
幼少の頃から何不自由なく育った人物と、幼くして貧困を体験した人物の2人が目の前にいたとして、はたしてどちらの人物をより信頼するだろうか。最新の研究では人々は恵まれた環境で育った人よりも、低所得の家庭で育った人を信頼する傾向があることが報告されている。
依然として社会問題である「子どもの貧困」
令和を迎えた日本においても「子どもの貧困」は依然として社会問題であり、厚生労働省「国民生活基礎調査」(2022年)によると、日本の子どもの貧困率は11.5%という重く受け止めなくてはならない数字が我々に突きつけられている。
内閣府が昨年12月に発表した「1人当たり名目GDP」がOECD諸国38か国の中で22位と下降を続けている日本にあって、じゅうぶんな食事や教育、医療を受けることが困難な状況にある子どもたちが現実に存在していることをしっかり認識し、社会問題として解決していかなくてはならないのは言うまでもない。
その一方、1992年のベストセラー『清貧の思想』に代表されるように、日本文化には簡素な暮らしを美徳とする生活様式の伝統も一部で根強く受け継がれていそうだ。この考えは現在の“ミニマリスト”にも強く影響を及ぼしているのかもしれない。
さらには「貧乏は人を育てる」という言葉もあり、貧困を経験することで、困難を克服する力が養われ、自己を成長させる意欲が育まれるのだとの言説もある。決して貧困を美化してはならないと思うが、貧困の解釈と理解にもいくらかの幅があることも事実だろう。
人物プロフィールが「信頼ゲーム」に及ぼす影響
そして新たな研究からは幼少期の貧困についてさらに解釈の幅を広げる研究結果が報告されている。
カナダ・ブリティッシュコロンビア大学の研究チームが今年5月に「Journal of Personality and Social Psychology」で発表した研究では、複数の実験によって参加者は質素な環境で育った人物に対して一貫して高い信頼を示し、彼らをより道徳的で信頼できると見なしていることが示されている。
誰を信頼するのか、信用ならない者は誰か、よく知っている身の回りの人々ならもはや迷うことはないと思うが、初めて接する人物をそのプロフィールだけで信頼できるのだろうか。
その答えを探るため、研究チームは1900人以上の参加者を対象に一連の実験を行った。研究チームは人物の社会階級(成長期または現在)が、見知らぬ人からの信頼にどれほど影響を与えるかを実験を通じて検証した。
実験の1つでは参加者は「信頼ゲーム」に参加した。当人以外のゲーム参加者は実際には架空の人物なのだが実在する人物であると伝えられ、それぞれの人物のプロフィールが提示されていた。
そうした架空の人物のプロフィールには、公立学校に通っていたりアルバイトをしていたりするなど「低所得層家庭」で育ったことを示すものと、私立学校出身でヨーロッパに旅行に行った経験があるなど「富裕層家庭」で育ったことを示すものがあった。
「信頼ゲーム」では、参加者それぞれに10枚のくじ引き券が配られたのだが、この券を「信頼できると思う人物」に任意の枚数(全10枚も可)を渡すことが求められた。
「信頼できると思う人物」に選ばれるのはどのようなプロフィールの人物なのか、その傾向をこのプロセスで浮き彫りにすることが意図されている。
さらにここで何枚の券を渡すかで、「信頼できると思う人物」をどの程度信頼しているのかが測定できることにもなる。
受け取った分の券は3倍に増やされた後、渡してくれた人へ任意の枚数を返還することが求められた。
たとえばある参加者が「信頼できると思う人物」に10枚すべての券を渡したとする。渡した参加者の思惑はきっとこの人物は30枚に増えた券から10枚以上の券を自分にリターンバックしてくれるだろうという信頼があることになり、この信頼は“行動的信頼”と定義された。
幼少期に貧困を体験した人物をより強く信頼
各参加者のゲームの記録を分析した結果、参加者の多くは低所得者層の人物に対してより強い行動的信頼を示す傾向が浮き彫りになった。
そして人物そのものに対する信頼は低所得世帯で育った者にのみ向けられていることもまた明らかになった。つまり現在の経済状態がどうであれ、幼少期に貧困を体験した人物をより強く信頼する顕著な傾向が示されたのである。
「私たちの研究は、人々が幼少期と現在の状況の間に明確な線引きをしていることを示しています」と研究を主導したブリティッシュコロンビア大学の心理学教授で主任研究者のクリスティン・ローリン氏は述べている。
「彼らは一般的に、下層階級の家庭で育った人々をより道徳的で信頼できる人々と見なしていました。彼らは現在下層階級にいる人々を信頼しているかのように振る舞うことはありましたが、彼らが必ずしもその信頼を尊重するとは信じていませんでした」(クリスティン・ローリン氏)
「貧乏は人を育てる」は一面の真実
今回の調査結果は、信頼が重要な要素となる社会的な状況において、自分自身をどのように表現するかについて戦略的に考える必要性を示唆している。
「たとえば、ずっと裕福だったなら、その過去を控えめにして今に焦点を当てた方が良いかもしれません。一方、ずっと経済的に苦労してきたなら、質素な家庭で育ったことを明確にする方が有利かもしれません」(クリスティン・ローリン氏)
子どもの頃の貧困体験を“売り”にしたり、“貧乏自慢”を過度に行えば逆効果になるかもしれないが、実際に体験してきたことを率直に表現することに問題があるはずはない。
今回の研究は低所得層家庭で育った人々を信頼する傾向があることを示しているものの、そうした人々が実際に信頼できる人物であるかどうかはもちろん別問題である。
とはいっても、幼少期に経済面での困難を体験したことのない人々ばかりが社会の上層部を占めていることに不満を抱く人は多いことが示唆されてくる研究結果でもあるだろう。確かに経済的に不自由をしたことのない人物は人の“心の痛み”を理解する条件の一部を欠いていると見なされても仕方なさそうだ。
経済的に恵まれていなくとも実直にすべきことをしていくことで信頼を勝ち得ることができれば、すなわち「貧乏は人を育てる」ことになるのかもしれない。
※研究論文
https://psycnet.apa.org/fulltext/2026-14941-001.html
※参考記事
https://neurosciencenews.com/trust-socioeconomic-psychology-29126/
文/仲田しんじ
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