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仕事、デフサッカーの指導、自身の練習、元Jリーガー高木俊幸さんに聞くプロサッカー選手を取り巻く現実

2025.07.13

 現在、Jリーグ60クラブに在籍する選手は1800人近くにのぼるが、キャリアに終止符を打つ選手も毎年100人以上いると言われる。2025年に入ってからも柿谷曜一朗(サッカー文化人)、山瀬功治(レノファ山口アンバサダー)といった日本代表経験者が現役引退を決断した。

 彼らのような有名選手は引退直後からメディア露出やサッカー指導のような仕事に恵まれるが、全く異なるキャリアを踏み出さなければならなくなる選手も少なくない。プロサッカー選手を取り巻く現実は想像以上に厳しいのだ。

2024年に契約満了を通告され、次なる人生を模索

 2010年にデビューした東京ヴェルディを皮切りに、清水エスパルス、浦和レッズ、セレッソ大阪、ジェフユナイテッド千葉という名門クラブでプレーしてきた高木俊幸(関東サッカーリーグ1部=東京ユナイテッド)も今年から新たな一歩を踏み出した1人だ。

 1980年代に大洋ホエールズ(現Denaベイスターズ)で「スーパーカートリオ」として名を馳せた高木豊(野球解説者)を父に持つ高木俊幸は、1つ下の次弟・善朗(アルビレックス新潟)、4つ下の末弟・大輔(FC琉球)もJリーガーという「高木3兄弟の長男」。10代の頃から才能を高く評価され、ヴェルディユースからトップチーム昇格。そこから15年間、サッカーに邁進してきた。

 いわばエリート街道を歩んできた男が2024年末に千葉から契約満了を突きつけられたのだから、困惑するのも当然のこと。彼は身の振り方を真剣に模索したという。

デフサッカーの指導は旗やコーンなどで識別をしやすくして行われる(筆者撮影)

ユース時代の同期に紹介された東京ユナイテッドへ。仕事も1から学ぶ

「最初は日本プロサッカー選手会主催のトライアウトを受けたりして、次のプレー先を探しました。でもなかなか決まらなくて、どうしようか考えていた時に、ヴェルディユースの同期で、今のチームメートでもある香西克哉から『興味があれば(東京ユナイテッド代表の)福田雅さんを紹介するよ』と声をかけられました。

2025年から新たなキャリアを踏み出した高木俊幸(筆者撮影)

 その時点では東京ユナイテッドのことはあまり知らなかったけど、ぜひ話をしてみたいと思って実際に会う時間を作ってもらい、1月から加入することになりました」と本人は新天地に赴いた経緯を語る。

 とはいえ、東京ユナイテッドはJ1から数えて5部相当のリーグ。選手たちは基本的に働きながらサッカーをするという環境だ。高木も4月1日からクラブが参画事業者となって運営をスタートさせた「元町ウェルネスパーク」(東京都文京区)の管理業務に携わりながらピッチに立つ日々が始まったのだ。

「仕事は週4回で、時間は朝8時45分~17時15分。体育館の予約管理や利用受付が主な業務です。それ以外に、デフサッカー(聴覚障がい者のサッカー)指導を週1回、女子サッカーの指導を週1回やっているので、その日は仕事を17時前に上がってそちらに行く形ですね。

 そのうえで、夜には自分の練習がある。帰宅が夜遅くなるのが常。最初はそのサイクルに合わせるのはなかなか難しかったです」と彼は苦笑する。

子供たちと真摯に向き合う高木俊幸(筆者撮影)

Jリーガー時代とははるかに長い拘束時間。最初は戸惑いも

 Jリーガーだった15年間は午前中にトレーニングがあり、筋トレやケアなどを行ったとしても午後の早い時間にはフリーになれる。昨今は空き時間を活用して起業したり、サッカースクールや放課後等デイサービスといった事業を立ち上げる現役選手も増えてきたが、大半は「サッカー選手は本業に集中するべき」と考え、休養や家族との時間に充てている。高木俊幸もそうだったと明かす。

「僕は1歳の小さい子供がいるんで、これまで練習後に帰宅した後は妻のサポートをすることが多かった。でも今はほとんど家にいられないので、ワンオペ育児をさせてしまう形になっています。会社員の父親の多くがそうなんでしょうけど、妻にしわ寄せが行くのは本当に申し訳ない気持ちですね」と彼は神妙な面持ちで語る。

 加えて言うと、”事実上の社会人1年生”ということで、パソコン操作から予約システムの扱いといったITスキルを1から身につけなければならない。ヴェルディアカデミー時代から学校と練習場を行き来していた高木俊幸はアルバイト経験もない。元町ウェルネスパークの業務に携わり始めてから必死に覚えている状況なのだ。

「エクセルやワードも使い方や入力方法が分からなかったので、一緒人働いている東京ユナイテッドの大卒選手に教えてもらったりしましたね(笑)。

 メールの対応も本当にゼロから。Jリーガー時代も先輩とのやり取りはありましたけど、業務メールとなると『お願いいたします』『承知しました』といった丁寧な言い回しが求められますし、『平素より大変お世話になっております』といった挨拶文も慣れなくて戸惑いました」と彼は苦笑する。

