
はじめに──ゲームエンジンが“公共インフラ”になる日
Unreal Engine 5 や Unity は、もはやゲーム制作専用のツールではありません。GPU の低価格化とクラウドレンダリングの普及により、億単位ポリゴンの 3D都市をノートPCで動かせる時代が到来しました。さらに、日本の Project PLATEAU をはじめ各国の 3D都市モデルがオープンデータ化されたことで、専門家でなくても「わが街ツイン」を自宅で構築できます。
リサーチ会社McKinsey & Companyによると、デジタルツインによって公共セクターの資本・運用効率が 20~30 % 改善され得ると試算しています。
第1章 デジタルツインとは何か ── しくみと価値を“ゼロ”から理解する

【1-1「街にそっくりな影」をクラウドに置く発想】
デジタルツインをひと言で説明すると、「現実にあるモノや空間の“影”をコンピューターの中にもう1つ作り、ふたつを常に同じ動きで連動させる技術」 です。ここでいうモノや空間は実に多様で、スマートウォッチで測る心拍から、ジャンボジェットのエンジン、さらには都市全体までスケールフリーに扱えます。
• 双子モデル(3Dデータ) … 建物や道路、機械の形を三次元で表現
• リアルタイムデータ … IoTセンサー・衛星画像・SNS投稿などを秒単位で取り込み
• 同期エンジン … 現実と仮想を“常時リンク”させ、ズレを最小化
たとえば降水量センサーが「1時間で 50mm の豪雨」を検知すると、クラウド上の双子都市にも即座に雨が降ります。すると低地の浸水深、避難所の混雑、公共交通への影響が数分で計算され、行政は“本番前”に交通規制やバス増便をシミュレートできます。
【1-2「なぜ今こんなに注目されるの?」】
1.計算パワーが激安になった
クラウド GPU の価格が大幅に下落したことで、かつてスーパーコンピュータが独占していた演算能力を利用できる時代になった。
2.オープンデータの解禁ラッシュ
Project PLATEAU に代表される3D都市モデル無償公開で、基盤データが0円に。
3.AI の進化で“自動補完”が可能に
欠測センサーや古い地図情報を AI が推定補完。100%の完璧さより「8割を素早く」作る戦略が採りやすくなりました。
【1-3 歴史を3行で振り返る】
• 1970 年代:NASA が宇宙船トラブル対策に“そっくり装置”を地上で運用
• 2002 年:ミシガン大学マイケル・グリーブス教授が Digital Twin と命名
• 2020 年代:都市スケールに拡大し、気候変動・防災・産業 DX の主役に
【1-4 実用イメージを“あなたの暮らし”に置き換えると】
デジタルツインというと壮大に聞こえますが、日常生活に置き換えると次のようなメリットが想像できます。
(1) 防災――豪雨への備えが「勘」から「科学」へ
大雨が降りそうなとき、ツイン上に気象庁の降水レーダーを流し込むと、低い地域に水が溜まる様子が 3D で再現されます。行政は浸水が深くなるエリアだけピンポイントで避難勧告を出せるため、広域一斉避難による交通パニックを防げます。住民側も「なぜ自分の町だけ避難なのか」を VR 映像で理解でき、行動が早まります。
(2) エネルギー――空調と照明の“無駄 30 %”を削る
オフィスビルなら、各階の電力スマートメーターをツインに接続し、日射シミュレーションを重ねます。すると「午後2時に西日が当たる 10 階だけ空調が過剰」といった具体的な無駄が見えるため、AI が自動で空調設定を微調整。ビル全体の電気代が年間で30%近く下がった例も報告されています。
(3) 物流――渋滞と排ガスを同時に減らす最短ルート
宅配トラックの GPS 位置と信号機のタイミングをツインで一括管理すると、AI が「5分後に渋滞が始まる交差点」を予測し、ドライバーのカーナビに迂回ルートを即送信します。これにより走行距離の短縮、CO₂ 排出量の減少、配送遅延クレームなども改善することが期待されます。
(4) 不動産――“買う前に住んでみる”体験でミスマッチ防止
マンション販売では、モデルルームに VR ゴーグルを用意し、日照・風向・騒音をツイン上で体感してもらうサービスが登場しています。VR 内覧で購入前の不安が減り、意思決定が速くなることが期待されます。
豪雨も電気代も渋滞も、まずは仮想空間でテストドライブ、これがデジタルツインの価値です。
第2章 ゲームエンジンが変えた制作コスト ── “億ポリゴン”を誰でも動かせる理由
【2-1:ゲームエンジンは「動く3Dのオールインワンツール」】
PCが文字入力→レイアウト→印刷まで面倒を見てくれるように、ゲームエンジンは「モデル読み込み→光や影の計算→キャラクターやカメラの動作→画面表示」までをワンストップで処理します。開発者はブロックを組み立てる感覚で都市を構築でき、複雑な数式やプログラムを1から書く必要がありません。
【2-2 キーテクノロジーを正しく理解する――Nanite・Lumen・DOTSのしくみと実力】
デジタルツインが「家庭用PCでリアルタイムに動く」まで進化した背景には、ゲームエンジン側で三つの大きな技術革新が起きたことがあります。以下では表を使わず、1つずつ順を追って解説します。
