保障体制を見直す」と明言し、米国製の最新鋭戦闘機であるF35の導入計画を撤回すると表明した。
ちなみに、カナダの情報当局である通信安全局(CSIS)は、2019年および、2021年のカナダの国政選挙に中国政府が介入。当時のトルドー首相が率いていた与党自由党の候補を支援していたと報告している。
こうした経緯もあって、現在自由党党首を務めるカーニー首相の安全保障政策について、米国は不信感を強める結果となった可能性が否定できない。
■対米通商交渉の「傾向」と「対策」
一連の対米交渉の成功例と失敗例を見ていくと、日本の対米交渉を成功へと導くヒントが浮かんでくる。
それは、
(1)米国の覇権に挑戦する対中包囲への協力姿勢を示し、
(2)米国の貿易赤字と財政赤字の削減に寄与するため防衛予算を拡大し、さらに、
(3)米国と連携して安全保障戦略の強化を図る、
といったところではないか。
3:逆説の相場シナリオ「参院選と日本株」
仮に、こうした対米交渉の「傾向」と「対策」が正しいなら、日本が関税交渉を無事に乗り切るには「相当な方針転換」が必要になるだろう。
というのも、これまで日本政府は、
(1)日米交渉で安全保障と通商問題を切り分け、
(2)7月10日にクアラルンプールで行われた日中外相会談では「日中の戦略的互恵関係を推進する」と宣言し、さらに、
(3)報道番組に出演した石破首相は安全保障やエネルギーなどについて、米国依存から「もっと自立するよう努力しなければいけない」と発言しているからだ。
また、石破首相が選挙演説で対米交渉について「なめられてたまるか」と語気を強めたことも、米国側の感情を逆なでこそすれ、交渉妥結に寄与する可能性は低いのではないか。
■日本政府の方針転換と株高シナリオ
巷では、参院選で与党が過半数維持に必要な50議席の獲得を閾値(しきいち)に、過去の経験則から「与党の勝利なら株高」「与党の敗北なら株安」とする見方が少なくないようだ。
しかし、これまで見てきた交渉経緯から、日本政府が早期に交渉姿勢を転換することを期待するのは現実的ではなさそうだ。
このため、今週末の選挙結果を受けて現政権の主要メンバ-や政権の枠組みが維持されるようなら、8月1日以降には高率の相互関税が課される見通しが強まることで、日本株にネガティブな影響が出る可能性を否定できないだろう。
逆に、与党の敗北で自民党内のパワーバランスに大きな変化が生じたり、連立与党と新興政党などとの連携が進むようなら、日本政府の対米交渉スタンスが早期に修正される余地が拡大することで、日本株がポジティブな反応を見せてもおかしくない。
さらに、米国が非関税障壁の一つとして問題視している消費税の扱いが政府・与党内で前向きに議論されるようになり、また、株価の好調が続くドイツのように(図表4)、防衛費の拡大による拡張財政が展望されるようになれば、海外投資家の日本株への関心が高まるのも自然な流れだ。

ちなみに、7月1日以降、トランプ大統領は「日米通商交渉合意の可能性は低い」「関税発動の猶予は考えてない」「日本の相互関税は30~35%」などと発言している。
そして、日米の関税交渉が不調に終わるシナリオを織り込み始めたのか、日本の防衛費拡大を先取りして上昇していた日本の防衛関連株は、7月1日を境に反落に転じている(図表5)。

こうして見ていくと、巷で言われる「与党勝利なら株高、敗北なら株安」というステレオタイプ(固定化された思い込み)なシナリオが実現するかは大いに疑問で、実際の市場の反応はむしろ逆になるように思えてならない。
まとめとして
トランプ大統領は日本の相互関税を24%から25%に引き上げると通告したが、この「1%」には抑制的ながらも明確な米国の意思が現れているのではないか。
これまでの米国と諸外国の関税交渉の経緯を見ていくと、単なる貿易赤字の削減だけでなく、安全保障や対中戦略への協力姿勢などが交渉結果の明暗を分けているように見受けられる。
日本の現在の連立政権が対米交渉のスタンスを急旋回することは現実的には難しそうだが、仮に、参院選の結果、自民党内でのパワーバランスが大きく変化したり、積極財政を標榜する野党が連立政権に加わるようなら、日本株にとってはポジティブな影響が現れてもおかしくない。
そう考えると、一般に語られている「与党の勝利で株高、敗北で株安」とするシナリオは大いに疑問で、実際の市場の反応はむしろ逆になるように考えられる。
◎個別銘柄に言及していますが、当該銘柄を推奨するものではありません。
構成/清水眞希