少年たちと向き合うことで、高木俊幸の中にも変化が生じている様子(筆者撮影)

デフサッカーと出合い、子供たちと接する中でやりがいを感じる

 これだけ生活が激変すれば、メンタル的にも難しくなるのも理解できる。高木俊幸も最初の1か月程度はストレスを感じたという。

「Jリーガー時代は凄まじいプレッシャーにさらされるので、また違ったストレスを感じていました。そこから環境が変わったギャップが大きくて、『今の自分は一体、何をしているんだろう』と疑問を感じることもありました」と本音を吐露する。

 その状態から前向きになれたのは、もちろん仕事に慣れ、東京ユナイテッドという新たなチームに適応できたことも大きいが、デフサッカーの指導という新たなモチベーションを抱いたことも少なからずある。そこは本人も強く感じている点だ。

「元町ウェルネスパークの事業の一環として、クラブがデフサッカーの指導に携わることになったと聞いて、すごく興味を持ちました。というのも、妻の妹が生まれつき聴覚障がいを持っていて、デフサッカーの存在を知っていたからです。

 自分も何らかの形で関われないかと考えていた時に指導の話をいただいた。デフサッカー日本代表の岡田(拓也)君、仲井(健人)君一緒に週1回のスクールで教える経験は物凄く貴重ですね」と本人は言う。

 まず難しさを感じているのが、コミュニケーションの取り方。4月のスタート時よりは手話が上達しつつあるものの、デフ代表の2人のようにスムーズにはいかない。そこで高木俊幸としては、Jリーガー時代に培ったパス・ドリブル・シュートといったスキルを活かして見本を見せたり、判断力を高めるアプローチを積極的に行っているのだ。

「選手たちは目は見えているので、サッカーボールを見失うことはないですけど、周りに敵が来ているかを察知したり、視野を確保することが少し難しい時もあります。

 耳で情報を得られない分、見る回数や力を引き上げたり、視野を広げることが大事。そのために、色のついたマーカーやコーンを使って判断力を高めたり、大判フラッグを使って合図をしたりと、健常者のサッカーとは異なる工夫をしながら取り組んでいます」

指導するときの高木俊幸は本気モードだ(筆者撮影)

覚えたての手話で積極的に会話。いずれは自分でスクールを始める夢も

 7月3日のスクールでも、高木は積極的に子供たちと関わろうとしていた。Jリーガー時代の彼はあまり口数が多くなく、自ら積極的に話しかけるタイプではなかったが、デフサッカーの指導中は岡田の近くで献身的にサポートしようという姿が印象的だった。

 子供たちとも覚えたての手話で会話し、手で合図を送るのが難しい場合は表情やジェスチャーで意思疎通を図るなど、彼なりに試行錯誤を繰り返している様子。こういった経験はこれまでのプロサッカー選手時代にはなかった。自身の新たな学びになっているのは間違いないだろう。

「デフサッカーの指導を始めてから、子供たちに少しでも自分の経験を伝えて、プラスにしてもらいたいという思いが強まりました。いずれはそういうスクールを開校し、日常的に活動できるようになれば理想的ですね。

 僕の場合は妻の妹が聴覚障がいを抱えていたという事情があって、デフサッカーというものを知りましたけど、普段、何気なく生活している人にとってはあまり接点がないと思います。そういう環境だからこそ、自分自身が口火を切ることで、より多くのJリーガーやサッカー関係者、一般の人たちが障がい者サッカーに目を向けるきっかけになれたらいい。そうなれるように頑張っていきます」

デフサッカー日本代表・岡田拓也(右)とともに熱のこもった指導をしている(筆者撮影)

Jリーガー時代の一番の思い出は浦和時代の2016年ルヴァン杯制覇。ミシャ監督に感謝

 東京ユナイテッドの選手・元町ウェルネスパークの体育館管理業務・デフサッカーと女子サッカーの指導者。三足の草鞋を履く新たな生活は想像以上に大変だろうが、未知なることになチャレンジしていくことで新たな未来が開けるのは間違いない。

「Jリーガー時代もいろんなことがありました。浦和時代の2016年YBCルヴァンカップ決勝に先発し、優勝に貢献できたことなんかは忘れられない思い出です。

 ミシャ(ペトロヴィッチ)監督と出会えて、信頼してもらえたことも大きな財産。そういう素晴らしい指導者に出会えた経験を僕はこれから還元していきたいと思っています。

 デフサッカーでも女子サッカーでも攻撃的なアプローチをした方が選手は伸びる。そういうミシャさんの哲学を大事にして、僕もアグレッシブに前進していきたい。これからが本当のスタートですね」

 34歳にしてセカンドキャリアに向けた一歩を踏み出した高木俊幸。彼のような人物が今後、どのような足跡を残していくのか。それを興味深く見守りたいものである。(本文中敬称略)

3足の草鞋を履きながらも、つねに笑顔を絶やさない高木俊幸(左=筆者撮影)

取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。

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