『1. Nanite(ナナイト)』
Unreal Engine 5 に搭載された Nanite は、膨大なポリゴンを「細かいタイル状のかたまり」に分割し、カメラに映っている部分だけを GPU に送り込む 仮想化ジオメトリ技術です。従来は遠景用・中景用・近景用と段階的にモデルを作り分ける LOD(レベル・オブ・ディテール)作業が不可欠でしたが、Nanite が自動で最適な解像度を選択するため手作業が不要になりました。結果として、大規模な都市モデルでも実用フレームレートを維持した技術デモ(Epic Games “City Sample” など)が公開されており、防災訓練や観光 VR といった “俯瞰から路地裏まで” をシームレスに行き来するアプリが現実的になりました。
『2. Lumen(ルーメン)』
同じく Unreal Engine 5 の Lumen は、シーン全体を距離別のライトプローブとスクリーンスペース情報に変換し、光源や時間帯が変わるたびに間接光を毎フレーム再計算 する仕組みです。これにより「朝→昼→夕→夜」と環境を切り替えても、壁や路面での光の跳ね返りが即座に更新されます。従来は“ライトを焼き込む”ベイク作業に数時間を要しましたが、Lumen では待ち時間がほぼゼロ。停電シナリオやネオンサインの点滅など、動的な照明が多い都市ツインでも開発サイクルを大幅に短縮できます。
『3. DOTS(ドッツ)』
Unity の Data-Oriented Tech Stack(DOTS)は、オブジェクト指向中心だった従来のゲームロジックを エンティティ・コンポーネント・システム(ECS) に刷新し、同じ型のデータを連続メモリに並べて扱います。
DOTS(ドッツ)をかんたんに言うと…
・データの並べ方を変えて、まとめてサッと計算できるようにした仕組み
これまでのゲームは「キャラクターA」「キャラクターB」…と、1人ずつ別々に情報を抱えていました。DOTSは「体力」「位置」「スピード」のように同じ種類の情報をひとつに並べて保管し、台帳をめくるように一気に処理します。
・自動で“手分け”して計算してくれる
Burst Compiler と C# Job System という機能が、パソコンの複数コアや“まとめ計算”に強い命令(SIMD)を自動で使い、「みんなで分担して一気に終わらせる」状態を作ります。
結果: Unity公式の Megacity デモでは、人や車など数十万~数百万エンティティを 60 fps 前後で動かした事例が報告されています。これにより、朝の通勤ラッシュや大規模イベントの避難行動を実時間で再現し、信号タイミングや誘導スタッフ配置をミリ秒単位で検証するといった高度な最適化が視野に入りました。
第3章 日本の先進事例

• Project PLATEAU(国土交通省)
国や自治体が保有する 3D 都市モデル(LOD2~LOD4)を CC BY 4.0 などのオープンライセンスで公開し、オープンデータは2023年度末までに 196以上の市区町村で整備済みです。建物形状だけでなく道路・植生・地下空間も含むため、自治体は防災 VR、まちづくりシミュレーション、建築 BIM 連携などを“ゼロライセンス”で試せる。PLATEAU VIEW 4.0 ではブラウザ上での簡易編集も始まり、学生ハッカソンや市民ワークショップでの採用が急増している。
• 大阪・万博 2025「Digital Twin Perspectives」
万博会場モデルと大阪市の PLATEAU データを統合し、HMD+振動シート を組み合わせた没入型ドライブ体験をギャラリー展示予定。来場者は仮想会場を運転しながら混雑ポイントを視覚的に確認でき、運営側は動線データをリアルタイム取得してバス運行計画や誘導サインを検証できる。VR 体験で得たフィードバックを即時に 3D モデルへ反映するループが特徴。
• ENEOS:4製油所にまたがるデジタルツイン基盤
2024 年 9 月、ENEOS は Cognite Data Fusion を採用し、仙台・川崎・堺・水島の4製油所でデジタルツイン構築を開始。配管図・保全履歴・稼働ログを1つの仮想空間に統合し、技術者は設備情報を“数秒”で横断検索できるようになる。2026 年までに全製油所へ展開し、保全計画の精度向上と人材継承を両立させる方針。
おわりに
デジタルツインは、都市まるごとを再現できる“仮想ラボ”を一般の PC 上にもたらしました。いまではオープンデータと無償のゲームエンジン、そして比較的手頃なハードウェアだけで、防災・エネルギー・物流・まちづくりなど多彩な分野の検証が行われています。行政、企業、市民が同じデータを共有し、シミュレーション結果を可視化しながら議論できる仕組みが整いつつある、それが現在のデジタルツインの姿です。ハック文化が支えるこの動きは、私たちの暮らしや仕事の意思決定プロセスを静かに刷新し始めていあるのです。
【参考資料】
https://www.projectdesign.jp/articles/news/6f6b4bec-6c2c-4200-a47e-ff7c1c4c6310
文/スズキリンタロウ