父親が家族ではない社会

奥野先生:世界には、もっと驚かされる事例もありますよ。英国の人類学者ブロニスワフ・マリノフスキは、パプアニューギニアのトロブリアンド諸島で、いまから百年以上前の二十世紀前半にフィールドワークを行いました。 島の住民たちは、女性が妊娠するのは霊児が胎内に入るからだと信じていたそうです。つまり、性交渉も男性の精液も、受胎には何の関係もないことになります。
筆者:え?でも実際に性交渉がなければ子どもは生まれませんよね?
奥野先生:もちろんです。マリノフスキは、友人の船乗りが出稼ぎで長期間島を留守にしたとき、妻が妊娠・出産するという事態を目撃しました。
筆者:ひえええ、修羅場が起こりそうです。要するに、誰かが妻を寝取ったということですよね。
奥野先生:そうなんですが、その友人は出稼ぎから帰ると、「自分の子ども」が生まれたことを大いに喜び、慈しんで育てたそうです。
筆者:そうか…、性交渉と子どもは関係ないことになってますからね…切ない話です。
奥野先生:トロブリアンド諸島の共同体は、母系社会です。子どもにとっての家族は母親と母親の兄弟と、その親族だけであり、父親は家族の一員ではありません。子どもに対する権利を持ち、義務を負うのは、母親の兄弟、つまり母方のオジです。父親と母親と子は数年間核家族を営み、母と子はやがて母方の親族の元へ「帰って」行きます。 その後は、父親が子の養育などに関わることはありません。
筆者:家族ではない父親と、期間限定の核家族的な生活をおくる…。アロペアレンティングではないし、現代日本の核家族とも違う形ですね。
奥野先生:父親が家族ではない、精液が生殖に関係ないという論理は、母系社会の仕組みに対応しています。 父親は子どもにとって血のつながりのない存在だと考えられていたのです。でも、父親がいなければ子は育ちません。だから、トロブリアンド諸島の人々は子どもは「父親に似る」と言われます。反対に、母親や母方の親族に似ているということは、罰金モノのタブーです。マリノフスキはうっかり口走って、強烈に怒られたそうですよ。
筆者:ぼくも「娘がそっくり」と言われると、うれしくなります。トロブリアンド諸島の人たちは、不要なはずの父親をちゃんと立てるわけですね。だからこそ、そこには親子の愛情も存在する。不思議だけれど、とても合理的に見えます。
奥野先生:結局のところ、親子の関係は、社会と家族の形態によって様々なんです。
筆者:私が娘に愛情をかけられるのは、経済的、文化的に、それと家族の環境によって、それが許されているからですね。決して当たり前のことではないし、それだけが人として正しいわけでもない。いろいろな親子があってよいことを、娘にも伝えていきたいです。
まとめ
親子関係に人類共通の法則などない。親が我が子にかける愛情ですら、個別的で特殊な現象なのだ。そう考えると、親子関係を冷静に見直すこともできるし、アロペアレンティングのように共同体として、子どもと関わる大切さにも気づく。ときには外部の文化とも比較する広い視野で、子どもの環境を見直していきたい。
(※参考)「子どもの生活と学びに関する親子調査」東京大学社会科学研究所・ベネッセ教育総合研究所
取材・文/小越建典
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